これまで杉の巨樹は何本か紹介してきましたが、今回紹介する「玉置神社の神代杉」は、樹そのものも印象深いものでしたが、その旅自体が印象に残る特別なものでした。
一昨年8月末、JR東海主催の「秘湯・秘境・パワースポットの旅・・・玉置神社・天河弁財天と十津川・洞川・・・」(H23.8.30?9.1)に参加して、仰ぎ見てきた杉の巨木です。
雨の降る中、バスは登山口から12km 山道を走り、駐車場からさらに20分程雨に煙る玉置神社へと歩きました。標高1076mの玉置山の9合目にある社は、高い樹々の林立する中にあり、周囲一面霧の中に浮かんでいるようでした。そんな神秘的な光景の中に、樹齢3000年?を超えるという神代杉が我々を迎えてくれました。周囲の杉に比べひときわ大きく、白い蝋燭を立てたような巨大な塔でした。枝は無く、霞んで見えるてっぺんには着生した木々が冠のように見えた。霧の中に立つその雄姿には神々しさすら感じた。
玉置神社は崇神天皇の時代に創建され、熊野三山の奥の院として古くから三山と共に崇敬を集めきた神社だという。勿論、この神代杉はその頃には既に巨樹として存在していたと考えられる。3万平方メートルという広大な境内には他にも、大杉(8.7m)、常立杉(8.6m)などの巨杉がそそり立ち、昼でも薄暗く、荘厳な雰囲気が漂っていた。境内の杉の樹全体が杉の巨木群として奈良県の天然記念物に指定されているという。
この日(H23.8.31)から降り始めた雨は、それから止むことなくますます激しくなり、遂には9月3日、十津川流域に多大な被害をもたらしたのだ。台風12号の影響だった。我々が通ってきた十津川街道 、R168号は本当に大変なことになった。このことは、皆さんも当時のニュースでご存じのことと思う。
「玉置神社の神代杉」 奈良県指定天然記念物
樹高 20m 幹回り 8.3m 推定樹齢 3000年?
所在地 奈良県吉野郡十津川村玉置川1 玉置神社内
( 撮影日 H23.8.31 )
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「巨樹探訪」熱中人
巨樹探訪も、一昨年11月の「蒲生の大クス」以来随分御無沙汰しました。というのも、50年振りの故郷へのUターンに伴う引っ越しの準備や、引っ越し後の荷物の整理などに追われ、そのうえ引っ越し後の7月初め、親父(義父、93歳)の入院、手術、退院後の介護等で、旅する余裕がなかったのです。ここにきて、ようやく落ち着いてきたので又、「巨樹探訪」を続けてみようと思う。といっても、リアルタイムではなく、これ
まで紹介してきた巨樹以外で、400本近く探訪してきた巨樹の中で強く印象に残っている樹を順次紹介していきたいと思う。また、新たな巨樹を探訪できれば、その都度紹介していきたい。
まず最初は、一昨年11月鹿児島県薩摩半島を一周した折、南さつま市坊の津町秋目で見た「秋目のアコウ」という、あまり聞きなれない珍しい樹です。
「秋目のアコウ」は異様な姿態をした、妖怪の様な樹だった。アコウの樹は奇観で知られているものが多いというが、想像以上に奇怪で凄じい大アコウであった。岩盤上から立ち上がった幾本もの支幹は勝手に四方八方に伸び、其々の枝が又身をよじらせるようにあちこちに伸び、複雑に絡み合っている。しかし全体的には傘状の樹冠を形成しているのだ。そして、この樹に藤の蔓が絡み合っているので、余計ややこしい状態になっているのだ。また、浮き出た静脈の様な気根が幹にへばりつくように伸びていた。傍らの説明板には、「樹齢千年、樹形日本一、藤の花と共生」と記してあった。また、「クワ科、無花果(いちじく属)、別名絞め殺しの木という」ともあった。
「秋目のアコウ」(クワ科)
樹高 11m 幹回り 9.3m 推定樹齢 不明 (1000年)
所在地 鹿児島県南さつま市坊の津秋目
(撮影日 H23.11.10)
** 奈良時代,唐の名僧鑑真が5度の渡航失敗、両眼失明の苦難を乗り越えて、初めて日本の土を踏んだ地が、此処秋目浦である。この近く、国道226号線沿い、秋目浦を眼下に見る高台に、鑑真大和上 上陸記念碑と鑑真記念館がある。
「巨樹探訪」熱中人
「頭は人 体は馬の怪物画」 中世の欧州では馬のように速く走り荷を引っ張り人のように賢い動物を理想だと創作した。高校の放課後皆私を百姓の体の上に気難しいインテリの顔が乗ってる複合人間と笑った。その為現場労働もし、霞が関エリートも体験したが途中からその逆の悪い面ばかりが表に出てしまった。亡母は純米農家、亡父はインテリの両方の欠点が晩年私の体に出てきたのだ。やはり頭脳派とか体育系とか人は一つに徹して生きた方が楽だ。 俺は半太だ!!!
老いたら皆「受け」だけ狙って生き、本質の部分は大変なので触れないようにする。私も高校時代そうだったが、今のTV民間の昼夜の番組は若いはずのタレントがそれだけで存在している。不況 震災 北朝鮮などの中で生活するには一時的な笑いでしのぐのが容易だが庶民だ。私もシリアスな問題をさけ始めその日暮らし。とりとめなく毎日が過ぎ次世代へと継がる。 「責任は 人にまかせて 桜餅」 俺は半太だ!!!
