帰郷した折には、よく金沢の街中を歩くようにしています。街のあちこちに、そんなに広くはないが、「〇〇緑地」というものが点在しているのに最近気がつきました。寺町台には、「新桜坂緑地」「寺町鐘声園」、尾張町周辺には、「彦三緑地」「主計町緑水苑」、その他、「黒門前緑地」「長町緑地」「此の花町緑地」等々があります。緑地内には、トイレ設備もあり、街中を散策する人には格好の休息所になっています。
4月末から5月中頃の時期には、必ず立ち寄るようにしてる所に「彦三緑地」があります。5月13日、JR金沢駅前のベニバナトチノキを見た後足を運びました。ちょっと時期的には遅かったようですが、それでも、白、黄、橙、桃、紅、赤、朱など、彩り豊かなツツジの花が、私を迎えてくれました。中には、「ツツジ資料館」もあり、ツツジの種類の多さに驚きました。そんなツツジの花に彩られた緑地の中央には、この地方では珍しいクスノキの大木がでんと聳え立っているところも私の気に入った所です。
資料館内の説明によれば、この場所は、元々加賀藩士の遠田自省(とおだよりみ・・・1350石)の住んだ屋敷跡だそうです。6代藩主前田吉徳の時(1723?1741)、藩に対する自省の功労が認められ加増の御意があった時、自省は、「ご加増は不要です。それより殿のお力添えでツツジの樹を頂戴したい」と願い出たところ、その願いが聞き届けられ、ツツジの庭が造られたとされています。それが「遠田のツツジ」として、今も緑地の一角に残っています。当時は、ツツジは貴重な樹木とされていたそうです。
又、この緑地のある彦三町は、金沢城の西内惣構堀と西外惣構堀の間に位置する武家地であり、町名は地内に上屋敷を構えていた、不破家代々の通称「彦三」にちなんで名付けられたもの。
不破家とは戦国時代、不破河内守光治は美濃斉藤氏の家臣で、稲葉一鉄、安藤守就、氏家卜全と共に西美濃4人衆と呼ばれ、織田信長の家臣となっては、越前府中(武生)にあって柴田勝家の下で、佐々成政、前田利家と共に府中3人衆と呼ばれていた。光治の長男、彦三直光は前田利家の家臣となり加賀8家の家老職ではないが、3万5千石の人持ち組の重臣として金沢城北面、浅野川に面した現在の彦三町に広大な屋敷を構えていた。
旧彦三1丁目と、母衣衆の組地があったことから町名になった旧母衣町は今は、「こまちなみ保存区域」となっており、藩政時代からの小路を歩いていると歴史を感じる建物がまだ随所に見受けられます。
望郷人
私は 父方は津幡の出 母は新湊出で 附高で 田舎タイプが 良い意味での かけひき 陽動作戦を知る。金銭 物品もかけひきあるが ひととひととの かけひきに 触れる。 勿論 数学物理できても かけひきに縁なき同期も多かった。 株でも かけひきは悪くなく 目的は 必要な所へ資金を流すように ひととのかけひきも 必要な所へ 頭脳 人材流すことである。 金沢 星稜高でも スポーツ通じ おなじくかけひきが あろう。 しかし あまりこれやると 疲れが出 草花か天体望遠鏡みていたくなる。 今老いて 異性を含め ひととの かけひきも すでに 固定化に向かい あわれでかつ 安定しつつある。
俺は半太だ!!!
