貧しいインドでは立派な物を贈るより、悲しむ人にいたわりの言葉を、善行な子に褒め言葉を。 これはお釈迦様の教えに入れられ言葉で社会を良くしようとした。科学技術や交通の便より微笑みで相手に対応する植物食のインドから日本に仏教と共に伝わった。愛語ばかり使っていると疲れてきて、たまにはコノヤローとかコンチクショウとか言いたくなる私達。 半太郎です!!!

貧しいインドでは立派な物を贈るより、悲しむ人にいたわりの言葉を、善行な子に褒め言葉を。 これはお釈迦様の教えに入れられ言葉で社会を良くしようとした。科学技術や交通の便より微笑みで相手に対応する植物食のインドから日本に仏教と共に伝わった。愛語ばかり使っていると疲れてきて、たまにはコノヤローとかコンチクショウとか言いたくなる私達。 半太郎です!!!
Comment [1]
No.1老爺箴言さん
「愛語」とは『無財の七施』の内の「言辞施」のことをいいます。
人が到彼岸(とうひがん)、つまり悟りの世界に至るために実践すべき六つの徳目(六波羅蜜)の一つに「布施行」があります。
他人に布施を行うには何か資財が必要と思われがちですが、資財がなくてもできる布施もあります。それが「無財施」で『雑宝蔵経』にはやさしい笑顔で人に接する「和顔悦色施」や慈しみの眼、優しい目ですべてに接する「慈眼施」など七項目が掲げられていて「言辞施」もその一つです。
なお、「房舎施」というのがあって、これは訪ねて来る人、求めて来る人があれば思いやりの心を持って対応することをいいます。困った友人がいたら一宿一飯の施しをしましょう。
南無
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