生徒会をやらせてもらい、各人の面白い面を憶えている。女中付き一軒家から通学していた者(今開業医)。三年間二回だけ片町を歩いた勉強家(今女医)。下宿の弁当がものたりなく回りの者へ箸をつっこんで失敬していた者(経営者)。卒業写真に証拠残したくないと、うどん屋の二階に隠れていた者(軽井沢に別荘を持つ)。りんご酒を飲んで叱られ校長の自宅へ謝りに行き、わざわざ来たかと梅酒を沢山飲ませてもらった者(企業幹部)。野球部で「汚い物を触るような手つきで球を握るな」と叱られた者(私)。 半太郎です!!!
2015年2月の記事一覧
米人が金沢のバラエティと個人店数の多さに底力をみたと言っていたが、今銀行、大型スーパー、ホテル、コンビニなど東京の支店で溢れだした。金沢弁の「旅の人」による商活動だ。ここ金沢の才のある人は上京し、各高校の良いのは支店長の子息の「外人部隊」で占めている。旧制医科大からの金大(医)も県外からの学生が占める。そして米新大陸の発達で大勢は太平洋側の都市に移る人が多く、ここは個性で勝負の街となった。 半太郎です!!!
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今年最初の巨樹探訪である。これまで一度も登場しなかったカヤの樹である。カヤは針葉樹で、イチイ科の常緑高木で、雌雄異株の樹である。漢字では「榧」と書く。材は床柱などの建築材、碁盤、将棋駒、算盤などにも使われ、実は食用になり、種からは油がとれる。杉やケヤキ、イチョウ程目にすることのない樹である。
今回訪れたのは、名古屋市内の名古屋城内にある、国指定天然記念物となっている「名古屋城のカヤ」である。それは、名古屋城の正門を入ってすぐ左手にあった。推定樹齢は約600年といわれ、慶長15年(1615)名古屋城築城時には既に相当の大木だったと思われる。初代藩主徳川義直が大坂夏の陣に出陣する際、その実を食したと伝えられる。昭和20年(1945)の空襲で半分以上焼けたが、樹勢が回復し、現在に至っているという。
一見、見事な大樹で、枝葉が茂っているが、よく見ると主幹は地上から3メートル程までしかなく、そこから四方八方に伸びた枝が樹を大きく見せているのだ。しかし、主幹は相当に傷んでおり、よくここまで生きてこれたなと思う。大きく広がった枝を多くの支柱が支えている姿は、実に痛々しい感じだ。よくよく数えてみると、何と17本もの支柱が四方八方から支えているのだった。その生命力の強さには敬意を表したい。
「名古屋城のカヤ」 国指定天然記念物
樹高 16m 幹回り 8m 推定樹齢約600年 (現地案内板)
所在地 愛知県名古屋市中区本丸1 名古屋城
( 撮影日 H27.2.4 )
「巨樹探訪」熱中人
在京中 上野公園に一時 数百名のイスラム人が職を求め群れていて、当時の国際テレホンカードを偽造し使い、知っているアパート管理のおばさんが「家賃を払ってくれない」とこぼしていた。 そこで大きな図書館へ行きイスラムの本を探したら、ほんの数冊しかなく日本では研究者もわずかだった。日本は全方位外交しないといけないし、私自身も様々な職の人々と付き合わねば経済に偏った国、知に偏った私になる。金沢市内にモスクが建設中だがーー。 半太郎です!!!
同期の七尾出身の久木 武君、前田の殿様、大学同期の者もいて続々鎌倉へ移り住む。鎌倉時代に造った街へ行く変わり者、江戸期に造った金沢の方がずっとモダン。彼らは建仁寺で葬儀することを最も誇りとしている。(セレモニーホールでもよいのに) 私自身は金沢駅西のセレモニーが便利だろうとマンションを買った。それまでにロスタイム(アドバンスタイム)が残っているので最期まで気を抜かず頑張ろう。 半太郎です!!!
昨年7月から同窓会会員名簿改定版発行の手続きが始まり、全同窓会会員に「掲載事項確認届」が届けられました。
?返送いただいた方には、その内容で、?回答のない方には、同窓会事務局で把握している情報で掲載することで
作業が進められ、1月31日学年幹事あて、この結果を反映した第一稿が届けられました。
これを見ると、?回答のない方が多かったので、メール・アドレスのわかっている方には、個別に確認をお願いしたい
旨のメールをお送りしました。同窓会事務局で把握している情報には、 勤務先が古いままのものが多くありました。
今回改訂の名簿は今後かなり長期間使用されるものですから、この機会になるべく直近の情報を掲載しておくほうが
よいのではないかと思います。2月13日には、印刷会社あて訂正原稿を送らねばなりませんので、訂正を望まれる方は
幹事あてご一報ください。よろしくお願いします。
学年幹事 長谷川敏彦、宮紘司