久し振りに「巨樹探訪」をお届けします。今回は、静岡県浜松市内にある浜松八幡宮の御神木「雲立(くもだち)のクス」と言われている楠の老巨木です。
JR浜松駅の横にある、遠州鉄道・新浜松駅から三つ目の八幡駅から徒歩3分ほどの所に浜松八幡宮はあります。市内中心部に残された数少ない鎮守の森です。浜松市の保存樹林に指定されています。また、静岡県選定の「お宮の森・お寺の森百選」にも選定されています。
樹齢数百年?と思われる松並木の参道を進むみ、大鳥居をくぐると正面に拝殿が見えます。その拝殿の右前に横に大きく枝を広げた楠の老大木が、周囲を垣根に守られ、どっしりと鎮座しています。もちろん、幹には太い注連縄が張られています。地上から1.5mのところより大きく左右に枝分かれしており、その下の部分は大きな洞穴となっています。一見、二本の木が寄りかかっているようにも見えます。主幹はなく、二本の太い枝が周囲に長く伸びて繁茂しているので、樹高はそれ程でもなく、楠としては高くはない。相当の古木と思われるが、洞穴の部分以外は樹勢はすこぶる旺盛と見えます。説明版によれば、幹回りは約13mとあるが実際はそれ以上の太さを感じます。いかにも老巨木そのものの姿です。
永承6年(1051)、八幡太郎義家が当八幡宮に参詣の折、樹下に旗を立てたとの伝承から、「御旗楠」と称されています。また、元亀3年(1572)、三方ヶ原合戦に敗れた徳川家康が当八幡宮に逃れ、社前の楠の洞穴に身を隠した時、神に祈ると楠の梢より瑞雲が立ち上がり、老人の姿をし、馬に乗った神霊が浜松城の方へ飛び去ったという。この不思議な情景を見た家康は、八幡宮の御加護を受けていることを悟り、無事浜松城内へ逃げ延びたという、この故事によってこの楠を「瑞雲の楠」とか「雲立の楠」と呼ぶようになったといいます。
「雲立のクス」 静岡県指定天然記念物
樹高 約15m 幹回り 約13m 根回り 14m 推定樹齢 不明
枝張り 東西 約21m 南北 約23m (浜松教育委員会による)
所在地 静岡県浜松市中区八幡町 2
( 撮影日 H29.11.8 )
「巨樹探訪」熱中人
富山県随一の大河、神通川河口の西側、八重津浜海水浴場の入り口に諏訪神社がある。その境内には3本のケヤキの木があり、鳥居の左傍らに堂々とした姿で立っているのが目的の「大けやき」である。葉はすっかり落ちていて、裸木となっていて、この樹の巨大さはさほど感じないが、繁っていれば、おそらくとてつもなく大きな樹として目に映るはずだ。樹齢1000年を超えるといわれる「大けやき」は越中沿岸の県下有数の大木として知られ、一大名物であったといわれる。地上5m程の所から枝分かれして、斜め上に大きく伸ばした姿は、まだまだ若々しく勢いがある。この「大けやき」を支えるように地上に伸びている幾本もの根は、縦に盛り上がって板根となり、安定感を与えている。
傍らにある富山県。富山市の教育委員会による説明板には、
「昔、ここ西岩瀬は神通川の河口(現在は東市岩瀬側にある)であり、八重津湊として栄え、富山藩の米の移出港となっていた。この巨大老樹は沖を航海する船の羅針盤として、また、航海の安全を祈る聖樹として、近郷の人々に親しまれてきた」と。
「西岩瀬諏訪神社の大けやき」 富山県指定天然記念物
樹高 30m 幹回り 約10m 推定樹齢 1000年以上
( 富山県・富山市教育委員会 による )
所在地 富山県富山市四方西岩瀬 131
( 撮影日 H28.12.3 )
「巨樹探訪」熱中人
富山市内より、絶壁のようにそそり立つ白い立山連峰を右に、前に眺めながら上市川の上流の台地にある立山寺へ。剣岳の全貌が迫ってくるようで見事である。
