第3回八幡文化講座を下記のように開きます。
日時 5月8日(日) 午前10時30分から12時
場所 金沢市花園八幡町ハ100 伊東宅
講師 クリストフ・モリン氏 (フランス人の化学者)
題名(仮題) フランス人が四国88か所巡礼を歩いて
スライドを使って話す予定です。使用言語は英語ですが、ゆっくりと話してもらいます。
なお、午後から恒例の筍会を行います。どうぞご参加ください。
金沢大学附属高等学校36年度卒業同期会
第3回八幡文化講座を下記のように開きます。
日時 5月8日(日) 午前10時30分から12時
場所 金沢市花園八幡町ハ100 伊東宅
講師 クリストフ・モリン氏 (フランス人の化学者)
題名(仮題) フランス人が四国88か所巡礼を歩いて
スライドを使って話す予定です。使用言語は英語ですが、ゆっくりと話してもらいます。
なお、午後から恒例の筍会を行います。どうぞご参加ください。
岐阜県多治見市の北部に虎渓公園という桜の名所がある。桜のシーズンには多くの人で賑わう所である。その公園に接して、ひっそりと静まり返っているのが虎渓山永保寺という臨済宗の古刹である。妙心寺派の寺が多いこの地方では珍しく南禅寺派の寺である。国宝の観音堂と開山堂を有しており、秋は紅葉の名勝地である。
鎌倉末期、夢窓疎石らがこの地方の深山幽谷に魅せられて庵を結んだのが始まりで、中国廬山の虎渓の風景にあやかり虎渓山と名付けけられたという。開山は疎石の法弟 元翁本元(仏徳禅師)、開基は長瀬入道道仁(頼氏)である。暦応2年(1339)、北朝の光明天皇の勅願寺となり、室町時代には守護・土岐氏の保護により、30余の僧坊が立ち並んで隆盛を極めたという。しかし、戦国時代には再三の戦乱で荒廃し、現在まで塔頭として続いているのは、保寿院、続芳院、徳林院のみである。
その塔頭の一つ、保寿院の境内に1本の紅しだれ桜がある。広い境内に桜樹がほとんどない永保寺の中で、唯一華やかな桜樹である。まだ樹齢をそんなに重ねていない、若い樹ではあるがそれなりに自己主張している桜だ。手入れもしっかりとされており大切にされていることを感じさせる樹である。しかし、この桜を愛でにくる人は稀なようで、私が行った時も誰もいなかった。
誰にも見られずひっそりと、しかし、ちょっと誇らしげに咲いている、そんな桜が私は好きだ。
花追い人
大阪に「桜の宮」という桜の名所がありと聞き、4月7日大阪へ。JR大阪環状線桜ノ宮駅で降り、すぐ前の大川端へ。源八橋から桜宮橋の間、満開の桜並木が続いている。大阪市民の憩いの場「桜の宮公園」である。駅から、街角から、人々があふれ出てくるように続き、皆桜のトンネルの中へ消えていくという感じだ。桜の下では宴会が繰り広げられている。まことににぎやかな限りだ。桜はすべてソメイヨシノだ。
公園に接して走る道路沿いに、「桜宮」という神社がある。今は狭い境内だが、昔はこの神社の境内そのものが桜の名所であったようだ。それも遠く平安の昔からだ。其の頃、西行法師がこの宮で「神風に心安くぞ 任せつる 桜の宮の 花の木のもと」と詠んでいる。また、明治に至るまで多くの文人墨客が花見の時期にはこの宮を訪れたようだ。
神社の由緒書には次のようにもある。「豊臣氏桜を愛し、馬場に馬を進めて落花の下に勇壮なる流鏑馬式を行いたり・・・・・・・。社地は淀川の清流に臨み桜樹多く、陽春美観を極め・・・・・・・・・・。」
また、明治18年の洪水で旧観を失った後でも 「幾多の茶亭軒を連ね宴席を設けて客を引き、鐘、太鼓ばやし等各様の見世物相競いて群衆を招き、境内更に場所狭きに至る。名物「さくら団子」「木の芽和え」」、八百市岩国屋の「蓮飯」に味覚を誘い、花既に爛漫たるに至らば香雲漠として一堤を覆い、艶姿清流に映じて美観極まりなく、江上には粋人赤毛氈、紅提灯の屋形船相ふくみ岸に上がり、且つ塵埃を避けて船中に楽しむもあり、蓆座に瓢傾くもあり、「歌舞伎」「即興道化」するもあり、法界師右往左往に縫い回り、境内堤上共に賽者群列其の雑香まことに名状すべからず・・・・」とある。
いま、この「桜宮」の周辺はラブホテル街となって夜を彩っている。
4月4日(月)太閤山カントリークラブにおいて春のさぶろくゴルフ北陸大会が開催されました。優勝は伊原勝一君でした。参加人員は残念ながら7名と少なく、その分皆さん頑張って平均ストローク数は108.7(全員の総ストローク数:761)となりました。この成績に声の大きさを加えるとまだまだ元気なグループに違いない。
皆さんからブログに投稿するように指示をもらいながらすっかり失念して2週間が過ぎてしまいました。申し訳ありません。新たな仕事が発生するとそれまでやろうとしていることがすっかり頭の中から消えてしまうことが最近良くあります。これはいわゆる認知症なるものか、正常なる老化なのかはよくわかりませんが、一応思い出したのだから、認知症としても、認知症度:レベル3ぐらいかなと自己診断しています。
