個体として弱い動物の中には、飛ぶとか水のコブもつとか腹に袋もつとか一部分だけ発達させることで生き延びるのが様々の動物で言わば特技で生きざるをえないのだ。ヒトと言う動物も大物の大名は書がうまいとか学問できるとか剣術がうまいとか「才」で示してはいけなかった。総合力が問われた。付高同期もゴルフが特にうまいとか勉強がトップだったとか絵がうまいとかそれはヒトとして特技で生きるから大物ではない。大物は何でもほどほどで生物体として大きい人を言う。我々同期にそんな人いるの? 俺は半太だ!!!
半太郎です !!! 一覧
全国カルチャー連合では授業料以外の先生への盆、暮の心付けを禁止しているが金沢だけはやっている。その他医療、習い事、皆禁止されてるが金沢だけは裏がある。昔から豊かだったなごりで、何でも「手土産」持っていくとか、よそ者は戸惑う。良いことは良いが悪いことは悪い。美習か裏社会かよく考えてみたい。 俺は半太だ!!!
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ヒトは順序として老いると他人の為より自己生命の維持に力点を置く。老夫婦が珍しい所へ旅行し、国からの年金と旅行社の若手の世話になり「冥土の土産」としておもしろおかしく自分の為に旅行する。それは生産力にも他人の為にも寄与しない。みどりのおじさんでもやったらどうか! やがて日本は自分本位の長寿者によってふんずまる。 俺は半太だ!!!
私が在職中十数年住んでいた板橋区の旧加賀藩下屋敷には、14日かかって大名行列の終着点として男連中はほっとした。単身赴任経験者なら分かるが何かさびしい。その頃そこで「飯盛女」が実に多く待ち受け、心と食を癒し記念碑もあり、彼女らは堅い女性で独身者は妻として江戸女を迎え女性側の世帯をもち今も加賀一丁目から数丁目金沢橋の地名も残り加賀藩の資格を持った江戸の子となった。それに町人がついてきて加賀湯を始め新潟からは越後屋の蕎麦屋が来て大いに今だに賑わっている。皆国へは戻らなかった。今の私もそうなりそうな寸前、帰沢してしまったがーー。 俺は半太だ!!!
浪速のは新婚の嫁が若死にし、次にもらった嫁と事情で分かれまたもらった。これは好色だったからでなく、当時をもらわざるをえず、相手が次々代わったからといって性的能力が高かったわけでない。私達 平均して普通の好色で特に数人性的能力がやや高い者もいたが、この年齢ではせいぜい成人映画見るくらいだ。好色者は仕事もよくやるが数はそんなに多くなく、小説は誇張して書いてるだけだ。私達も思い出として心ときめいた時も皆あった。 俺は半太だ!!!
個体の弱い生物は何か一つ敵にない所を発達させる。鼻が長い、嫌われる蛇、らくだのこぶなど全体として発達する生物に負けまいと特色を出す。ヒトと言う生物も全体に強くないヒトは、特技を持つ。走るのが早い、手先が器用、偏差値が高いなど。昔全人格を問われる大名は才能を示してはいけなかった。「特殊は一般に劣る」生物もヒトもこの大原則がある。何も出来ないヒトに見える大物になろう! 俺は半太だ!!!
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江戸期 千石以上の地主は正月に登城許され、家族で殿におめどおりした斉藤の娘は色目つかい心つかまえ遂にのちに正室となった。今も旧の農地の村に「 殿、妻の実家へ遊びに来る」との石碑がある。その時の妻の傘は純金の柄であったとかーー。実家のめざとい置物を皆殿は所望し、その代り後日多大なお返しがきたと言う。その流れくむ私は色に弱く何度やけどをして女に騙されたことか! 俺は半太だ!!!
元校長先生が嘆いた。秀でた学生は皆東大、早慶大へ出ていき地元の高校のレベルが次第に低下している。孫を再び金沢の高校へ。 一方支店町の金沢に転勤組の子息や金大医学部の大半は県外からきて補っているが、全体からみれば頭脳流出で金沢の「だらま文化」の担い手は減ってきているとかーーー。東北、九州も留守県と言われ流出したあとのカスばかりと聞いた。金沢発行の出版物がごく少なく金持ちで教養ある旅行者達も一二日泊りで帰って行って金沢の文化水準を上げるには私自身は老いすぎていて頼りにならない。 俺は半太だ!!!
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商法では同じ商の目的の人々が集まるのを会社と名付けているが、裏をかえせば本来一人で商をやることを意味する。金沢は全国でも小さな商店が大きな力持っている所が珍しく多く、支店町とも言われるが金沢支店は各々接待、やりくり等独立的である。多くの社員と客集めている最近のアパホテルマンションは金沢の恥とも言える。かと言って年齢がいくとカルチャーやスポーツクラブ、同期会など体が弱ってきて私もすぐ群れたがる。時々多くの人のいる駅前へ行ってみるが他人は皆別目的を持っていて大勢の中の孤独を感じやめた。大企業程一人当たりの責任は社長も含め小さく退職後は一種の危機である。今まで多くの弱い老人が集まった寺も今は強いおばさんで集まらないでパチンコ屋で一人勝負している人もいる。大都会ほど老いて住みやすい。動物は弱い種ほど群れをなす。 俺は半太だ!!!
教育の努力してよい成績をおさめ、上へ進学するとの条理の世界の児らは一中(泉ヶ丘)へ行き陸軍士官学校や、海兵、企業の有能な戦士となり今の東大進学率もその伝統だ。これに対し、教育者の子、大きな商家の子、家系の良い子などが附属に入ってきた。地方からの子は泉のように良く努力し東大へ行ったが元々の付属の目的でない。いわば東大と学習院大の差に似ている。付属の中は昔から連隊の幹部の子などもいて不条理に満ちている点が生徒の苦しむ因でもあるし個性も作ってくらはしたが、むつかしい高校だ。私の亡父は付属卒で従って私もは入れられた。 俺は半太だ!!!

