三春周辺には、本当に素晴らしい桜の樹がたくさん彼方此方に存在しておりました。今回は、三春町の東側にある田村市の名桜をご紹介します。
大聖寺のしだれ桜・・・田村市船引町笹山字立石3.建立から700年余りの古刹、大聖寺の本堂前に立つ樹齢300年余の紅枝垂桜です。境内への石段下から見上げると、大きく広げたしなやかな花枝が天から降りそそいでくるような感じでした。その長さは石段まで届かんばかりでした。見事な枝垂桜です。
小沢の桜・・・田村市船引町船引字堂前58?2.村はずれの田圃の真ん中に立つ、正に一本桜でした。夕方になってから訪れたので、夕暮れの薄明るい中になんとなく寂しげな風情でした。でも、なかなか絵になる風景でした。地元の人が、「さくら」と言う女性を偲んで植えたと言うソメイヨシノの大木です。根元には、野仏と子安観音の祠がありました。樹齢約100年のソメイヨシノ。 原田美恵子、真田広之,田中麗奈らが出演した映画「はつ恋」に「願いの桜」として登場し、最後の花見シーンなどがここで撮影されたと言います。残念ながら、私はこの映画を観ておりません。
永泉寺のシダレザクラ・・・田村市大越町栗田字長根93の1.県指定天然記念物。樹高12.5メートル、幹周り4.1メートルのエドヒガンの枝垂れ、ベニシダレの巨木です。樹勢旺盛で、花の量も多く、淡紅色の花色も見事で、立ち姿も堂々として頼もしい感じです。「三春滝桜」と同種で、それに次ぐ大木だそうです。
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花追い人
福島の桜、続編をお届けします。
「三春滝桜」の周辺部には、滝桜の子桜や孫桜と言われる枝垂桜の名桜が数多く存在しています。それらの桜を出来るだけ多く見ようと欲張って車を走らせました。山又山の合間をぐるぐる廻っているような感じでしたが、不思議と同じ道を走ったことはありませんでした。道路脇に立っている桜名を記した案内板の存在と、カーナビのおかげさまさまでした。また、名のある桜は遠くからでも目立つ存在でもありました。
紅枝垂地蔵ザクラ・・・郡山市中田町黒木字木目沢字岡の内。樹高16メートル、幹周り4.1メートル、推定樹齢約400年、市指定天然記念物。「三春滝桜」の娘と言われており、この桜の樹の下に地蔵堂があることから「地蔵ザクラ」と呼ばれています。なかなか力強い立ち姿でした。
五斗蒔田の桜・・・郡山市中田町木目沢字五斗蒔田。エドヒガンの枝垂れで、四方に伸ばした枝振りが非常に美しく、丘の上に立つ姿には惚れ惚れしました。
忠七桜・・・郡山市中田町牛縊本郷。明治維新の戊辰戦争で会津の惨状を嘆いた、宗像忠七翁が、亡くなった人々の慰霊のため、自宅前にあった桜を移植、寿命山と名付け整備したと言います。樹齢160年のエドヒガンの枝垂れです。
上石の不動ザクラ・・・郡山市中田町上石字舘。樹高16メートル、幹周り5.3メートル、枝張り東西18メートル、南北16.5メートル、推定樹齢350年余の枝垂桜です。市指定天然記念物。桜の傍に不動明王を祀るお堂があることから「上石の不動ザクラ」と呼ばれている桜です。「三春滝桜」の子孫と言われています。傘状に広がっている姿は見る者を引き付けます。
この他にも、名前が分かりませんが美しい枝垂桜が何本か見かけました。
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花追い人
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枝垂れ桜と大日・立山連峰
五色ヶ原越しに左から槍・穂高連峰、赤牛岳、笠ヶ岳を見る
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冬期間交通止めとなっていた立山黒部アルペンルートが、この17日に全線開通と報道されました。17日の開通式はあいにくの吹雪で、視界も利かず、恒例の「雪の大谷ウオーク」の観光客は、寒さで震えている絵が放映されていました。