taiji
三宝院の入り口は、ものすごい数の人でごったがえした状態だ。やはり、醍醐寺といえば三宝院なのか。はたして、三宝院の敷地内には、どんな桜があるのか興味津々で門の中へ入った。
三宝院は、永久3年(1115)第14世座主・勝覚僧正の創建になる。醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主の居住する坊である。国の特別史跡・特別名勝となっているこの三宝院の庭園は、慶長3年(1598)豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して、自ら基本設計した庭であり、桃山時代の華やかな雰囲気を伝えているという。残念ながら、この素晴らしい庭園をカメラで撮影することは禁じられており、撮ることはかなわなかった。
門を入ってすぐ左側に、今盛りと咲き誇っている見事なしだれ桜が目に入る。更に奥に進み左の修証殿の庭に進むと、桜に囲まれた庭の中央に休み処が。周囲に五三の桐紋を染め抜いた紅白の幕が張ってある。しばし、秀吉の「醍醐の花見」気分に浸る。
花追い人
三宝院、霊宝館の門前には、長蛇の列が。中へ入るには600円の拝観料が必要とのこと。その拝観券を購入するべく並んでいるのだ。行列の短い霊宝館で2館共通券(1000円)を求め、先ず霊宝館から拝観することに。
醍醐寺には、創建以来伝えられてきた仏像、絵画、工芸品など10万点以上(含 国宝41点、重文63692点)の寺宝があるという。霊宝館は、これらの貴重な寺宝の保存と公開を兼ねた施設として、昭和10年(1935)開館。昭和54年(1979)に新収蔵庫3棟を新築、平成13年(2001)には、上醍醐薬師堂の本尊・国宝 薬師三尊像を中央に安置する大展示室が増築された。
敷地内の庭園はまことに広大なもので、その中にゆったりと枝を垂らしたしだれ桜が様々な姿を見せていた。長い白髪が風にそよいでいるようなもの、しだれ柳に新雪が降り積もったように重く垂れさがったようなもの、雪を冠った山のようなもの、いろんな姿に見えるしだれ桜の競演だ。そんな中に、ソメイヨシノの古木の1本が大きな存在感を示していた。いずれの桜も、秀吉時代からの古木ではないようだが、それでもなかなか見事な桜木で、さぞ「醍醐の花見」もこのように艶やかで華やかな光景だったのだろうと想像できた。
花追い人
今年もまた桜の花の季節が到来しました。草木の芽ぶきと共に桜の花がかいかすると、なんだか心が浮き浮きして、体がじっとしていられなくんるのだ。まさに、日本の春は桜だ! 平安の昔、在原業平が 「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」と詠んでいるのも、うなずけるというものだ。
今年最初の桜めぐりは、京都の桜、それも秀吉の「醍醐の花見」で有名な醍醐寺だ。醍醐寺は、弘法大師の孫弟子 理源大師・聖宝が、貞観16年(874)醍醐山上に草庵を結び、准てい、如意輪の両観音を彫り、堂宇に安置したのが始まりという。その後、醍醐、朱雀、村上の三帝の深い帰依によって、次々に堂塔が建立され、天歴5年(951)に五重塔が完成し、山上山下にまたがる大伽藍が整った。その境内の広さは何と約200万坪というではないか。平成6年(1994)には、世界文化遺産に登録されている。
4月6日、京都市営地下鉄「醍醐駅」を降りて、いざ醍醐寺へ・・・・・・・。とにかく、すごい人出だ。駅から寺の総門に至るまで、まるで蟻の行列の如くだ。昨年の姫路城と全く同じありさまだ。総門前の白いしだれ桜から始まり、仁王門前までの参道の両側には、ソメイヨシノが今は盛りと咲き誇っている。また、霊宝館の敷地にあるしだれ桜が塀越しに優美な姿を見せている。あまりにも多くの人が歩いているので、砂ほこりが舞い立ち、私の黒い靴がいつの間にか白灰色に変わってしまった。
だが、いずれの桜木もまだ若木で歴史を感じさせない。これが醍醐の桜か?・・・・・・
花追い人
高校球児のエースの多くが 肩を壊し のち使い物にならなくなるように 受験高を出て 支障をもつ人
少なくない。 それをなくすると 秀でる点も消え ただのひとになりがち。 しかし 小中の 同期とは どこか違う 歯ごたえが附高卒にはある。 個人として 価値ある人が多い。 これから日本は 個人主義が大切だが 高校がつくってくれたものでなく 各人が 自分で磨いたものかもーーー。 俺は半太だ!!!
小学 中学 高校 大学 の{学}の字は 子に 知識の冠被せ飾ることで 子はやがて 生長し 殻を破る。 学者馬鹿とは 世間にうとい 子の世界を言う。 高校の頃の 知識 人脈だけをいかすのは 幼稚。 かと言って 捨てるのももったいないが 過学歴時代 実業の世界 さらに引退の世界でこそ 人の真価が 問われる。 俺は半太だ!!!