立山寺の駐車場より、杉並木、栂木並木の参道を山門へと進む。なかなか見ごたえのある並木である。珍しい栂並木は、立山寺16世拗山是越禅師(おうざんぜえつぜんじ)が伽藍再興の折植えたものだ。江戸時代寛永期の頃で、樹齢400年という。
目指す大椎は山門の左後方にある。これまで見てきた椎(スダジイ)の巨木は全て、樹高はそれほどでもなく、地上5~6m程の所から枝分かれし、大きく横に伸ばし、小山のような形を成していたが、目の前の椎は、杉の木や檜と同様にスックと真直ぐに立っている。幹全体が根元からてっぺんまで見えるのだ。周囲の杉の木に負けじとばかりに立っている感じだ。
立山寺は案内板によれば、曹洞宗の寺で、正しくは眼目山(がんもくさん)護国院立山寺(りゅうせんじ)と称し、大本山総持寺第二祖峨山禅師の高弟、大徹宗令禅師による開山の寺。一説には、開創は山神と竜神の神霊による開基の寺で、立山権現と北海龍女を開基としているという。ここ眼目(さっか)の地は、昔は咲花とも察花とも記されていたが、慶長10年(1605)加賀藩3代藩主前田利常公が巡視した際、眼目山立山寺の由来を聞き、察花の字を「眼目」にして「さっか」と読むようにしたといわれる。同じ「眼目」を山号は「がんもく」、地名は「さっか」とは珍しいことだ。眼目を「さっか」とは普通には読めないが、その理由を聞いて納得。
「立山寺の大椎」 (上市町指定天然記念物)
樹高 約20m 幹回り 4.1m 推定樹齢 約300年
( 「とやま巨木探訪」による )
所在地 富山県上市町眼目 1-22
( 撮影日 H28.12.3 )
「巨樹探訪」熱中人
国道156号から県道72号(坪野小矢部線)を東へ走り、国道359号に出る手前の山中にある正権寺(しょうごんじ)という集落にある「正権寺の湯」という鄙びた旅館がある。その前にある駐車場から下方にある田圃の中に、一目でそれとわかる鎮守の森が見える。その中に1本の大きな杉の木が。目指す「五社神社のスギ」である。鳥居の脇には、サワラの大木、、そして、枝を大きく広げたヤマモミジの木が2本。いずれも、砺波市保存樹とある。目指すスギは、境内の一番奥、社殿の後方に立っている。まだまだ若々しく、力強さを感じさせる木だ。
ここへ来るには随分時間を要した。その訳は、この周辺には同じ文字で字の順序が違う権正寺(ごんしょうじ)という地名があったからだ。最初、それをてっきり目的地と勘違いして周辺をうろちょろしていたからだ。
この正権寺の集落周辺には猪でも出るのだろうか?田圃の中の道路の両側には電流を通した線が張り巡らしてあった。
「正権寺五社神社のスギ」 砺波市保存樹
樹高 37m 幹回り 7.5m 推定樹齢 300年以上
( 環境庁「日本の巨樹・巨木林」による )
所在地 富山県砺波市正権寺 73
( 撮影日 H28.12.2 )
「巨樹探訪」熱中人
国道156号が北陸自動車道と交差してから約2km 南、五鹿屋公民館と幼稚園の隣地に照明塔が立っているグラウンドがあり、その中央に目的の「いろはかえで」が、雪吊をした姿で立っているというより、鎮座していた。地上1.5m程のところから、四方八方に枝を広げた姿は、まさに傘を開いたように、安定感ある姿だ。残念ながら紅葉はもう終わっており、まだ葉が残っているが、ちじれた葉が茶色くなりちっとも美しくない。
傍らの五鹿屋公民館の説明版によれば、廃校になった五郎丸小学校創設の際(明治44年ー1911-)地区の豪農 西村氏が寄付、移植されたものだ。その後、戦後の学制改革により五鹿屋小学校になったが、それも廃校になり、現在、跡地は幼稚園と農村公園となっている。