翌18日の土曜日は朝から素晴らしい青空です。日曜日の天気予報も晴れマークでしたので、急遽、立山に登ることにしました。
アルペンルート開通2日目ですから、いまだ登る人も少なく空いているだろうと、ゆっくり朝食を摂って、8時過ぎにのんびり出掛けたのが大誤算でした。立山駅は大勢のスキーヤー、ボーダー、それに韓国、中国からの観光客の団体でごったがえしています。
「×・×・×・×・×」「○・○...○...○...○」の耳慣れない言葉が飛び交って、駅の構内はこの上ない騒々しさです。
この外国からの観光客は富山県にとっては大切なお客さんですが、皆さんのスニーカー、ハイヒールの出で立ちから、黒部・立山アルペンルートを使って、長野県・大町に通り抜ける観光客で、富山県には、到底お金を落としては貰えそうもありません。せめて前日だけでも、宇奈月温泉か富山市内で宿泊していただければ、県が力を注いでいる外国観光客誘致の意義は大きいのですが、大概は、お隣の石川県の片山津・山中・山代・和倉温泉泊まりの団体ツアー客なのです。
あまりの騒々しさに驚きながらも切符購入の長い列に並んで、ようやく手に入れた切符は午後便で3時間待ちです。このまま騒がしい構内で、順番を待っているのは時間の無駄です。立山駅までの通り道に枝垂れ桜が咲いていた芦峅に戻って、背景に立山、大日岳を入れて写真を撮っていました。
ケーブルの順番待ちで、午後からと出遅れましたが、今日の山の上は、雲一つ無いコバルトブルーの青空です。前日に新しく降り積もったばかりの真っ白な雪で衣装替えした峰々は目に眩しく、病院の赤字解消、健全経営、補助金獲得とカネ・カネ・カネのことしか頭にない院長の汚れたココロを洗ってくれます。
浄土山からは、薬師、黒部五郎、笠、槍 それに白山までもがくっきり見渡せます。春山は冬と違って晴れても霞がかかりやすいのですが、今日の眺望は格別です。前日の吹雪が空中の埃や黄砂を吹き飛ばしてくれたお陰で素晴らしい眺めとなっていました。
とやまの こうじ
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4月2日、京都、奈良から始まりました、一本桜の名桜巡りも、4月11日山梨、そして終に、陸奥・福島まで足を延ばすことになりました。白河から北、陸奥の国を車で駆けるのは、生まれて初めての経験でした。
福島は、枝垂桜の宝庫だと聞いていましたが、正にそのとうりでした。「三春滝桜」をはじめ、三春町周辺の山々、山里の農家の庭先に、見事に咲き誇っている枝垂桜を彼方此方で発見しました。
「三春滝桜」は、三春町大字滝あざ桜久保地内、三春町郊外のさくら湖畔、さくら公園の対岸の小高い丘の斜面にありました。大駐車場からだらだらと緩やかな坂を上っていくと、ボリューム感あふれた淡いピンク色の塊が目に入ってきました。それがあの有名な滝桜の姿でした。写真ではよく見て知っているつもりでしたが、実物を目の前にして、その雄大な艶やかな枝垂れた姿には圧倒されました。一瞬我を忘れて立ち止まったまま見入っていましたが、次には思わずカメラのシャッターを押し続けていました。
樹高19メートル、幹周り9.5メートル、根周り10.5メートル、枝張り東西25メートル、南北19メートルにも及ぶ巨大な枝垂桜で、推定樹齢は1000年を越えると言います。もちろん国指定天然記念物になっている樹です。
ローマの円形劇場のようなすり鉢状の中程の斜面に、優雅に枝を広げ、全ての人の目を一点に集中させるようになっているこの舞台装置は素晴らしいものでした。
古くから、滝桜と呼ばれ、その名前どうりその姿は花が流れ落ちる滝のように見えました。この地方では、長く厳しい冬が終わると梅、桃、桜が一斉に咲き競うことになるから、「三春」 つまり三春と言うのだそうです。
これで、日本三大桜」の3本全てを、この半月で駆け巡ったことになります。このようなことは初めての体験です。もう2度と出来ることではないと思っています。元気な体に感謝!感謝!