ベニバナトチノキ(紅花栃の木)という樹木をご存じでしょうか?セイヨウトチノキ(マロニエ)とアカバナアメリカトチノキの交配で生まれた園芸種だそうです。名前の如く淡紅色から濃桃色を帯びた華やかな色をしたかわいい花です。私はこれまで、福井県大野市の街路樹でしか見ていませんが、そのベニハナトチノキがJR金沢駅前の駐車場の周囲にあるのを、先日5月13日初めて知りました。日航ホテルや全日空ホテルの近代的な高いビルを背景にし、赤い花をたくさんつけた西洋風の街路樹は、新しい金沢の町の風景でした。確かな本数は数えませんでしたが、15?20本ぐらいはあると思います。
旧金沢市内のメインストリートには、杜の都と言われてきたにもかかわらず、意外と街路樹はありません。もっと、このような花の咲く樹木が街路樹としてあってもよいのではと思いました。
望郷人
5月15日(日)中軽井沢カントリークラブで恒例の東京さぶろくゴルフ会が開催され、表題のとおり木本英明君が見事優勝しました。昨年10月に続き連続優勝です。参加者は総勢9名となりました。この会もかなりの回数を重ね、参加者もそろそろコケの生えそうな年代に入りつつあります。長年続いてきたのも永久幹事の長秀隆君のお世話のおかげと感謝しています。とりわけ今回は2度の大手術の直後にもかかわらず、ゴルフ場、宿泊の手配のみならずプレイにも参加してくれました。写真を見てください。昨年の長君より少しスリムになって顔色もよく一同安心いたしました。それでは秋の卒業50周年記念大会を楽しみに。

白馬村・貞麟寺の糸桜を見た後、安曇野の池田町広津にある成就院へ向かう。寺は山深い山中にあった。よくもま?こんな所にという感じの場所である。桜はこの寺の参道脇の石垣の上に立っていた。かなり大きなシダレザクラである。これが「成就院の枝垂桜」である。ここは山中とはいえ、白馬村と違いかなり暖かいのだろう。今まさに満開の状態であった。周囲はすべて緑に囲まれているとはいえ、この日は春霞なのか、黄砂の影響なのか、ボヤーッとした中で、桜の花が淡雪のように霞んで見える。樹高10m、幹回り2.5mもあるシダレ桜の大樹である。町指定の天然記念物の桜木である。
この寺、来鳳山成就院は元亨元年(1321)開創の曹洞宗の古刹である。明治7年(1874)、廃仏毀釈にあい諸堂伽藍を焼失したが、明治7年(1882)寺籍復活し、昭和28年(1953)本堂が再建された。このシダレ桜は、享保年間(1716?1736)の諸堂伽藍の落成を記念して植樹されたという伝承がある。
花追い人
糸魚川から姫川の沿って国道148号線を南下、小谷村を過ぎ白馬村へ入る。仁科三湖の一つ、青木湖の少し手前、神城沢渡地区に目指す貞麟寺がある。
本堂前に、3本の主幹から其々細い小枝をいっぱい垂らしているシダレ桜がある。これが別名「貞麟寺の糸桜」と呼ばれているシダレ桜の巨木である。信濃町の「原の閑貞桜」と並ぶ桜の古木且つ巨樹である。樹齢400年以上、樹高16m、幹回り5mの実に堂々とした姿をしている。村指定の天然記念物である。
しかし、残念ながら今年は5月2日現在、まだ上部の方に一つ二つしか開花しておらず、大部分は固い蕾状態だ。満開になっておれば、残雪の北アルプスを背景に紅色の濃い花が、白馬下ろしの風になびいて、さぞ美しかっただろうと想像してみる。
貞麟寺は山号を祥雲山といい曹洞宗の古刹である。弘治2年(1556)、この地の豪族、沢渡兵部盛賢の母、祥玉貞麟尼が開基したと伝えられている寺で、この糸桜もその当時植えられたものらしい。
けいだいには、カタクリの紫色の群落が、また寺の前の林の中にはアズマイチゲの白い群落が見られた。
花追い人
新潟県糸魚川市の市役所に隣接して、越後の国一宮を称する古社、天津神社がある。祭神は瓊々杵尊、天児屋根命、天太玉命である。景行天皇の時代の創建と伝えられる延喜式内社で孝徳天皇の勅願所であったと伝えられる。古来より、一宮明神と称されているようだが、これは、この地方 沼川郷の一宮ということだと考えられる。又、境内社に奴奈川神社(祭神は奴奈川姫命、大国主命)がある。これも延喜式内社である。
天津神社の拝殿は、今まで見てきた神社のそれとは大いに異なり、横に広く重厚かつ優美な曲線美を持つ*茅葺の屋根を持つ堂々たる建物である。境内は静かで、明るく広々とした広場になっており、非常に開放的な雰囲気で、他の神社のような厳かさは感じられない。そんな境内の一角を八重咲きの桜樹がピンク色に彩り華やかさを演出していた。淡いピンク、濃いピンクの、ちょっと重ったるい感じの桜だが、一つ一つの花を見ていると愛くるしい表情をしている。
花追い人