平成元年(1989)9月、新日本名木百選の行事が実施された祭、富山県でも名木十本が選ばれ、この「いろはかえで」が見事その十選入りを果たしたのだ。「いろはかえで」はこの地区の象徴として保存されているという。
これと同じような光景を以前、福井県越前市の「味真野小学校校庭の桜」で紹介したことを思い出した。同じような樹形でグラウンドの真ん中に立つ姿は印象的である。
「五鹿屋小学校跡地の いろはかえで」
樹高 約5.2m 幹回り 約2.2m 推定樹齢 200年
( 五鹿屋公民館 による )
所在地 富山県砺波市五郎丸 1119
( 撮影日 H28.12.2 )
「巨樹探訪」熱中人
先回は、福井県の若狭地方の巨樹を訪ねてきましたが、今回、富山県内の巨樹を巡ってきました。
桂書房の「とやま巨樹探訪」を参考に、先ず、最初に訪ねたのは、小矢部市臼谷の八幡宮の御神木「臼谷の大杉(八幡杉)」です。金沢から国道359号線を小矢部市方面に向かい走る。小矢部インターの手前、末友交差点を右折し、金沢方面へ戻るように臼田へ。目指す八幡宮は右側の山の斜面にある。
神社社殿の右後方に1本の大きな杉が凛と天に向かって直立している。その傍ら左にトタン屋根を被せた巨木の切株がある。そして、前に杉の木の写真の大きなパネルが一枚立っている。その文面を見ると、なんと、御神木の大杉は社殿の火災の折、延焼してしまい、村人に惜しまれながら平成23年12月2日伐採されたという。今、目前に見える大杉は、幹回り6mを越す大杉だが、富山県指定天然記念物であった御神木は、2本の杉が地上5~6m 程のところで合体したように上は2股になって聳え立っており、この傍らの大杉を隠してしまうほど立派だったという。
平成16年、秋の台風で周囲の若い杉の木が倒れても、この大杉は倒木を免れたが、残念なことに、平成17年4月24日、不審火による社殿炎上の災禍を被り焼けたが、社殿は氏子の寄付によりへ、平成19年立派に再建されたという。わずか2年という短期間にきれいな神社として復興された氏子さんたちの神社に対する崇敬の篤さに頭が下がる思いだ。
「臼谷の大杉」(八幡杉) 元 県指定天然記念物
樹高 37m 幹回り 9.3m 推定樹齢 400年
( 「とやま巨樹探訪」 による )
所在地 富山県小矢部市臼谷6967 八幡宮
( 撮影日 H28.12.2 )
「巨樹探訪」熱中人

「円成寺のみかえりの松」を見て後、国道27号線をさらに南下し、若狭町の安賀里の集落へ。国道を左に外れ山際に沿って走ると、奥まった所に小さな山寺が見えてくる。寺の名は城谷山諦応寺という。曹洞宗の禅寺である。
駐車場に車を止め石段をを上っていくと、こじんまりとしているが、珍しい鐘楼堂付き山門(町指定文化財)の左前に、、1本のイチョウの木が。しかし、それほど大きくもなく、ちょっと巨樹というにはおこがましい感じのものだ。ところが、近ずいてみてびっくり。なんと、幹の中に等身大の仏像が彫りこまれていたのだ。しかも、それは正しく十一面観音立像であるのだ。これは、いわゆる立木観音である。生きた生木に彫刻してあるのだ。
滋賀県大津市南郷に通称「立木観音」と呼ばれる寺があるが、その昔、弘法大師が生木に等身大の聖観音を刻み、本尊として信仰されているが、実は、それは秘仏として公開されたことはなく、誰も見たことがないという。確か、日光の中禅寺(天台宗)の本尊も立木観音だったと記憶している。勝道上人が自ら桂の立ち木に刻んだと伝えられる、高さ4.8m余りある大きな千手観音立像である。(国重文)
