わが町、高蔵寺ニュータウンは山の上にある。山を下ると、そこには未だ自然の恵みが豊富にある里山の風景が楽しめます。東海自然歩道も近くを走っています。そんな里山の一画、外之原地区のあちこちも、今赤いヒガンバナで彩られている。
ヒガンバナとはふしぎな花だ。今月15日頃には、なぁ?んにもなかった所が、今まさに赤い花だらけになっているのだ。いったん花芽が地上に現れると、1日に10cmも伸び、1週間もすれば見頃になるという。まるで、筍が成長するようなスピードだ。
川の土手に、畑のひと隅に、田んぼの畦に、農家の庭先に、田圃道の両端に、群生したヒガンバナの赤い色が、歓喜に満ち溢れたように目立っている。そんな赤色の中に、なんと 白いヒガンバナがあるのを見つけ、なんだか四つ葉のクローバーを発見した時のような幸運を感じた。
花追い人
秋の彼岸の頃に咲くことから、「彼岸花・ヒガンバナ」の名がついたという赤い花。今年は、この花に異変が起きているようだ。
9月20日前後のTV・新聞ニュースなどで、日本各地の彼岸花群生地での「ヒガンバナ祭り」の時期に花が咲きそろわない事態になっているという。原因は、30年に1度と言われたこの夏の猛暑だという。例年、15?16日頃、一面に花茎がにょきにょきと出てきて、つぼみの赤が目立ち始める時だが、今年は草の緑色がむき出しの状態だという。夏場の異常な暑さと水不足のせいで、見頃は一週間から10日ほど遅れるだろうという。
名古屋の東山動植物園によると、「ヒガンバナは、日照時間よりも水分と温度に反応して花芽を出す。猛暑で地面の温度が高くなりすぎ、球根の細胞が破壊された場合は咲かない可能性もある。」という。
そんな彼岸花を求めて、石川県白山市内の手取川、古宮公園(白山本宮の旧跡)へ出かけた。手取川堤防では、まだ花茎が出てきたばかりでまったく赤い花はなかった。古宮公園では、手取川への斜面にまだ大半はつぼみ状態だったが、あと2?3日もすれば開花し、斜面を真っ赤に彩ることだろう。
花追い人
暑い暑い長い夏もようやく終わりに近づき、秋の気配が色濃く感じられるようになりました。みなさまもほっと一息ついていらっしゃることでしょうか。
第69回句会当日の18日はしのぎやすい一日、出席者は8名で賑やかな句会となりました。投句者17名、投句総数65句、選句者20名、選句結果は最高得点が11点で5点以上は下記の8句となりました。
11点句 歳時記に残る母の字虫しぐれ 子 燕
10点句 秋暑し埴輪の女腰太き 英 明
8点句 生ける者は闇に残され流灯会 さぶ路
8点句 千の田の稲穂は海になだれ落ち 大 火
5点句 初産の嫁を待ちをり赤のまま 桜 子
5点句 もてなしは六百円の初サンマ みどり
5点句 池の面の揺れるともなく秋の声 真 由
5点句 眩しさに慣れればとんぼ多きこと 節 子
いつものように、麦人さんの選評や皆様からの選句に添えられた感想も参照しながら、高得点句から一句一句丁寧に鑑賞いたしました。鑑賞しながら句の意味するところが分かりにくいときなど、作者が出席の場合は本人にあれやこれや説明してもらったりします。それがかなわない場合は、みんなで想像を逞しくして・・・でもやっぱりよくわからないねえ・・・となることもあります。句会に出席できない方々も、よくわから?んと思ってもそのままで過ぎてしまって残念と思われることが多分おありでしょう。通信句会ならではの悩みですが、なるべく誰にも判る句を作るようそれぞれ精進するほかないのかもしれません。
次回もまたたくさんの投句お待ちいたします。
★第70回さぶろく句会★
日 時 : 平成22年12月11日(土)午後1時
会 場 : 王子『北とぴあ』 8階 804B 会議室
兼 題 : 「 時雨 」「 返り花 」「 水鳥 」「雑炊 」
兼題、自由題(当期の季語)合わせて一人4句
締 切 : 11月27日(土)午後10時までに世話人まで
さぶろく句会世話人
みなさまご健勝のこととお慶び申上げます。
さて今年のさぶろく会(金沢)例会は、下記のとおり開催いたします。
秋のひと時楽しく懇親したく、また来年の50周年記念同窓会のことも
ご相談したいと思います。
ぜひともご出席下さるようお願い申上げます。
記
1.日 時 2010年10月15日(金)午後6時?
