在京の私の弟が長期入院の為、上京を繰り返せねばならず、しばらくブログ欠席とします。上京しても私も年齢がいき臆病になり、盛り場や名所へも行かずホテルでホリエモンなどドロップアウトした有名人の出るTVを見て、東京は面白いなあと思っています。金沢と違って「これ!」というものなく人々がヤイヤイガヤガヤやっている東京は未来の若者は憧れなくすでしょう。定年後の人々も地方志向もあり、大学名を今まで程言わなくなって東京は平凡化している。食も素材はダメで「ソース」と「ダシ」です。 俺は半太だ!!!
半太郎です !!! 一覧
「その瞬間」例え百才まで生きてもあと30%しか残っていない。僧は死んで生き返った人に会い、その時本人は周りが全部紫色に見えると言っていた。仏教本ではその時大海の荒海が見え中央に細い極楽行の狭い道が見えこれを百道(びゃくどう)といい落ちたら終わりでうまく渡れと言う。ーーーーー以上表参道入口の古本屋の仏教書を買って調べた私。身体の全パーツが一斉に老化するのが効率的(老衰)。 通院すると医療費がかかり、これは国民総生産の増大に今は計算され国が大きくなることになっている。変?変でない? 俺は半太だ!!!
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「頭は人 体は馬の怪物画」 中世の欧州では馬のように速く走り荷を引っ張り人のように賢い動物を理想だと創作した。高校の放課後皆私を百姓の体の上に気難しいインテリの顔が乗ってる複合人間と笑った。その為現場労働もし、霞が関エリートも体験したが途中からその逆の悪い面ばかりが表に出てしまった。亡母は純米農家、亡父はインテリの両方の欠点が晩年私の体に出てきたのだ。やはり頭脳派とか体育系とか人は一つに徹して生きた方が楽だ。 俺は半太だ!!!
老いたら皆「受け」だけ狙って生き、本質の部分は大変なので触れないようにする。私も高校時代そうだったが、今のTV民間の昼夜の番組は若いはずのタレントがそれだけで存在している。不況 震災 北朝鮮などの中で生活するには一時的な笑いでしのぐのが容易だが庶民だ。私もシリアスな問題をさけ始めその日暮らし。とりとめなく毎日が過ぎ次世代へと継がる。 「責任は 人にまかせて 桜餅」 俺は半太だ!!!
以前の人生50年の頃の人々は、よく働いて汚名つかないうちに逝き、家庭と社会に敬われて仏となりえた。今あんなにスポーツ出来、色に傾かず仕事もし、社会人を堅持してた私達も引退し様々な誘惑に乗りやすく若い人々は笑っている。法事マニア、家系図調べの熱狂、何でも鑑定団好き、同期の集まりに熱心すぎ、皇潤など薬好き、超多弁または逆に超無口、愛用しすぎの携帯電話 若いころの立派さを徐々に取り崩しくだらぬ事が好きになる。世界一平均寿命が短い米国人にはそれが少ないと言う。 俺は半太だ!!!
渡来してきた仏教は次第に日本式になってきた。外人が「日本には各家の室内に教会がある(仏壇)。亡くなった人に新たに名前をつける(戒名法名)。」と驚いていた。更に今は説教聞くおばあさんが説教聞かないでパチンコ屋へ行き信者が少ないしお釈迦様が「少しほどこしてもらって質素な僧となれ」と言ったのが多ければ多いほど良い となって第二の変化をしていて都会では仏壇もない家が多くなった。(私は在京中はミニ仏壇だった) 昔の三奉行の中の寺社奉行の取り締まりもなく今は県庁が指導することになっているが何もしていない。金沢の400余寺はそれぞれに考えていようがセレモニーホールが出来立派な寺も稼働率が低い。「寺よ変われ」の岩波新書が数年前ベストセラーになった。長髪僧が一番多いのが金沢。亡母の実家では新しい僧が一度実家の養子となり改めて村の寺へ出家して入る形を今も続けている。(浄土宗、富山) 俺は半太だ!!!
公園で小学生数人に囲まれ「おじさん!お化けや地獄って本当にあるの?」と質問された。困った私ははぐらかして「本当はおじさんはお化けなんだよ」と言って逃げた。 中世の欧州はペストで人口の1/4を亡くし悪魔ということに強い関心を持っている。私達も年齢がいき、息が切れた後の世界を考え出さないといけない。ある坊さんは最後の瞬間 「全て周りが紫色にみえる」と言った。私は上に義理のおば二人いるだけで一族の最年長責任者である。子や孫に参考になる老人とならないといけない。敬老の日とは老人自らが自分のため作った日だ。若者は敬っていないのが実情だ。 俺は半太だ!!!
亡母は遠縁の人が社会的貢献していると「きっと短命だろう」 久方ぶりに家へ訪ねてくる人には「きっと先がない自覚があるのだ」と的確に言い当てていた。 お通夜と次の日が人生の最大ショーで最も人が当人に集まる。しかしこれも現職でいいポストにいた人は多く 退職後永くたった人は人が少ない。(亡くなるなら今のうち?!) 寺で「人はなぜ死ぬのか」と老人が問うていた。仏教では「ではなぜ自分が生まれてきたか」から説いていく。 死ぬ話は宴席やお茶の席ではやめよう。やがていくらでも議論できる年齢になるからーーー。
俺は半太だ!!!
19世紀は戦争の時代、20世紀は車、飛行機、ATM等メカニズムの時代 そして21世紀は身体の薬や石油からの製品のケミカルの時代と言われる。私の専攻はメカニズムだが今ケミカルだ(全身薬付けーーー)
俺は半太だ!!!
岩波文庫 「老人」には 過去の栄光にひたり何かしようとして出来ない 古典的ギリシアの老人像を描き 日本では「つれずれ草」がこれに当たる。私の祖母は村の中同志で17、8才で結婚し子を早く産んだので達者で若かった。今の爺婆は晩婚で出産が遅く栄養とお金に恵まれているが、昔のような迫力がない。新聞記事に〇〇は百才の天寿を全うとの広告が出るが70から100才まで何もしなかった人だろう。50才前に孫をみた爺婆と違い癒し系の老人なのだ。(今は)この人々は武蔵ヶ辻に群れをなし500から1000円のおかず買う買い物難民か カルチャーセンターに行きそこで難民になっている。その人でなく持ってる年金にため客として扱われるがやがて私もその一人となる。
俺は半太だ!!

