2012年12月の記事一覧
昔は人生50年で晩成組でも50才くらいで大輪を咲かせた。今 長寿化で定年延びても大器は少なくただ生活させてもらって死が遅いだけである。身体の部分で脳が晩成に近く、それでもボケたり、いちがいに言えない。勤めの組織の都合でえらいポストに晩成つくとか第二の勤め先が良い所とか本人の成長の問題でもない。私達70才は早熟組も晩成組も盛りを過ぎた爺さんにすぎない。短命長寿も晩成とは無関係。「まだ生きていやがる。惜しい人を亡くした」 うらでささやかれるからだ。一般に外人は早熟が多くしかし中には90才で書斎で博物学の調べもする英貴族もいる。会合に呼び出されるうちが華でそのうちそれもなくなる。
俺は半太だ!!!
北陸布教に来ると、魚米は容易にとれ人々は働きは中年でやめ 老いた人々は奇習やら寺の中で飲み食いのドンチャンサワギ!京の戒めと言うものをもっとゆるくし北陸なりの楽しみも加えようと考えた。死後も戒律守る戒名やめ法名と称し本山参りも遊楽のようにした。ゆるい仏教の中に土地の豊かさを生かそうとした。何と上人が85才になって子を産んでくれる土地の女も現れた。115人子を作った。今は蓮如忌もすたれつつあるが金沢のだらま文化は続いている。列島の辺地のこの土地はそんなことやっているので文明文化が少しずつ他の都市に移って行った。
俺は半太だ!!!
金沢は日本列島の屋根の半分の水が枯葉と共に富山湾に注ぎプランクトンにより魚が豊か。 このように原石がいいのに住んでいる「人」は大きく高くこの原石を売らない。賢い支店長、役人、商店は外の人 うまいもの並べてあるだけの料理店 不況も始まっている。若者はもっとうまく売る方法考え始めた。人口比学生数全国一、二位の金沢で外からの若者にうまいものを喰わせてあげよう。
俺は半太だ!!!
小、中学校でしゃべり書く国語力が中心で高で理系、医系、文系へと分かれるが国語をしっかり身につけると数学、物理理解が早い。さぶろく句会は国語力をもう一度アップしようと言うこと。ゴルフにも口三味線の力がいる。亡父は国語が好きだったが地主だったので農学の道へ進んだが、本棚に文学書が多くよく私も読んだ。国語うまいと語学へと入りやすい。高校の授業が終わってふざけたのも国語の応用力高めた。私は今でもTELの時の言葉使いに緊張して語を選んでしゃべる。国会も、テレビも、商談も国語力!!
俺は半太だ!!!
鈴木 大拙は子がいなく自分が消えて終わる故 様々な思想を創った。西田 幾太郎は次々と娘を亡くし、自分が削られるので考えが深みに入った。女性歌手は子を残さず(結婚せず)世に歌を残すのに似ている。 かと言ってあとつぎ作り屋の昔の大名達は今はどうかと言われる。思想も思索もない種馬ともいえ 今までの金沢と違って おめかけさんが殆んどいなくなった現在だ。私達は普通の市民になるのが一番!
俺は半太だ!!!
画家陶芸家の指を見せてもらったが並みの人よりうーんと長く細い。農家の母方の年寄りは手首がうーんと太かった。耕すから広大な土地を歩く旧地主だった父は足が人より強かった。遠縁の元武士系のおじさんは顔も体も大きくガッチリして組み合ったら誰にも勝ちそうだった。坊さんとも仲良くしたが、しわがれた声の人はいなかった。問題は頭だが中味は外から見えない。マッサージ師が私の背中を見て労働者形だと言った。(私の弟はそうでない) このように与えられた身体の自分をうまく活用する人が幸せになれる。
俺は半太だ!!!
職場の友人から届いた2012年の賀状には「賀状をやめることを決意しました」とあり、そんな「決意」がいるものかと思った。そんな「決意」もなく、私も永く親しんできた賀状のあいさつを2014年からやめることにした。
秋口から会う機会あった友人数人にその旨サウンドしたところ「いいんじゃないか」「自分も考えていた」といった反応がほとんどであり、それではと「賀状をやめることにしました」という文言の入った賀状を準備した。
ところが「いいんじゃないか」と言っていた友人から「よく考えたらこれは絶交宣言ということにならないか。君がそうしても自分は賀状を送ることにしたいがいいか。たいそう悩ましい問題だ」というメールが届いた。
予期せぬ反応にびっくりし、賀状をやめようと決めたわけ、賀状をやめても今までどおりEメール、携帯メール、手紙やはがきで交流を続けていくこと、むろん相手の人に賀状を送らぬよう強要するものではないこと等を話し、ようやく納得してもらった。
なるほど「たかが賀状、されど賀状」で、賀状にはそんな「重い」意味があることを知らされた。やめるには「決意」がいるというわけだ。
この世では人と人との出会いはまったくの偶然だ。偶然が織りなす人生で、自分には名前と顔がわかり、お付き合いのある人はどれくらいになるものか。多くみても2000人くらいだろうし、賀状のあいさつを交わしたことのある人はそのうちの四分の一から五分の一くらいだ。多いといってもその程度だからこそ賀状の友人は「希少価値」なのだ。
ともかくいったん決めたこと。十二月に入ってこれまでになんらかのご縁があった人すべてを思い出しながら、宛名書き、一言二言の言葉を添える作業を始めた。差し出す相手を思い浮かべながらの夜なべ作業だが、不思議なことに思い浮かんでくる相手の人の表情はすべて笑顔である。
笑顔はいいものだ。実に心和ませてくれる。
2012年12月初 長谷敏
個人主義または集団的個人主義になりつつ自分個人で責任を持たないといけない。大きな市とか大学とか会社の中の無責任な一人で済まされず自分で老いて生きないといけない。皆でワイワイガヤガヤやってたが学校や職場は安易だったなあ!!弱い者は群を成す、 首都圏はそんな人の集まりだった。今からもっとひどくなり逃げ出す賢い人々も増えよう。 個人または小集団として強くなろう!!亡父は在職した大組織を退き晩年個人商店に勤め、以前のサラリーマン生活は温室だったなあ とつぶやいていた。
俺は半太だ!!!