事時に思うの最近のブログ記事
最近、自家用車でカーナビを利用している人が多い。私も欲しいと思いながら、未だに地図に頼っているのではあるが。
ところで、カーナビも頻繁に地図データを更新しないと、新しく出来た道を走ると、田圃の中を走っていることになったり、やけに遠回りさせられたり、新しい建物が認識できなかったり、いろいろと不都合なことが起こる。
かといって、いままでの仕組みでは、頻繁に地図データを最新にするとができなかった。せいぜい、年数回が目安だったようである。
ところが、今日の CNET Japan で、次のような記事を見にした。
新システムでは、地図データ上にあるオブジェクトごとに、建物の形状、名称、緯度経度といった情報をまとめ、昭文社が管理する空間データベースに格納する。更新時には、昭文社の空間データベースから、カーナビやGIS側の空間データベースにオブジェクトの差分のみをインターネット配信する。車に搭載されているカーナビシステムが、自動的に地図の更新データをダウロードして、常に最新の地図情報でナビゲートしてくれるようになるということだろう。
便利な世の中になると感心する反面、地図や道路標識が読めなくなっている人が増えているように思う昨今、カーナビがないと、何処にも行けなくなってしまうようで、少し恐いものがある。
ドイツでの出来事だが、人事とは思えないニュースがあったので紹介する。
警察発表によれば、この男性は死亡した時点で失業しており、59歳だった。部屋で発見されたドイツ厚生省からの手紙の日付から判断すると、彼は2000年11月30日に自然死したものとみられる。 [ベルリン 11日 ロイター]さて、自分の周りを見渡したとき、地域や家族とのかかわりを考えたとき・・・。考えさせられる。
この記事のタイトル「富山になぜか富がある」は、今朝の日経新聞の一面にあったの記事のタイトルだ。
「日本一豊かな家計」はどこにある? 北陸のとある県に飛んだ--。と紹介して、記事は続く。
北緯三十六度、東経一三七度。「日本の真ん中」に位置する富山市。平均から突出した統計が満載だ。
▼「平均月収」七十一万円。=日本一 ▼「消費支出」四十万円=全国二位 ▼「こづかい月額」四万五千円=日本一 ▼「平均貯蓄残高」五百六十九万円(富山県)=全国七位
富山の特徴は総働き家族にある。一家で多財布、時間とお金をおおらかに融通しあう富山の家族。さようなら大黒柱、大家族の中でもお互いが経済的に自立して、家長に頼らない家計。最後に、「総働き型のイエコノミーは強靭(きょうじん)だ。」と結んでいる。
団塊の世代の大量退職が始まっている。世の中、少子化時代になって、日本経済の活力減退が心配されている。この記事を読みながら思ったのだが、富山の家族のありようの中に、日本の活力復活のヒントがあるように思える。
記事の中で、富山市の施策もあって、市街地の人口が四十年ぶりに増えたとも紹介されている。総曲輪通りの賑わいも戻ってきそうで、楽しみである。
順調にスリムになってきていると思っている。顔も一回り小さくなってきたようなので、床屋で髪を刈り上げてもらった。 ところが、これを見た友人に、顔がふっくらしてきたのではと言われてしまった。髪型のせいだろうとは思ったのだが、まだまだ努力が足りないということだろう。
ダイエットには運動が一番と思い、朝一番にスポーツセンタで走る機械に乗っている。スポーツセンタのインストラクタが、ダイエットについて、いろいろと教えてくれた。
運動には有酸素運動と、無酸素運動があり、これらをうまく組み合わせるのが良いとのことである。有酸素運動は、酸素を消費して脂肪を燃やす運動であり、ジョギングとか水泳といった運動である。一方、無酸素運動は、筋肉を鍛え基礎代謝量を増やす、腹筋運動とかのストレッチング運動である。
どこまで本当なのか定かではないが、インストラクの言うには、朝、有酸素運動をすると、身体がエネルギを消費する時に、脂肪燃焼を優先させるという道筋がついて、身体に蓄えられている脂肪が燃焼され易くなるとのことである。そして、晩酌を控えることで、夜に脂肪が蓄えるのを減らせるといった、好循環が生まれたのではないかと説明してくれた。
なる程、私が多少痩せてきたのにも、それなりの科学的根拠があるようである。
今までは、有酸素運動で、一定のカロリーを消費することに心がけていたが、これからは、有酸素運動の前に、基礎代謝量を増やす無酸素運動を取り入れて、体脂肪率の減少にチャレンジしてみようと思う。
札幌厚生病院循環器科の「無酸素運動と有酸素運動」や、おか製剤薬局の説明が分りやすかったので、参考にしてもらえればと思う。
1月5日の日経の報道によれば、
