家の近くに「金沢市立安江金箔工芸館」があり、金箔の製造実演や金箔を使った名品などが見られる。金沢特産品の金箔の職人安江孝明氏が設立したもので、長男は中学の私の5期先輩で岩波書店社長になって早逝された。
金細工の「きせる」が並んでいると言うので行ってみた。
金、銀、黄銅を使ったすばらしい昔の「きせる」が4本あった。
刻みたばこを吸うために使用する「きせる」とは カンボジア語から来たとものの本にある。
私も時々祖父の使った銀きせるを取り出してみている。
きせる、キセル、煙管、管と書き方はあるが、刻みたばこが極端に少なくなった今、完全な美術品扱いとなった。金沢は全国の99%の金箔生産地で、金閣寺のも全部当地産だが中国産が伸び出し業界もうろたえている。
昔、殿様が金をあつかう高級職人を保護し、税を免じていたので、職人の住む町を「大衆免」町と言ったが、いかにも生活保護で税を免ぜられていたと誤解されやすく、町名が変更された。
私の同級生もその町で金箔職人をやっている。
俺は半太だ!!!

いつものタケノコの皆さん(さぶろく会 筍分科会?)が竹山整備に駆けつけてくれました。11月15日当日は雨が降ったり止んだりのあいにくの天気でしたが、慣れない山仕事に精を出していただきました。筍山の上り口に何本もの竹が倒れていて道を塞いでいましたが、これを除いて通りやすくしました。また中腹まで、倒れたり枯れたりしている竹を除きました。来年の筍が楽しみです。終わってからお茶を飲みながらいろいろな話をしましたが、ずいぶん盛り上がって時間を忘れるほどでした。みなさんどうもありがとうございました。(写真がうまく入らないため文章のみで失礼します 竹伐り翁)
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私の4歳の時、終戦で食糧難だったが、亡母の実家が農業で私は丸々としていて赤ちゃんコンクールで優勝したとか。
森山1丁目からの通園でよく登園拒否をおこし母におんぶして連れていかれた。
友とじゃれあって飛び込んだのが、ピアノを弾く女の先生のスカートの下だったこともある。
足の悪い子が、イエス様によって一家が幸せになる劇の主役をやったが、むつかしかった。
皆で交番へ花を持っていき「おまわりさん!ありがとう」と言った。
卒園後5年間、日曜学校へ通った。
数十年東京で働き、金沢へ帰ったら当時の石風呂先生が寺町でお元気だと聞き、明るいニユースだった。
勤めていた女子行員の多い以前の職場には、託児所が各工場にあったが、幼稚園とは子供中心の名で託児所は見守る大人の立場の名であろう。都内で高校同期会があり、相手と私は馬場幼稚園だったと話が進み、私はさくら組相手はうめ組までにおよんだ。
私達の頃は通う子供もごく少なく、今、街に多くの送迎バスが走るのを見て、変わったなあと思う。その頃実に大きくみえた園の建物が、こじんまり見えるのは自分が大きくなったからか。
その頃の一年間は実に永かったが、今60歳を過ぎ一年はアッと言うまに過ぎる。これは5歳の一年は五分の一、60歳の一年は六十分の一と充実度が違うという説もある。
この時までは良かったが、長じて貧乏はするは、病いもするは、しかも両親、妹はこの世から去り、生きてるだけの凡人となりつつある。
そんなものさーーー人生に深い考えの人は言う。
幼き頃が一番楽しかったのは、他の方もそうではないだろうか!!
俺は半太だ!!!