酒債は尋常 行く処に有り
人生七十 古来稀なり
杜甫 七言律詩「曲江」
「李白の酒に較べれば杜甫の酒はにがい。この詩でも、酒の借金は当たり前で到る所にある、どうせ人生七十まで生きる人は古来稀だと歌う。折しも盛唐の栄華は尽き、動乱・災害に明け暮れる時代だった。杜甫はその時代にめぐり合わせ、生涯貧乏につきまとわれたが、そのためかえって自然と人生をえぐるように深く見た。」
「折々のうた 三百六十五日」大岡信著より
「国破山河在」で知られる杜甫は七百十二年の生まれ。七百七十年に没したから五十八年の人生だった。詩のなかでは古希について歌ったが自らは古希を迎ええなかった。当時の平均寿命が何歳だったか知らないが、七十歳まで生きるのはそれこそ相当稀な難事業だったのだろう。
今、日本は長寿社会となり古希といってもさほど稀なことでもなく、私たち同期生もこの四月から一年かけて順次古希を迎える。
今は「折しも盛唐の栄華は尽き、動乱・災害に明け暮れる」という時代とは異なるが、よく似通っているような気がする。Japan as NO.1と驕った日本経済はリーマン・ショックで転がり落ちるように凋落、そして東北大震災と福島原発に見舞われ、明日にも列島を襲うかもしれぬ巨大地震の恐れ、長期化する深刻な不況のもとで生活基盤そのものが崩壊するかも知れないという不安等々、
まったく閉塞状態という言葉がぴったりする。
こんななか「どうせ人生七十まで」だったらまだしも、もっともっと生きることになるのだから、「どうせ人生百まで生きる人は古来稀なり」とギア・チェンジして人生を送っていかないとまずいのかも知れない。
古希はそのスタートである。お互い明るく元気で「余生」を楽しみましょう。
ついでに長寿の祝いについて調べてみた。江戸時代以前は、四十歳から始め十歳刻みで行われたが、江戸時代に入るとすたれこのうち古希の七十歳だけが残り、江戸時代に広まった還暦、喜寿、米寿とともに以降行われるようになったようである。江戸時代には四十歳、五十歳ではもう長寿の祝いをしてもらえなくなったのかも知れない。
長谷川 2012年 3月27日記