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花追い人
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実相寺の元気な「神代桜」と境内に咲き誇る賑やかな群れ桜を見た後、一路韮崎市神山町北宮地字柳田624 に在る、「わに塚の桜」へ向かいました。
目指す桜はすぐに見つかりました。なにしろ、山裾に広がる田圃の真ん中にある小高い丘の上に、パッと傘を広げたような美しい立ち姿は目立ちました。樹齢300年余、樹高17メートル、幹周り3.3メートル、枝張り23メートルのエドヒガンの大木です。花は、ちょっと見頃を過ぎた感じではありましたが、それでも充分観賞に耐えられる状態でした。青い空に生える淡いピンク色、そして遠くに山々が、本当に絵になる風景でした。
土地の言い伝えによれば、昔、日本武尊の王子 武田王がこの地に葬られ、王仁塚と言うと。又、王は武田武大神として武田八幡宮に合祀されています。後、源新羅三郎義光の末 源太郎信義がこの地にあって姓を武田と改め武田氏を興すという武田氏発祥の地であります。
武田八幡宮(神社)の近くには、初代信義公の菩提寺 願成寺(曹洞宗)もあり、境内は紅枝垂桜で彩られていました。信義公の墓所にも1本のヤマザクラの大木が花を咲かせていました。
花追い人
「神田の大糸桜」を見た後、北杜市武川町山高2763 の実相寺(日蓮宗)境内に在る日本三大桜の一つ、「山高神代桜」を訪ねました。
推定樹齢は、1800年とも2000年ともいわれ、樹高10.3メートル、幹周り11.8メートル、枝張り東西17.3メートル、南北13メートルもある、エドヒガンの、日本で最古・最大級の巨木として、大正時代に国指定天然記念物第1号となった桜の樹です。
ここもまた、「根尾谷淡墨桜」と同様に、全国から押し寄せてきた桜見物の多くの人たちでごった返していました。狭い道路に、観光バスやマイカーが数珠繋ぎの状態で全く前に進めないような状態でした。前日に放映されたテレビでは、4月5日に満開を迎えたとの事でしたが、まだしっかりと花をつけていました。樹齢2000年ともいわれるこの超古木の幹は、痛々しいものがありましたが、満開の花をいっぱいにつけた姿には感動しました。
伝説では、日本武尊が東征の折に植えたと言われ、名前の由来になっています。また、13世紀頃、日蓮上人がこの樹の衰えを見て回復を祈ったところ、再生したため「妙法桜」ともいわれているそうです。
この実相寺境内には、「神代桜」以外にも、ソメイヨシノの古木や、「身延山の枝垂桜」「根尾谷淡墨桜」「伊佐沢の久保桜」「臥龍桜」、そして「山高神代桜」の子桜が競うように咲き誇っており、又、下には黄色い絨毯を敷き詰めたような水仙の花、青い空には、残雪を頂いた峰峰が映えて素晴らしい光景でした。
花追い人
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4月11日、「土日祝日高速道乗り放題1000円」の新制度を利用して、甲州路の有名な桜の古木、3本を訪ねました。まずは、北杜市小淵沢松向1904?2 に在る「神田の大糸桜」。樹齢400年余、樹高9メートル、幹周り7.5メートル、枝張り東西20メートル、南北20メートルといわれるエドヒガンの巨木です。
中央自動車道小淵沢インターを降りて、県道17号線をしばらく走り左へ折れ曲がると、すぐ前方に濃いピンク色をした1本の大きな枝垂桜が目に入ってきました。集落からかなり離れた田圃の真ん中にそれは在りました。まさに一本桜です。どっしりと構え、ゆったりと横に大きく枝を広げた大木です。
しかし、4年前に見たときとは随分様子が変わっていました。まず、桜の周囲二面が背の高い青いネットで囲まれていました。そしてその枝振りがなんとなく貧弱で寂しい感じでした。花は、満開状態で、しっかりと咲いているのですが、なんとなく物寂しさを感じさせます。
