岐阜県美濃加茂市の山間にある正眼寺(しょうげんじ)という禅宗のお寺をご存じでしょうか?
山号を妙法山といい、臨済宗妙心寺派の雲水(禅僧)の修行場となっており、別名京都・妙心寺の奥の院ともいわれている、1658年創建の古刹です。また、この寺で昔、巨人の川上哲治監督、中日の星野仙一監督が座禅修行したことでも知られています。その時初めて、美濃の正眼寺という名前が世間に知られたと記憶しています。
この正眼寺、実は隠れた紅葉の名所なのです。また、花の寺でもあるのです。
11月27日、白山市からの帰途、この寺に立ち寄り見事に紅葉した境内を散策して、思う存分紅葉を楽しんできました。これだけの素晴らしい紅葉を、まったく一人占めの状態で見られるなんて信じられないくらいでした。
紅葉狩人
兼六園の次に、加賀市山中温泉の鶴仙渓という紅葉の名所に足を延ばしました。黒谷橋からこおろぎ橋の間には、渓谷に沿って1.3kmの遊歩道があり、そぞろ歩いて紅葉が楽しめます。殊に、黒谷橋付近、こおろぎ橋付近の紅葉は見事だった。
しかし、この山中温泉もご多聞にもれず、最盛期に比べずいぶん客足が遠のき、渓谷沿いに建つ幾つかのホテルが廃業に追い込まれ、荒れ果てたままになっているのが目立ち、一抹のさびししさを感じました。
紅葉狩人
那谷寺の紅葉が見頃という新聞記事を見て、快晴の11月19日、小松市那谷町にある自生山那谷寺へ行ってきました。
那谷寺を訪れるのは久しぶりでしたが、山内は紅葉目当ての観光客であふれかえっていました。しかし、残念ながら肝心の紅葉は、既に落葉が目立ち、残っている葉もちじれ気味の状態で、良くはなかったが、それでも幾らかは見られた。
那谷寺は、白山信仰の寺として知られ、また、その名の由来は、西国33番札所を開かれた花山法皇が、洞窟内の観音像を拝せられ、「朕が求む33か所は、すべてこの山にあり」と申され、第1番紀伊の那智山と第33番美濃の谷汲山の各1字をとって那谷寺と名付け、七堂伽藍をご造営なされたという。
また、奇岩遊仙境の眺めは素晴らしく、俳聖 松尾芭蕉が当寺をおとずれ参拝された時、「石山の 石より白し 秋の風 」の名句を残している。
紅葉狩人
福井県勝山市から国道157号線を走り、石川県白山市の白峰を抜け手取り川ダムを右に見て、更に瀬女トンネル抜けると、道の駅・瀬女(せな)に出る。そこから一里野温泉方面へ向かう国道360号線を数百メートルほど行ったところ、瀬戸集落の瀬戸神社の傍らにすっくと聳え立っているのが「瀬戸の夜泣きイチョウ」だ。11月16日には、実に見事に黄葉していた。幹回り9.8mのこのイチョウの樹は、石川県内でも最大級の巨樹であるという。
案説明板によれば、このイチョウは手取り川上流の標高340mの豪雪地帯で500年以上の長い年月をかけ巨木に成長した実例として学術的に貴重であるという理由で天然記念物に指定された。「夜泣きイチョウ」の名前の由来は、昔この樹上に棲みついた天狗が夜になると時々大きな声で泣いたとの説話によるという。
「瀬戸の夜泣きイチョウ」・・・・・県指定天然記念物
樹高 35メートル 幹回り 9.8メートル 推定樹齢 500年以上
所在地 石川県白山市瀬戸
「巨樹探訪」熱中人
国道158号線は、私が郷里白山市へ帰る時通るルートの1つである。その大部分は九頭竜湖、九頭竜渓谷に沿って走っている。
今年は、タイミングよく紅葉のピーク時に遭遇した(11月16日)。九頭竜湖オートキャンプ場のメタセコイアの紅葉、ダム湖に映る周囲の山々の錦織なす紅葉の景色は素晴らしかった。そんな光景を、所々で車を止めてカメラに収めてきた。ただ惜しむらくは、山のモミジには鮮やかな赤、朱色がないことだ。
紅葉狩人
「さぶろく会 東京例会」