官民共同研究機関の地球環境産業技術研究機構は、地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)を地中に大量に封じ込める新技術を開発した。地下の岩石と反応させる手法で、従来に比べて安定状態で貯蔵可能。日本の年間排出量の約2倍に当たる約27億トンのCO2を処理できるとみて、今後、産業界と大規模実験を始める計画だ。
新技術では、日本の地下に広く分布している「蛇紋岩」を利用する。自然界では、無数にある岩石の亀裂にCO2が溶け込んだ水が染み込み、岩の表面と反応して塩のようなかたまりとして固定される。このため、排ガスに含まれるCO2を回収して地下に吹き込めば、大量のCO2を封じ込めることができる。
(中略)
蛇紋岩は北海道から九州に至る各地に散在するありふれた岩石。地下約2000平方キロメートル、厚さ約2000メートルにわたって広がっているとされ、地中に貯蔵する場所もたくさんありそうだ。
工場の煙突は空に向かって立っているのが我々の常識だが、近い将来、地下に向かって立つのが常識になっているかも知れない。
共同通信社が19日に配信したニュースで、
ひるがえって、自分はどうだろうと考えてみると、できれば、収入を目的としたことではなくて、自分の興味のあること、楽しいと思うことに時間を使いたいと思う。傍目から仕事と捉えられるかどうかは別である。そして、大前提として経済的にも許されるのであればである。
今回の記事の中でも厚労省の社会統計課では「年金生活に不安があるのか、体力に自信があるのか、背景を見極めたい」と言っている。しかし、どちからかと言うものでもないように思う。ただ、経済的な不安があれば、体力に自信がなくても働かざるを得ないということだろう。
自分自身、悠々自適に暮らせると胸を張って言えるだけの蓄えがある訳でもない。おまけに年金もどうなるのか定かではない。悩ましい限りである。
ハートフォード生命保険株式会社のホームページに興味深いプレスリリースが発表されていた。プレスリリースなので、以下にそのまま転載した。
「ハートフォード生命保険株式会社」
http://www.hartfordlife.co.jp/
「プレスリリース:理想のセカンドライフは「もう一度始まる新しい人生」を「悠々自適」に!」
http://www.hartfordlife.co.jp/press/pdf/company/press061211.pdf
発表日:2006年12月11日
~団塊世代のセカンドライフ調査(2)~
理想のセカンドライフは「もう一度始まる新しい人生」を「悠々自適」に!
セカンドライフを楽しむためのキーワードは「夫婦」
ハートフォード生命保険株式会社(本社:東京都港区、代表取締役社長グレゴリーA.ボイコ)とシニアマーケットの専門機関である株式会社シニアコミュニケーション(本社:東京都港区、代表取締役社長山崎伸治)は、2006年10月、団塊世代を中心としたその前後の世代の男女600人に対して「セカンドライフ」に関する調査を共同で実施し、その結果を以下の通りにまとめました。
団塊世代、セカンドライフを一言で言うと「悠々自適」
団塊世代(以下団塊)に「あなたが考える理想の『セカンドライフ』を一言で言うとどうなりますか」と聞いたところ、男性では48.8%、女性では45.4%と、約半数近くが、提示された6つの選択肢から「悠々自適」を選んだ(Q1)。
次いで、男性では「生涯現役」が23.3%、女性では「平穏無事」が17.7%となった。
団塊より下の世代の男性では、「生涯現役」、「平穏無事」が各21.3%と同率となっている。
女性では、団塊より上の世代の19.2%が「完全燃焼」と答えており、男性や他の世代に比べると大きな特徴となっている。これは、ちょうど子育てが終わった世代であるからと推測される。団塊、団塊より下の女性については、それぞれ17.7%、22.5%が「平穏無事」と答えた。
団塊世代の『セカンドライフ』は、「悠々自適」でありたいという希望が込められた結果となった。
団塊世代、「もう一度始まる新しい人生」が大半の考え
次に「あなたにとって『セカンドライフ』とはどのような意味合いを持っていますか」という問いで3つの選択肢を示したところ、団塊男性では58.1%、女性では49.2%が「もう一度始まる新しい人生」(Q2-1)と答えた。
また、団塊女性では43.1%が「人生の集大成の時期」とし、男性(19.8%)に比べると「人生の仕上げ」としての意味合いを感じている人が多いようだ。
