第一回八幡文化講座を開催しました。雪も混じる寒い日でしたが、さぶろく会から9名(夫人を含む)、その他7名、全部で18名(主催者を含む)の多数の方に参加いただきました。参加の皆さんどうもありがとうございました。
先ず魚谷さんのピアノ演奏を背景にお茶とお菓子でリラックスしていただき、その後長谷川さんから「16世紀ヨーロッパと金沢の接点・・・高山右近」と題し、たっぷり1時間お話していただきました。レジメは本文7ページ、資料11ページの力作でした。キリシタンというと現在のキリスト教をイメージしてしまいますが、右近はむしろ先端の科学技術を伴ったキリシタンという新しい思想の持ち主であり、さらに茶道、築城術、戦術にも優れた技術者でもあったようです。清廉潔白で筋を通す、魅力的な人物像が浮かび上がりました。
出席の皆さんからも次々と質問やコメントが出て、和やかで楽しい雰囲気ではなかったかと思っています。会場の雰囲気を伝える写真を載せておきます。
第二回八幡文化講座は5月頃に開きたいと思います。皆さんの参加をお待ちしています。連れ合いの同伴も歓迎します。
また、筍会は4月下旬を予定しています。

庭のサンシュの黄色い小花が咲き、鶯の「ホーホケキョ」の声で目が覚める今日この頃ですが、今年はなかなか春が来た!という気候には程遠い感じです。2月はもちろん、3月に入っても毎日雨空で、気温もまだまだ低い日が続いています。でも、確かに春は忍び寄っているようです。あちこちから梅だよりが届いています。
3月3日、久しぶりの晴れ間に、三重県津市内にある結城神社のシダレ梅を見に行ってきました。梅は春の先駆けの花、白梅、紅梅を見て、その花の香を嗅いでいると春だなあと実感し、幸福な気分になります。結城神社境内には、八重、一重、白、紅など約300本の梅の花が、ちょうど見ごろを迎えていました。300本の内、約250本がシダレ梅で、あたかも紅白の噴水が上がっているような光景でした。ここの梅は、1本1本花の咲く時期が違うため、早咲きから遅咲きの間が2カ月と長く長期間にわたり楽しむことができるそうです。枝にはいま真っ盛りと花をつけているのに、その樹下には散った花びらで地面が紅く、白く染まっていました。
そんな華やかな梅林の一角に鳥居があり、それを潜って歩を進めるとひっそりとした樹林が広がり、その中央に石柵を巡らせた大きな石碑が立っていました。その碑には、「結城宗弘神君之墓」と刻まれていました。そうです、それは南北朝時代の南朝方の武将、結城宗弘の墓だったのです。ここ結城神社は彼を祀った神社で、建武中興15社の一つだったのです。
「太平記」によれば、延元3年(1338)に結城宗弘は北畠親房らと共に形勢回復のため、伊勢の大湊から東国に向かう途中、暴風雨にあい阿漕が浦に漂着、再起を図っている間にこの地で病死。当初は塚の上に6体地蔵が置かれ「結城塚」と呼ばれていたが、1824年津藩10代藩主藤堂高兌により社殿が造営され、結城神社と呼ばれるようになったといいます。
花追い人
金色の兼六園
先日、兼六園のライトアップを見に行って来ました。以前は白色のライトでしたが今回は金色のライトで照らし出されており、感激しました。(撮影日:2月7日)
冬の上高地ウォーキング
2月14日に上高地へバスツアーで行って来ました。
コースはバスで金沢→安房トンネル→釜トンネル手前で下車
スノーシューを履き 釜トンネル⇔大正池⇔河童橋(約12Km、6時間)かなり きついコースでしたが 好天にも恵まれ人も少なく 途中"野猿"にも逢いました。
新名信彦

柿木畠のカトリック金沢教会にある高山右近のステンドグラスのスケッチです。(2006年6月19日付朝日新聞の記事のコピー)
Wkipediaによると高山右近は波乱万丈の生涯ですね。摂津の国高山庄の小領主で、仕えた殿様が松永久秀、和田惟政、荒木村重、織田信長、豊臣秀吉、前田利家と転々としている。しかも松永から織田まで4人が滅ぼされたり謀反で殺されたりしている。右近はその度にうまい具合に勝者について領地を拡げているところは見事である。非情にまじめな人だったというし、迫害の中でキリシタン信仰を棄てなかったように、誠実な人柄の故このような生き方になったのかもしれない。
長谷川さんの話は「17世紀ヨーロッパと金沢の接点」ですからこんな俗な興味には触れないかもしれませんが、楽しみです。
日時 3月26日(金)14時から
場所 竹伐翁宅 駐車は10台くらい可
and06015@nifty.com 凡その数を確認したいので予めこのアドレスへ連絡を下さればありがたいです。地図を送ります。
竹伐翁記