富山県随一の大河、神通川河口の西側、八重津浜海水浴場の入り口に諏訪神社がある。その境内には3本のケヤキの木があり、鳥居の左傍らに堂々とした姿で立っているのが目的の「大けやき」である。葉はすっかり落ちていて、裸木となっていて、この樹の巨大さはさほど感じないが、繁っていれば、おそらくとてつもなく大きな樹として目に映るはずだ。樹齢1000年を超えるといわれる「大けやき」は越中沿岸の県下有数の大木として知られ、一大名物であったといわれる。地上5m程の所から枝分かれして、斜め上に大きく伸ばした姿は、まだまだ若々しく勢いがある。この「大けやき」を支えるように地上に伸びている幾本もの根は、縦に盛り上がって板根となり、安定感を与えている。
傍らにある富山県。富山市の教育委員会による説明板には、
「昔、ここ西岩瀬は神通川の河口(現在は東市岩瀬側にある)であり、八重津湊として栄え、富山藩の米の移出港となっていた。この巨大老樹は沖を航海する船の羅針盤として、また、航海の安全を祈る聖樹として、近郷の人々に親しまれてきた」と。
「西岩瀬諏訪神社の大けやき」 富山県指定天然記念物
樹高 30m 幹回り 約10m 推定樹齢 1000年以上
( 富山県・富山市教育委員会 による )
所在地 富山県富山市四方西岩瀬 131
( 撮影日 H28.12.3 )
「巨樹探訪」熱中人
富山市内より、絶壁のようにそそり立つ白い立山連峰を右に、前に眺めながら上市川の上流の台地にある立山寺へ。剣岳の全貌が迫ってくるようで見事である。
立山寺の駐車場より、杉並木、栂木並木の参道を山門へと進む。なかなか見ごたえのある並木である。珍しい栂並木は、立山寺16世拗山是越禅師(おうざんぜえつぜんじ)が伽藍再興の折植えたものだ。江戸時代寛永期の頃で、樹齢400年という。
目指す大椎は山門の左後方にある。これまで見てきた椎(スダジイ)の巨木は全て、樹高はそれほどでもなく、地上5~6m程の所から枝分かれし、大きく横に伸ばし、小山のような形を成していたが、目の前の椎は、杉の木や檜と同様にスックと真直ぐに立っている。幹全体が根元からてっぺんまで見えるのだ。周囲の杉の木に負けじとばかりに立っている感じだ。
立山寺は案内板によれば、曹洞宗の寺で、正しくは眼目山(がんもくさん)護国院立山寺(りゅうせんじ)と称し、大本山総持寺第二祖峨山禅師の高弟、大徹宗令禅師による開山の寺。一説には、開創は山神と竜神の神霊による開基の寺で、立山権現と北海龍女を開基としているという。ここ眼目(さっか)の地は、昔は咲花とも察花とも記されていたが、慶長10年(1605)加賀藩3代藩主前田利常公が巡視した際、眼目山立山寺の由来を聞き、察花の字を「眼目」にして「さっか」と読むようにしたといわれる。同じ「眼目」を山号は「がんもく」、地名は「さっか」とは珍しいことだ。眼目を「さっか」とは普通には読めないが、その理由を聞いて納得。
「立山寺の大椎」 (上市町指定天然記念物)
樹高 約20m 幹回り 4.1m 推定樹齢 約300年
( 「とやま巨木探訪」による )
所在地 富山県上市町眼目 1-22
( 撮影日 H28.12.3 )
「巨樹探訪」熱中人
国道156号から県道72号(坪野小矢部線)を東へ走り、国道359号に出る手前の山中にある正権寺(しょうごんじ)という集落にある「正権寺の湯」という鄙びた旅館がある。その前にある駐車場から下方にある田圃の中に、一目でそれとわかる鎮守の森が見える。その中に1本の大きな杉の木が。目指す「五社神社のスギ」である。鳥居の脇には、サワラの大木、、そして、枝を大きく広げたヤマモミジの木が2本。いずれも、砺波市保存樹とある。目指すスギは、境内の一番奥、社殿の後方に立っている。まだまだ若々しく、力強さを感じさせる木だ。