しかし、此処の立ち木観音は、自然のまま風雨にさらされて長年月立っているのだ。しかも、これだけ大きく幹を傷つけられているにもかかわらず、イチョウの木の勢いは全く衰えていなく、まだまだ成長し続けているのには驚かされる。寺のパンフレットによれば、いつの時代に彫られたかは、はっきりとしていないが、30世住職仏山恵隆和尚(1850~53)が彫刻されたと言い伝えられているという。銀杏観音として町指定文化財とされている。
諦応寺の仏像彫り込みイチョウ(銀杏観音) 町指定文化財
樹高、幹回り 不明 推定樹齢 約450年
(諦応寺パンフレット)
所在地 福井県若狭町安賀里 33-1
( 撮影日 H28.10.30 )
「巨樹探訪」熱中人

西福寺を出て国道27号線を美浜町を南下し、若狭町へと走る。このルートは昔の丹後街道だという。国道を少し離れた山陰に、円成寺という曹洞宗の小さな禅寺が。寺の前には収穫を終えた梨畑が広がっている。寺と梨畑の間の広場の中心に広場を覆い尽くすように枝を大きく広げている1本の松の大木が。それが「みかえりの松」という。名木である。一瞬、その立ち姿の見事さに目を奪われる。とにかく、どの方向から見ても同じように美しい様なのだ。傘を広げたようにバランスのとれた枝ぶりである。形の良い盆栽を拡大したようなものだ。枝下をくぐり中心の幹に近ずくと、これまた、その幹の太さ、また、四方に伸ばしている力強い枝の姿に驚かされる。
若狭町教育委員会による説明版によれば、この松は、宝暦元年(1751)第11世住職淳長大和尚の手植えと伝えられる。樹齢250年のクロマツで、昭和10年(1935)頃までは、松の枝下をくぐって出入りしていたので、「大門の松」とも呼ばれているという。「新・日本名木百選」で「松の名木十選」に選ばれている。
円成寺のみかえりの松 ( 県指定天然記念物 )
樹高 12m 幹回り 4m 枝張り 東西28m 南北30m
推定樹齢 250年 (若桜町教育委員会)
所在地 福井県若狭町岩尾 42-4
( 撮影日 H28.10.30 )
「巨樹探訪」熱中人



ここ1年半ほど中断していた巨樹探訪をまた再開しました。先日早速、福井県の敦賀市と若狭町の寺を巡り、それぞれ趣の違う3本の巨樹を見て参りました。
最初に訪ねたのは、敦賀市街の西方、大原山麓にある大原山西福寺。壮大な山門をくぐり、御影堂へと向かう石段を上がった直ぐの所に、左右に門の如く 、2株のスダジイが立っていました。樹高はせいぜい10m前後と低いが、その幹は短く太く重量感に富むものでした。傍らに立つ敦賀市教育委員会の説明版によれば、御影堂に向かって左側が幹周7.6m、右側が6.8mとともに優劣つけがたい老巨木で、左側の太い方が名木百選に選定されているという。樹齢はいずれも640~650年とされる。
石川県旧県庁(現しいのき迎賓館)玄関前に立つ2本のスダジイに匹敵する巨木であった。
また、寺伝によれば、西福寺の開山良如上人が万一の飢饉に備え、住民が飢えをしのぐことができるよう、境内に多数のシイを植えたと伝えられている。スダジイは普通シイと呼ばれるブナ科の暖地性常緑樹で、秋になる実(どんぐり)は食用となる。
大原山西福寺は、浄土宗鎮西派の中本山である寺院。応安元年(1368)さいふくじ後光厳天皇の勅願により、良如上人を開山として創建された。浄土宗では北陸きっての名刹で、1400坪の書院庭園は国指定の名勝。また同寺には、応仁の乱を避けて京から移されたという重要文化財の絵画や書も多く所蔵されている。
西福寺のスダジイ 市指定天然記念物
樹高 8m 幹回り 7.6m 推定樹齢 640~650年
(敦賀市教育委員会)
所在地 福井県敦賀市原 13-7
( 撮影日 H28.10.30 )
「巨樹探訪」熱中人