また男性は、女性に比べると「現役時代の後の余生」と捉える人の割合が多く(男性22.1%、女性7.7%)、やはり「現役=仕事」と捉える傾向が高いようだ。さらに、「『セカンドライフ』でやってみたいこと」を全員に聞いた結果、『セカンドライフ』を「もう一度始まる新しい人生」と考える人は、習い事・スポーツ、生涯学習など新たに何かを始めることに関心を示しており、「人生の集大成の時期」と考える人は、海外渡航などのイベント的なことに加え、ボランティア活動等の社会貢献への関心を示している。また「現役時代の後の余生」と考える人は、「暮らし方」や「(自分の得意なことを)講師として教える」に関心を向ける傾向があるようだ(Q2-2)。
セカンドライフを一緒に過ごしたいのはやっぱり「配偶者」
さて、『セカンドライフ』を「悠々自適」に「もう一度始まる新しい人生」として楽しもうとしているシニア世代であるが、「あなたの周りにいる『セカンドライフ』を共に楽しむことができる人はどんな人ですか」と聞いてみると、団塊男性では46.5%、団塊女性では38.5%が「配偶者」と答えており、男女共に「配偶者」がトップという結果(Q3-1)となった。
「一人では生き甲斐が半減する」(団塊上男性)、「とても大切なため」(団塊男性)、「二人で楽しむのが私達のモットーだから」(団塊上女性)、「共に喜びけんかをする素直な相手」(団塊女性)など、仲の良い夫婦ならではのコメントがみられた(Q3-2)。
セカンドライフの満足度が非常に高い人の74.5%は、セカンドライフに入る前から何かしらの準備を始めていると答えており、「『セカンドライフ』を有意義に過ごすための準備として『セカンドライフ』に入る前から行っている(いた)ことは何か」を聞いてみると、団塊男性では「マネープランを立てる」(32.6%)、団塊女性では「趣味・生涯学習などのクラブ・講座に参加する」(41.5%)が最も多く選ばれたが、「夫(妻)との関係を良くする」についても男性では29.1%、女性でも20.8%が選択した(Q4)。
「お金」や「趣味」の充実など、物理的な部分の準備も大切であるが、「ともに楽しめる、喜びをわかちあえる」という心の満足度を上げる準備も、同時に非常に必要であると考えていることがわかる。有意義な『セカンドライフ』を迎えるにあたっては、早めに始める「良い関係づくり」が重要となってくることが、この結果からわかった。
<ハートフォードおよびハートフォード生命保険株式会社について>
フォーチュン100社の1社であるザ・ハートフォード・ファイナンシャル・サービシズ・グループ・インク(ニューヨーク証券取引所取引コード:HIG、以下「ハートフォード」)は、米国で最も由緒ある大手保険および金融サービス会社の1つであり、ミューチュアル・ファンドを含む投資金融商品をはじめ、各種生命保険、団体年金、団体生命保険、自動車保険、住宅保険、法人向け損害保険などを提供しています。2005年における収入は約271億ドルに達しています。ハートフォードは、日本、ブラジル、英国で国際事業を展開しています。ハートフォードに関する詳細な情報についてはウェブサイト(www.thehartford.com)をご覧下さい。ハートフォード生命保険株式会社は、ハートフォードの日本法人です。ハートフォード生命に関するより詳細な情報については、当社のホームページ(www.hartfordlife.co.jp)をご覧下さい。
また、本リリースには、米国1995年私募証券訴訟改正法(Private Securities Litigation Reform Act of 1995)において定義されている将来の見通しに関する情報が含まれています。投資家の皆様にはこのような将来の見通しに関する情報が、当社の将来の業績を保証するものではなく、また実際の業績は大きく異なる可能性があることをご了解願います。また投資家の皆様におかれましては、当該リスクおよび不確定要素は将来の当社業績に影響を及ぼす可能性があることをご理解いただきたいと思います。このような重要なリスクおよび不確定要素には、米国証券取引法により報告が義務付けられている四半期の報告書(10-Q)や2005年の年次報告書(10-K)に記載されている項目が含まれます。
また、当社では、本リリース発表後にその内容を更新する義務を負いません。
<株式会社シニアコミュニケーション(東証マザーズ:2463)について>
日本で唯一のシニアマーケット専門機関であるシニアコミュニケーションは、主な事業内容として「シニアマーケットを狙う企業に対してのサポート事業」、「シニア向け商品の共同開発事業」、「シニア関連事業者への投資事業」を行っております。6年間で2,200件を超えるシニア向け定性・定量調査を実施し、1300件以上の企業や500以上のシニア会員組織とのネットワークを保持しています。また、32万人の会員を持つシニアコミュニティサイト「STAGE」(http://www.stage007.com/)の運営、シニアのオピニオンリーダー1万人限定の会員組織「MASTER」の運営などを通じて、シニアの細かなニーズをリアルタイムに収集する仕組みを保有しています。詳細な情報についてはホームページ(http://www.senior-com.co.jp/T)をご覧下さい。