聞けば、八ヶ岳降ろしの強風で枝が傷められたとのことです。それで、風除けのネットを張ったそうです。訪れるカメラマン達には目障りなネットですが、貴重な桜の古木を保護するためには仕方がありません。それでも、北に八ヶ岳、南に南アルプスの峰峰を背景にした枝垂桜の立ち姿は感動的なものでした。
花追い人
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4月15日太閤山カントリークラブにおいて"さぶろくゴルフ会"が開催されました。
優勝は伊原勝一君でした。
参加諸兄(姉)の成績は下記のとおりです。これをご覧になって、"この程度のレベルであれば与し易し"と思って次回から新たに参加しようと決意する人が現れることを期待します。
(ゴルフ会幹事のタイジ)

さぶろくゴルフ会のご案内をします。
日時:4月15日(水)
場所:太閤山カントリークラブ 蘭→茜コース
組み合わせ
1組 10:09 カツイチ、 ヒロシ、 キヨシ
2組 10:16 ミエコ、 ヤスノリ、 ジョウイチロウ
3組 10:23 ノブヒコ、 アキラ、 タイジ
表彰:優勝、2位、3位、5位、BB
特別賞:ニアピン、ドラコン、ドラタン、なんでもニアピン
スコア算出:ダブルペリア方式
その他ローカルルールに準じますが、6インチリプレース可とします。
4月4日、曇り空で今にも雨が降りそうな天気でしたが、新聞の桜だより欄の「淡墨桜満開近し」の情報を見ていたたまれず、東海北陸道美濃・関インターを降り、国道418号線を走り、尾並坂峠を越えて樽見線の終点樽見駅へ出ました。ここに車を置いて淡墨桜のある所まで歩きました。朝9時半ごろ到着したのですが、もう既に桜の周りは人であふれていました。岐阜方面からの国道157号線は数珠繋ぎのような車列が出来ていました。
淡墨桜は、今年もしっかりとたくさんの可憐な花をつけ、ほとんど満開の状態でした。この花を見るのは、これで3度目ですが、幸いにも何時も満開の状態です。しかし、何時も人、人、人でごった返して騒々しくゆっくりしておれません。本当は、このような巨樹、古木はひっそりとした所にあるべきです。いや、そのような環境にしておくべきです。一度、誰も居ないとき誰にも邪魔されず、静かに一人でじっくりと鑑賞し、この1500年余を生き抜いてきた老桜と対話したいものです。
桜の中で長寿であること、大きく姿も美しいことで有名なのが「日本三大桜」と呼ばれていますが、この淡墨桜はその1本です。あとの2本は、「三春滝桜」(福島県三春町)と「山高神代桜」(山梨県北杜市)です。樹齢1500年以上といわれ、樹高17.2メートル、幹周り9.1メートル、枝張り東西23.9メートル、南北21,2メートルのエドヒガンの巨木で、国の天然記念物にしてされています。
一時期、枝の各所が折損して樹勢が衰えたので、昭和24年にヤマザクラの若根238本を根接ぎしたほか種々の保護を加えて回生を図ったといいます。このとき、作家の宇野千代さんなどが奔走、尽力されたことで、この淡墨桜は一躍全国に知られることになったのです。
又、この桜には次のような伝説が言い伝えられています。「今を去ること1500年前、皇位継承の争いに巻き込まれ、都での迫害を逃れてこの地に潜まれた男大迹王が長じて29歳の時、都に迎えられ皇位を継承し継体天皇と称せられたが、この地を去るにあたり、形見として植えられたといいます。残された1首の歌が、「身の代と遺す桜は薄住よ 千代に其の名を栄盛え止むる」
例年、四月上旬?中旬に花を咲かせますが満開時は白、散る時は薄墨色を帯びることから淡墨桜と呼ばれるようになったといいます。
とにかく、1500年以上も風雪に耐え生き抜いてきたという、この生命力に感嘆するばかりです。
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花追い人
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