本年度の筍会は好天にも恵まれ、また表年でもあって1時間半ほどの間に80本余りの収穫がありました。急な勾配を上り、慣れない鍬の作業、重い筍を持っての下山等十分堪能していただけたと思います。また、筍山の整備もやっていただいてありがとうございました。都合で参加できなかった方のために、第2回筍会を次のように行います。まだ十分出ていると思いますので、ぜひご参加ください。
金沢大学附属高等学校36年度卒業同期会
![]()
![]()
![]()
春の山里は本当に緑と花にあふれている。スイセン、チューリップ、レンギョウ、ボケ、モモなどの花が咲き乱れていて美しい。モチロン、サクラの花も。しかも、そんな中でもひときわ目立つ存在なのがサクラだ。サクラを求めて車を走らせる山道の途中、思わぬ見事なサクラの光景に出合うことがある。
今回の南砺市のサクラを見ての帰り、小矢部から石川県の津幡へ抜ける途中、小矢部市八講田の集落の入り口に、見事なベニシダレザクラが咲き乱れているお寺を見て、思わず車を止めてしまった。日蓮宗の仏眼山 本叡寺というお寺だ。境内の中、それに続く広い墓地の周辺に濃紅色があふれていた。あまり知られていないのか、人影は見えなかった。そんな中で一人思う存分サクラを満喫してきました。
花追い人
![]()
富山県の桜名所の一つに 「浄教寺手まり桜」が挙げられていたのを思い出し、「向野の桜」を見た帰途、小矢部市興法寺にある浄土真宗本願寺派の小森山浄教寺を訪ねました。
名前からしてちょっと珍しい桜だろうと期待していったのでしたが、境内にある1本のなんとなくみすぼらしい樹がその手まり桜と分かった時は、正直ちょっとがっかりしました。まだまったく開花していない様子でした。しかし先客がいて、盛んに下からカメラで撮っているのを見て、のぞいてみると、色ずいた葉に交じりピンクがかった白っぽい花がいくつか見えました。よく見ると花弁の多い菊桜でした。一つ一つの花を見ると、とても美しい花です。
家に帰り調べてみると、この桜は、富山県中央植物園の調査研究により、平成21年(2009)新品種として発見されたもので、現在この1本しか見つかっていないそうです。樹齢150年以上の古木の桜で花弁が100枚以上に及び、球のようになる様子から、新品種として判明後、住職により「浄教寺手まり桜」と命名されたそうです。純粋なヤマザクラが菊咲き(花弁10枚以上)になったもので、大変貴重な桜だそうです。
花追い人
前々から是非見てみたいと思いながら、なかなか訪れる機会がなかったのですが、21日(土)ついに目的を果たせました。 富山県旧城端町の市街地から少し南へ行った所、山田川に架かる向野橋のすぐ近くの東側の土手に立っていました。田園風景が広がる中に、満開の状態でしたので、遠目からでもすぐに分かるほど目立った存在でした。自生する、1本の大きな江戸彼岸桜です。
四方に大きく枝を広げ佇む姿は、あたかも横綱なの土俵入りを連想させるような、どっしりとした見事な樹形です。残雪の連山を背景に、淡いピンク色の花が 咲く光景は見事というほかありません。これぞ、1本桜の醍醐味です。又、川を挟んだ水田に映る姿も格別です。岐阜県下呂市にある「苗代桜」を思い起こします。おそらくこの桜も、種まき桜とか苗代桜とか呼ばれ、その開花は農作業の目安になっていたのではないでしょうか?