ここへ来るには随分時間を要した。その訳は、この周辺には同じ文字で字の順序が違う権正寺(ごんしょうじ)という地名があったからだ。最初、それをてっきり目的地と勘違いして周辺をうろちょろしていたからだ。
この正権寺の集落周辺には猪でも出るのだろうか?田圃の中の道路の両側には電流を通した線が張り巡らしてあった。
「正権寺五社神社のスギ」 砺波市保存樹
樹高 37m 幹回り 7.5m 推定樹齢 300年以上
( 環境庁「日本の巨樹・巨木林」による )
所在地 富山県砺波市正権寺 73
( 撮影日 H28.12.2 )
「巨樹探訪」熱中人
国道156号が北陸自動車道と交差してから約2km 南、五鹿屋公民館と幼稚園の隣地に照明塔が立っているグラウンドがあり、その中央に目的の「いろはかえで」が、雪吊をした姿で立っているというより、鎮座していた。地上1.5m程のところから、四方八方に枝を広げた姿は、まさに傘を開いたように、安定感ある姿だ。残念ながら紅葉はもう終わっており、まだ葉が残っているが、ちじれた葉が茶色くなりちっとも美しくない。
傍らの五鹿屋公民館の説明版によれば、廃校になった五郎丸小学校創設の際(明治44年ー1911-)地区の豪農 西村氏が寄付、移植されたものだ。その後、戦後の学制改革により五鹿屋小学校になったが、それも廃校になり、現在、跡地は幼稚園と農村公園となっている。
平成元年(1989)9月、新日本名木百選の行事が実施された祭、富山県でも名木十本が選ばれ、この「いろはかえで」が見事その十選入りを果たしたのだ。「いろはかえで」はこの地区の象徴として保存されているという。
これと同じような光景を以前、福井県越前市の「味真野小学校校庭の桜」で紹介したことを思い出した。同じような樹形でグラウンドの真ん中に立つ姿は印象的である。
「五鹿屋小学校跡地の いろはかえで」
樹高 約5.2m 幹回り 約2.2m 推定樹齢 200年
( 五鹿屋公民館 による )
所在地 富山県砺波市五郎丸 1119
( 撮影日 H28.12.2 )
「巨樹探訪」熱中人
先回は、福井県の若狭地方の巨樹を訪ねてきましたが、今回、富山県内の巨樹を巡ってきました。
桂書房の「とやま巨樹探訪」を参考に、先ず、最初に訪ねたのは、小矢部市臼谷の八幡宮の御神木「臼谷の大杉(八幡杉)」です。金沢から国道359号線を小矢部市方面に向かい走る。小矢部インターの手前、末友交差点を右折し、金沢方面へ戻るように臼田へ。目指す八幡宮は右側の山の斜面にある。
神社社殿の右後方に1本の大きな杉が凛と天に向かって直立している。その傍ら左にトタン屋根を被せた巨木の切株がある。そして、前に杉の木の写真の大きなパネルが一枚立っている。その文面を見ると、なんと、御神木の大杉は社殿の火災の折、延焼してしまい、村人に惜しまれながら平成23年12月2日伐採されたという。今、目前に見える大杉は、幹回り6mを越す大杉だが、富山県指定天然記念物であった御神木は、2本の杉が地上5~6m 程のところで合体したように上は2股になって聳え立っており、この傍らの大杉を隠してしまうほど立派だったという。
平成16年、秋の台風で周囲の若い杉の木が倒れても、この大杉は倒木を免れたが、残念なことに、平成17年4月24日、不審火による社殿炎上の災禍を被り焼けたが、社殿は氏子の寄付によりへ、平成19年立派に再建されたという。わずか2年という短期間にきれいな神社として復興された氏子さんたちの神社に対する崇敬の篤さに頭が下がる思いだ。
「臼谷の大杉」(八幡杉) 元 県指定天然記念物
樹高 37m 幹回り 9.3m 推定樹齢 400年
( 「とやま巨樹探訪」 による )
所在地 富山県小矢部市臼谷6967 八幡宮
( 撮影日 H28.12.2 )
「巨樹探訪」熱中人