以前の人生50年の頃の人々は、よく働いて汚名つかないうちに逝き、家庭と社会に敬われて仏となりえた。今あんなにスポーツ出来、色に傾かず仕事もし、社会人を堅持してた私達も引退し様々な誘惑に乗りやすく若い人々は笑っている。法事マニア、家系図調べの熱狂、何でも鑑定団好き、同期の集まりに熱心すぎ、皇潤など薬好き、超多弁または逆に超無口、愛用しすぎの携帯電話 若いころの立派さを徐々に取り崩しくだらぬ事が好きになる。世界一平均寿命が短い米国人にはそれが少ないと言う。 俺は半太だ!!!
高台寺を出、建仁寺を経て四条通りへ。更に阪急電車に乗るべく四条大橋を渡る。鴨川縁の桜はまだ咲き始めたばかりだ。橋を渡り高瀬川に差し掛かると、川の両側の満開の桜並木の光景が飛び込んできた。結構、色とりどりの桜が、川面に覆いかぶさるように枝を伸ばしている。見事なサクラ風景だ。木屋町通りは、その桜見物の客を含めて溢れかえっていた。
高瀬川は、江戸時代初期(1611)に角倉了以・素庵父子によって開削された運河であるという。開削から大正9年(1920)までの300年間、京都、伏見間の水運に用いられたのだ。木屋町に面している高瀬川は、繁華街にある桜の名所で、夜は60基の照明に照らされた200本の桜が長さ1kmにわたり続く様は素晴らしい眺めだそうだ。
花追い人
二寧坂から「ねねの道」を通り高台寺へ。高台寺は、正しくは鷲峰山(じゅぶざん)高台寿聖禅寺(臨済宗建仁寺派)といい、豊臣秀吉没後秀吉の正室北の政所ねねが、慶長11年(1606)開創した寺である。創建当初は広大で、その寺観は壮麗を極めたという。しかし、今残っているのは、開山堂・霊屋・傘亭・時雨亭・表門・観月台等で、現在国の重要文化財に指定されている。
方丈の前庭に1本のシダレザクラがある。大きくはないが、美しい立ち姿の桜である。今まさに満開の状態であった。広い石庭の片隅に立っているその様はデザイン的にも面白い。しかし、4年前に来た時は確か2本並んで立っていたはずだが。その時は、1本はまだ花をつけていなかったと思うが。どうやらその1本は枯れてしまったのだろうか?残った1本のシダレザクラは、寂しくもあり、誇らしげでもあった。
花追い人
清水寺から 又、人込みを縫って五条坂を下り、途中右へ曲がって三寧坂へ。ここも行き交う人の肩が触れ合うほどだ。その坂の途中、右側の「あけぼの亭 井和井」の看板がかかる店の横に、狭い道に覆いかぶさるような1本のシダレザクラが目に入る。見事に枝垂れており、いやでも人目に付く桜だ。しかも、街中の1本桜で絵になる風景となっている。もちろん、カメラを向けシャッターを何度も押さずにはおられなかった。


花追い人



今年もまた桜の季節がやってきた。しかし、今年の桜の開花は、ある日突然駆け足の如く慌ただしいものだった。東京では例年より2週間ほども早く開花し、あっという間に見ごろを迎えてしまったという。これまでの感覚からいえば、入学式には常に桜の花が付きものだったが、今年は、その頃にはとっくに葉桜となっていることだろう。
毎年、桜の銘木・桜のある風景を求めて駆け巡っている私だが、先月末京都東山地区の桜を見てきた。これまでの京都の花見は、平成21年は4月2日、平成23年は4月6日と4月に入ってからだったが、今年は京都も例年より早く、3月30日にはもう見ごろだった。
まずは清水寺へ。五条坂は相変わらず人、人、人で大変混み合っていた。清水寺の桜は、満開になっているもの、7分咲き、5分咲き、咲き始めのものなど、また種類もいろいろあり、何色もの色が混じりあい正に山笑うが如くだった。そんな中に満開になっていたシダレザクラが1本。脇の表示板には、栃木県の阿部 税氏が寄進した 国天然記念物の「三春の滝桜」の子桜とあった。4年前、三春で見た滝桜はピンク色をしていたはずだが、目の前の子桜は純白の花色だった。確か、三春の滝桜はベニシダレザクラだったと思うが、これはどうしたことだろう?
花追い人
渡来してきた仏教は次第に日本式になってきた。外人が「日本には各家の室内に教会がある(仏壇)。亡くなった人に新たに名前をつける(戒名法名)。」と驚いていた。更に今は説教聞くおばあさんが説教聞かないでパチンコ屋へ行き信者が少ないしお釈迦様が「少しほどこしてもらって質素な僧となれ」と言ったのが多ければ多いほど良い となって第二の変化をしていて都会では仏壇もない家が多くなった。(私は在京中はミニ仏壇だった) 昔の三奉行の中の寺社奉行の取り締まりもなく今は県庁が指導することになっているが何もしていない。金沢の400余寺はそれぞれに考えていようがセレモニーホールが出来立派な寺も稼働率が低い。「寺よ変われ」の岩波新書が数年前ベストセラーになった。長髪僧が一番多いのが金沢。亡母の実家では新しい僧が一度実家の養子となり改めて村の寺へ出家して入る形を今も続けている。(浄土宗、富山) 俺は半太だ!!!