樹高15m、幹回り8.5m、推定樹齢約100?150年の巨木です。
花追い人
小松市遊泉寺にも、地元では有名な桜の風景がありました。桜の前の立て看板には、「う川古代桜」とあり「うがわいにしえざくら」と表記されていました。桜はソメイヨシノですが、結構年代を経た古木で、4本、2本、計6本の木が並び立っていました。大きく左右に枝を伸ばし、のびのびと育った桜木です。花は今が盛りと咲き誇っていました。とくに、2本並んだ樹はお互い手をつないで外側に体を倒しているようなスタイルが面白かった。また、手前に黄色の菜の花があり、桜の花の色との対比も絵になっていました。桜の背景には、水を張った水田が広がっており、のんびりとした田園風景でした。
この桜のある場所は、以前北陸鉄道・小松線の終着駅でしたが、昭和61年(1986)廃駅となった鵜川遊泉寺駅跡でした。
ここ遊泉寺地区は、今や世界的な建機メーカーとなった「コマツ」発祥の地で、遊泉寺銅山跡があります。又、この地には遠い昔、鵜川涌泉寺という白山中宮八院の一つとして勢力をもっていた寺院がありました。白山?最盛期の安元2年(1176)、白山衆徒と国司との間で涌泉寺事件なるものが起きています。又、ここからほど近い原という地は、平家物語にも出てくる有名な仏御前の出生地です。いまは、国道360号線沿いに彼女の墓があります。
花追い人
20日、小松市の山里にも1本のシダレザクラがあると聞き訪ねてきました。その名も「千恵子桜」といい、何かいわくありげな桜だ、そんな思いで車を走らせました。旧尾小屋鉱山方面へ向かう国道416号線を、途中光谷川に沿ってしばらく走ると、松岡という集落の中にありました。民家の屋根よりも高い樹だったのですぐわかりました。
上山田の喜多家のシダレザクラよりも、ひと回りほど大きな樹です。枝ぶりも良く、なかなか優美な姿をした樹でした。樹高17m、幹回り2.74mもある巨木です。約60年ほど前、この集落に住んでいた人がブラジルに嫁ぐ姪の千恵子さんの健康と多幸を願ってシダレザクラだそうです。樹齢60年にしては、とても立派に育っています。現在は、町の愛好家たちが歩道の整備や施肥、清掃などを行っているとのことです。
石川県内には、あまりシダレザクラがないと思っていましたが、結構立派なシダレザクラがあちこちにあることを再認識しました。
花追い人
桜はシダレザクラがよい。もちろん一本桜で、それも歳月を経た古木がよい。風に揺れる幾筋もの細くて長いピンク色の枝は、艶っぽく、艶めかしく、風情がある。静かな山里にあればなおよい。
喜多家のシダレザクラを見た後、次に向かったのは、そんな条件にぴったりな浄蓮寺という山寺にあるシダレザクラででした。それは、石川県宝達志水原という山深く入った、静かな山中にありました。途中、行けども行けども人家が見当たらず、道を間違えたのかと思ったくらいだ。しかし、その山中の道の片側にはソメイヨシノの並木が、今盛りと咲き誇っていました。この道をどんどん進めば、宝達山に達するそうです。
浄蓮寺は、原という集落(4?5軒)の真ん中にひっそりと佇んでいる、真宗大谷派のお寺でした。本堂の前に立つ桜はなかなか風格のあるものでした。枝ぶりもよく、長く延びた枝先が地面に着くほどで、まことに堂々とした中に気品のある姿をしていました。只残念ながら、遅くまでの雪のせいで、まだ5?6分咲きといったところでした。又、枝の先の方には、除雪機により傷められ花が付いておらず、ちょっとさびしい感じでした。満開であればさぞかし見事な眺めであったろう。
このシダレ桜は、宝達志水町指定の文化財です(昭和63年指定)。
花追い人
今年の北陸地方の桜の開花は、1週間から10日ほど例年より遅れているといいます。16日の新聞の「かほくの喜多さん方のシダレザクラ満開」の記事を見て、18日(水)天気もよかったので早速行って参りました。
石川県かほく市上山田・喜多久雄さん方の前庭にある、市指定の文化財のシダレザクラです。明治28年(1895)喜多家15代善兵衛(現当主の祖父)さんが金沢の兼六園より種子を持ち帰り、現在の場所に植えたものだといいます。「ウバヒガン桜」の一変種で別名「いと桜」ともいわれるものです。高さ13mもある巨木で、樹齢110年を超えています。
長く垂れた細い枝が風にそよいでいて、とても優雅な姿をした樹です。兼六園のシダレザクラといえば、瓢池の中にある石塔の傍らにある、今は無残な姿をしている老木がありますが、あの2代目ということでしょうか?
喜多さんは気前よく自宅の庭を無料で開放し誰にでも見られるようにしています。毎日市内外から多くの見物客が訪れているそうです。喜多さん宅の近辺にはこの他にもシダレザクラが数本ありました。
花追い人
4月も10日を過ぎ、ようやく北陸にも春が訪れたようです。待ち望んだ桜の季節です。つぼみ、つぼみと表示されていた桜だよりも、10日 初めて咲き始めという表現に1部変わりました。そして、3日目にはもう満開という何と慌ただしいことだろう。花追い人としては、とてもじっとしてはおられません。13日、金沢へ出かけ金沢城公園、兼六園などを巡り、今年初の桜を堪能してまいりました。
兼六園を出て小立野通りを少し歩き、紫錦台中学校前から犀川方面へ下る二十人坂の近く、小立野寺院群の一画に慶恩寺(きょうおんじ)というお寺があります。加須良山と号する真宗大谷派のお寺です。延徳3年(1491)の創建と伝えられ、木ノ新保から犀川河原町(現・片町)を経て、万治元年(1658)現在地に移ってきたといいます。お城の石垣かと思わせるような立派な高い石垣の上に立つお寺です。その山門を包み込むような枝振りの良い1本のシダレザクラの見事さには目を見張りました。
金沢市指定の保存樹となっている桜の木です。樹高16m、幹回り2.5m、枝張り12mという見事な桜の木です。昭和18年(1943)に植えられたものと言いますから、そんな古木ではありません。しかし、この見事なシダレザクラを愛でている人は誰もいませんでした。もったいない話です。金沢市内では、珍しい数少ないシダレザクラの巨木だと思います。
花追い人