2.場 所 金沢市彦三町 「いしや」 076(264)0161
3.会 費 7000円 (当日ご持参ください)
準備の都合で、出欠、近況等を10月10日(日)までに
ご連絡ください。
なお、このご案内は石川、富山、福井在住のかたには、別途e-mail
あるいははがきでご案内すみです。
2010年 9月吉日
幹事 長谷川敏彦
076(262)8767
巨樹探訪も、ついに海を渡り島根県隠岐の島まで行ってきました。といっても、単独ではなく旅行社のパック旅行に参加してのことだが・・・・・。それも、台風九号接近中の今月6日出発、そして、まさに台風の影響下にある7日、雨の中を隠岐国の総社 玉若酢命神社を訪ねました。
八百杉は、随神門をくぐったすぐ右側に、六本の大きな柱に支えられながらも凛として聳え立っていた。日本有数の老樹であるという。幹の中は、空洞になっているともいう。樹齢1000年とも2000年以上とも言われている この八百杉は、昔若狭の国から参詣にきた八百比丘尼が参拝の記念に植え、800年後の再訪を約束したことから「八百杉」と呼ばれるようになったという。同様の伝承をもつ杉は、昔3本あったが、1本は天明年間(1781?88)に大風で倒れ、あとの1本も近年倒れたので、現在はこの1本しか残っていないという。
また、この杉の根元に大蛇が生息していたが、この蛇は寝たままついに根に包まれてしまい、今でも周囲が静かな時には、大蛇のいびきが聞こえてくるという伝承がある。
隠岐の島には、八百杉の他に「中村のかぶら杉(幹周9.3m)」、「岩倉の乳房杉(幹周9.6m)」の巨樹があるのだが、なにぶんにもパック旅行なので自分の思うようにはならず、せっかく遠路海を越を渡ってきていたにもかかわらず、見ることができなかったのは残念です。でも「かぶら杉」だけは動いているバスの車窓から一瞬ですが見ることができたのは幸運でした。
** 玉若酢命神社は、玉若酢命を主祭神とし、大己貴命、須佐之男命、稲田姫命、事代主命、須世理姫命、を配祀する。社伝では、景行天皇が御子を各国に分置し、隠岐の国に遣わされた大酢別命の御子が玉若酢命と伝え、この島の開拓にかかわる神と考えられる。この神社の宮司を務める、億岐家は古代の国造を称し、玉若酢命の末裔とされる。
億岐家の宝物を公開展示する「古香殿」には、奈良時代に国司が公用で都などへ往来するとき、駅の人馬を徴用するときの証明として使われた「駅鈴」が2個展示されている。現在残っている唯一のものであるという。
「玉若酢命神社の八百杉」 国指定天然記念物
樹高 30メートル 幹回り 9.9メートル 推定樹齢 1000年以上
所在地 島根県隠岐郡隠岐の島町下西701
「巨樹探訪」熱中人
今月初め、茨城県筑西市にいる知人の所に行った時、栃木市の山奥においしい蕎麦があるというので、車で2時間かけて行ってきました。
栃木市内から県道32号線を粟野方面へ向けて走り、鍋山地区の石灰工場地帯を抜け更に奥へ進んだ突き当りに、出流山満願寺の門前の集落が見えました。集落内には、名物手打ちそば の看板を掲げた蕎麦屋が目立ちました。
満願寺に来られる多くの参詣者が食べていた そば が評判になり、名物出流そば と言われ、今や「手打ちそばの郷」といわれるようになったのだろう・・・・。門前には今10軒ほどの蕎麦屋があるという。週末には、そばを食べにくる人の車の行列ができるそうだ。
そんな蕎麦屋が立ち並ぶ門前の集落を通り抜け、更に奥へ進むと「出流ふれあいの森」へ出る。そこに、「みかも森林組合」が経営する そば処 「やまぶき」がある。そこで、4人で 1升盛りのざるそばを1つ(2800円)と各自天ぷら(300円)を1つ注文する。出てきたざるの大きさとそばの量にびっくり。とにかく直径40センチはある竹ざるに普通の2人前分の盛りが9つ載って出てきた。天ぷらも普通の2人前位はある。とにかく凄いボリュウームだ。1升盛りとは、おそらく1升のそば粉を打ったものだろう。とにかく普通の4?5人分くらいではなかろうか。味はともかく、これほど沢山のそばを1度に食べたのは初めてだ。本当に物凄いボリュームと安さに感激でした。そしてもう一つ特筆すべきことは、この山中で久しぶりに「あぶ」という生き物に出会い、飛び交う「あぶ」と奮闘しながらそばを食べた事でした。
*出流山満願寺は、勝道上人が天平神護元年(765)に開山し、後空海が参詣した折、当山の銘木で造ったといわれる千手観音菩薩像を本尊とした、真言宗智山派の密教寺院で、坂東33か所の第17番札所である。
出流山満願寺 栃木県栃木市出流町288
出流ふれあいの森 栃木県栃木市出流町417
蕎麦好きな翁
久し振り、今年初めての巨樹探訪である。
群馬県太田市にある、群馬県下一の巨樹、浄蔵寺の大イチョウです。遠くから見て あの木がそうだろう と一見すぐそれと分かる位目立った存在だった。大イチョウは、浄蔵寺境内にある墓地の中に雄大な姿を見せて立っていた。地上14?5メートル位までのところまで枝をすべて切ってあるので、これまで見てきたイチョウの樹の姿とは違いちょっと異状な樹形だった。1979年夏の落雷と大風のため主幹が折れ、傷められたため幹が多く分かれ、一見、千葉県市川市で見た、「葛飾八幡の千本イチョウ」のような状態になっていた。しかし、樹勢は極めて旺盛である。
*旧町名 新田郡尾島町は、新田氏発祥の地である。平安時代末期、源 義家の孫 義重がこの地に新田の荘を開き、新田の姓を名乗るようになった。南北朝時代に活躍した新田義貞の祖先である。浄蔵寺は、古儀真言宗に属し鎌倉時代の創建といわれる。元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉攻めのとき、利根川渡河を前にして、この寺に馬をとめて休憩したことから、駒形山宝珠院と称するようになったと伝えられている。
「浄蔵寺の大イチョウ」 市指定天然記念物
樹高 28メートル 幹周 12メートル 推定樹齢 400年
所在地 群馬県太田市堀口町223
「巨樹探訪」熱中人