技術系の大卒は入って5年間貢献すると言われ、大手からの天下りは2年間貴重だと言われ、亡くなると半年は惜しまれ、後は神通力を失う。神通力を失った男女をからかう悪例が「綾小路きみまろ」で私の在職中も{上がり組}と言う老いて能力を失ったえらい人に、お茶と新聞を与え遠ざけて会社内で養った。
子供叱るな 来た道だ。
年寄り笑うな 行く道だ。ーーー
長寿化時代は、この手の人で溢れ大型店や近江町の{難民}と呼ばれる たいして買わないのにぶらつく ただ外出する人が多い。
「老い」とは現実に社会の逆風に抗することであり 声掛け合い生きていかねばならない。個人差あるが 自分だけはまだー と無理しても無意味だ。
神通力は構造劣化より (精) (霊) (気) の低下で失われるとみると非科学的な説だが,医は元来経験学で察室の会話で双方がどの程度神通力があり又失いかけているか了解する。元気な人がになるのも (精) (霊) (気)のもっと元の核が低下してなるのだろう。
私自身は
今の自分に 過大な期待もしていない。
俺は 半太だ!!!
今回はニレ科の落葉高木、「ムクノキ」の巨木を紹介します。
ムクノキは、本州の関東以西、四国、九州の山地に自生している樹で、大きなものは高さ20メートルにも達します。葉は、楕円形または卵形で4?8センチ、表面がザラザラしているので物を磨くのに使われます。春、小さな黄緑色の花が咲き、果実は卵形で大豆大、10月には、黒く熟し甘味があり、生食されます。熟した実は、ムクドリが好んで啄ばむところから「ムクノキ」の名が付いたのかも・・・。広辞苑によれば、「椋」とはムクドリと同じとあります。
「大椋」のある椋本は、津市といっても亀山市に近く、国道25号線(名阪国道・・・自動車専用道路)関インターから約15分、伊勢自動車道芸濃インターから約10分ほどの所にある集落で、細い道を曲がり曲がっていった所に、その「大椋」はありました。
樹齢1500年以上といわれていますが、まだまだ樹勢盛んで、青々と葉を茂らせていました。しかし、14年前に見た時とは違い、あの時見られなかった大きな鉄製の支えがしてあり、相当傷んできている様子が窺えました。
環境庁調査では、ムクノキでは全国2位にランクされている樹です。
9世紀の初め、征夷大将軍坂上田村麿の家来、野添大膳が伊勢路を流浪していた時、巨大なムクノキを見つけ、その下に草庵を結んだといいます。そのことが、ここ椋本という地名の発祥と伝えられています。ということは、1200年前既にこの「大椋」はかなりの巨木であったことが窺えます。
「椋本の大椋」 国指定天然記念物
樹高 18メートル 幹周り 8メートル 推定樹齢 1500年以上
所在地 三重県津市芸濃町椋本692
「巨樹探訪」熱中人
入梅前の6月8日、南信濃路の巨樹、日本一のミズナラの樹を訪ねてきました。
伊那谷・飯田市から木曽谷・南木曾町へ繋がる国道256号線を阿智村清内路へ。ここは、春(4月下旬?5月上旬)には鮮やかなピンクのハナモモで村中が彩られ、あたかも桃源郷のような素晴らしい所です。又、この沿道には昼神温泉もあります。下清内路の集落のはずれ、黒川の支流、小黒川の谷に沿って細く曲がりくねった一本道を注意深く進み、3キロばかり遡ったところ、突然前方が開け、目指す巨木が目に飛び込んできました。
樹の周辺は、きれいに整備されており、広い空間が出来ており、その奥に、地元では「小黒川の大まき」と呼ばれているミズナラの巨木が、あたかも扇を広げたように十数本の太い枝を広げて立っていました。なかなか存在感のある樹容です。樹齢300年以上といいますが、まだまだ若々しく樹勢盛んといったところです。枝下の太い幹は、雑巾を絞ったようにねじれたようになっており、このため「大まき」と呼ばれているのかとおもはれます。それは又、扇の要のようにも見えます。根元には、多くの巨木に見られるように、小さな祠が鎮座していました。やはり、この樹も村人から神として大切にされているようです。そういえば、この所在地の地名は、小黒川山ノ神でした。