恒例の東京例会は11月14日(日)弁慶橋「清水」にて行われました。
富山から2名、名古屋からの2名を迎え総勢20名の参加となりました。
斉藤半太郎君からのメッセージ朗読、 伊東平隆君の著書「人生はDNAの
出たとこ勝負」の紹介と回覧、 各自の近況報告、 50周年記念大会のキャラバン
宣伝部長こと岡本泰治君の大会のお知らせと参加の呼びかけ等もあり大変賑やか
な楽しい一時となりました。
尚 来年度の幹事は下谷内 裕君、新保 洋一君、浅井 美智子さん、森 萩子さん
となりました。
来年度の東京例会は50周年記念大会との関係上 平成24年2月か3月となりそう
です。
22年度幹事 鈴木 眞弓 森 萩子 木本 英明 萩原 勲
酔魚 記
欧州の王軍の後方で、工作して支援する人を 「エンジニア」といった語源がある。私もかって一企業のエンジニアであったが、基本的に戦士と支援者の構造は今の企業にもあてはまる。 昔は全員戦士じみていたが、後方に力点を置くと有利とみた企業は、私のようなエンジニア、研究者、医療スタッフなどを大切にしてくれた。 企業は戦争ではなく生産する所だが、縁の下の力持ちの多くの人によって成り立ち、成果があとで分配される。 ゴールに入れる本田氏よりアシストするスタッフで決まる現代はスターやヒーローを昔のように多く作らないが、世界的に進化しているのは後方部隊の充実だろう。ましてや現代は長寿化であり、戦士を止めたOBが支えてくれる力も大切。 英雄の時代よりアシスト者の時代かもしれない。 俺は半太だ!!!
14日(日)、12時からの「さぶろく会・東京例会)」に今少し時間があったので、久しぶりに都会のオアシス的存在の新宿御苑を散策し、木々の黄葉を楽しみ秋を感じてきました。
まだ11時前でしたが、かなりの人がもう既に来ていました。楓の黄葉はまだ見られませんでしたが、桜、イチョウ、ユリノキなどの紅、黄葉が見られました。なかでも、イチョウとユリノキは他の樹を圧倒していました。また、広い芝生の中の菊花壇と木々の向こうにそびえる、ニューヨークのエンパイアステートビルの様なビルの姿が印象的でした。
** ユリノキ・・・・・モクレン科ユリノキ属 北アメリカ原産 初夏にチューリップによく似た花が咲く。この木は、明治9年ごろに日本で初めて植えられたもの。苑内では最も高い木。明治40年には、採種された種子から街路樹用苗木が大量に作られ全国に広がった。
紅葉狩人

「瑞光庵の公孫樹」の阿南町から国道418号線を走り、売木村を通り過ぎ、平谷村から国道153号線(三州街道)を愛知県豊田方面へ走る。愛知県境まであと1km位の長野県最南端の地、根羽村の月瀬神社境内に1本のどっしり構え、天高く聳え立っている大杉を見る。長野県内では、全ての樹種を含め最大で、杉としては全国で6番目にランクされている巨樹である。
樹齢1800年といわれる。まさに巨大な古木で、まことに堂々たる貫録だ。地元では、大杉の枝が折れるのは変事や悪いことが起きる前兆であると伝えられているという。事実そんな例が過去にあったという。地元の人々によって、月瀬神社の御神木として古来大切にされてきたようだ。しかし、この巨木も伐採される危機が幾度かあったという。
弘化元年(1884)、江戸城本丸焼失後の復興用材として要求されたこともあるという。又、明治41年(1908) 、村内神社統合の際には、大杉が売却されることになったが、月瀬地区全住民の団結の力によって保存され、現在に至っているという。大杉の周辺は公園として整理され、今も住民に手厚く保護されていることが分かる。幸せな樹である。
「月瀬の大杉」 国指定天然記念物
樹高 40メートル 幹回り 14メートル 推定樹齢 1800年
所在地長野県下伊那郡根羽村 5814-1 月瀬神社
「巨樹探訪」熱中人