ミズナラは、オオナラともいってコナラとともに、日本各地にごく普通に見られるもので、コナラより標高の高い所に自生する種類です。この「小黒川のミズナラ」は、ミズナラとしては、日本最大のものであり、又その枝張りの美しさも日本一といわれています。
「小黒川のミズナラ」 国指定天然記念物
樹高 33メートル 幹周り 7.3メートル 推定樹齢 300年余
所在地 長野県下伊那郡阿智村清内路1158番4(小黒川山ノ神)
「巨樹探訪」熱中人
伊原勝一君がゴルフスコアのデータをまとめてくれています。
公開しても異議が出ないだろうと、勝手に推測して公開することにしました。
<>関東さぶろくゴルフ親睦会
<>北陸さぶろくゴルフ親睦会
上記青色のリンクをクリックすればPDFファイルを閲覧できます。
関東さぶろくゴルフ親睦会では、ペリア方式ではなくハンディキャップを定めて競技しようという意見があります。過去の成績を勘案した"ハンディキャップ"を上記PDFファイルの末尾に記載してあります。御異存がなければ次回から実施したらどうかと思いますが...エライコッチャ!
「元片貝谷の住人」さんのコメントにありました「片貝谷の洞杉」を訪ねて、5月23日富山県魚津市の片貝川の上流の山中へ分け入ってまいりました。
北陸自動車道魚津インターを降り、県道52号線、67号線を経て、更に県道132号線を直進、奥平沢の集落へ、そして一番奥の片貝発電所から更に山中へ入り、『洞杉巨木群』の案内板に従って、谷川に沿った細い道を4キロばかり走った山奥に件の洞杉がありました。
遠くから見ると、ローソクの炎のようなきれいに整った形をしているのですが、近くへ寄って樹の下の方を見て驚き!! 1本の太い幹の根元から1?2メートルの所から数本の枝が、それぞれ幹のように真っ直ぐ天に向かって伸びているのです。いわゆる株立ちの状態です。しかも、更に驚いたことは、大きな石(岩)を、まるで抱きかかえるように太い根を複雑に張っているのです。樹の根元部分のものすごく、迫力ある姿からは、その樹の生き残るための凄まじいまでの執念のようなものを感じ取りました。そのような株立ちの杉の巨木が、見渡しただけでも十数本ありました。また、一帯は最近整備されたようで、説明板が立っており、洞杉群を見るために斜面には、木造の観察道も出来ておりました。
<洞杉>
洞杉は、片貝川南又谷一帯(標高500?700メートル)に生育している天然生の杉の古木・巨木で、種類としては、タテヤマスギと呼ばれるものと同種で、地元で呼び習わされてきた名称です。その名前の由来は、幹の内部が空洞になっているものが多いところから、愛称的に名付けられたものと云われています。洞杉には次のような特徴があるといいます。
○樹齢500年以上と推定される古木で、幹の内部に空洞を持つものが多い。そのため、樹齢測定不 能。
○大部分が、谷間の急傾斜地に露出した岩を抱え込むように生育している。
○主幹がなく、複雑に枝分かれした樹形を持つ。
○大きいものは、幹周り(株立の幹の合計)が、25メートル以上に達する。
最大のものは、株立(幹4本)の幹周合計で、30.18メートル(2004年6月計測)。4本の幹のうち最も太い幹の周囲は、12.05メートル。平均的には、幹周5?8メートル程度で(目測)。
巨大な洞杉は現在、百数十本が確認されているが、正確な総数は不明です。
「巨樹探訪」熱中人