リリース本文中の「関連資料」
http://release.nikkei.co.jp/attach_file/0148316_01.pdf
今日はデジタルカメラに関するお話をしたいと思う。
デジタルカメラに関して、「画素数」とか「解像度」という言葉をよく耳にすると思う。なんのことか良く分らなくて、聞き流している人も多いのではないだろうか。
そこで、「画素数」とか「解像度」について、簡単に説明してみようと思う。時間のあるときに、以下を読んでみて欲しい。
そもそも、写真がデジタルで表現されていると言われても、なかなか実感がわかない。難しい理屈を説明しても、これまた分らなくなるので、一言で説明してみようと思う。
「デジタル写真とは、カメラで撮った人物や風景を、色の付いた四角い点の集まりとして表現した画像」と言ったら、分った気分にならないだろうか。
この四角い点を画素と呼んでいる。L判の大きさの用紙に黒い点が一つだけだと、真っ黒な写真になる。しかし、何万個もの点があって、違った色で塗り分けられていると、何かの模様に見えるはずだ。この模様が、人物だったり、風景だったりする。
すなわち、一定の広さの矩形が、小さな矩形で区分けされている。この小さな矩形一つを画素と呼び、それぞれに色を付けて物を表現する。その画素の数が多ければ多いほど、点の密度が高ければ高い程、その画像は鮮明に表現できることになる。
画素数とは、写真を表現する四角い点の数のことである。そして、この画素の密度のことを解像度と言っている。
一般的に解像度はDPIで表現される。DPIとはDot Par Inchi の略で、一インチ四方の矩形の中に何個の四角い点があるかを示している。数値が大きければ、それだけ画素が多い、すなわち密度が高いことであり、画像を鮮明に表現することに繋がる。
デジタルカメラのフイルムに相当する部分には、画像を画素に分解するCMOSイメージセンサーとかCCDイメージセンサーと言ったICが組み込まれている。このセンサーが画像を画素に分解して記憶する。そして、この画素数で、デジタルカメラの性能を説明する場合が多い。
最近ではギガ単位の画素数に分解するセンサーを搭載したカメラも出てきている。
一方、プリンタの場合は、一定の範囲の中にどれだけの密度の点を描けるか、すなわち、どれだけ細かく点を描いて、画像を印刷できるかで、プリンタの性能が決まる。そこで、画素の密度であるDPIで、性能を説明することが多い。
少し乱暴な説明ではあるが、一般的に、画素数が大きければ、大きなサイズの用紙に綺麗に印刷できるという関係にある。考えようによっては、L判位の用紙にしか印刷しないのであれば、ギガ単位の画素数は必要ないと言える。
ちなみに、パソコン画面の解像度は、一般的には72DPIである。画面上に、鮮明な画像を映そうと思って、200DPIの画像を表示したとしても、パソコン画面は、物理的に1インチ四方に72個しか点を表示できない。そこで、200DPIの写真画像を72DPIの画面に表示する場合は、表示サイズを約3倍にして全ての点を表示するか、点の数を間引いて表示することになる。
もし、ホームページに200DPIの画像が貼り付けられていて、そのホームページをパソコンで見ようとした場合には、サーバからパソコンには200DPIの大きさの写真画像が送られてくる。しかし、ブラウザでは、72DPIに間引いて表示していることになる。
このように、ホームページに写真を貼り付ける場合は、72DPIのデジタル写真で充分なわけである。どうせパソコンで表示する時に画素が間引かれて捨てられるのであるから、サーバとパソコン間の通信の負荷を考えれば、最初から解像度を72DPIにしておくのが懸命とも言える。
ちなみに、みなさんから送られてくる写真画像は、200DPI程度のものが多いが、このブログに掲載する時は、全て72DPIにして掲載している。
ところで、画素数が多いと綺麗な写真になると取られがちだ。しかし、一概にそうとも言えない。画素数が多いことと、カメラの表現力を混同しないようにしたい。
カメラの表現力は、単に画素数や解像度で決まるというものではなく、カメラのレンズやフイルムに当たるイメージセンサーの性能で大きく左右される。フイルムカメラでのレンズとフイルムの関係に似ている。
フイルムカメラのフイルムに当たるCMOSイメージセンサーやCCDイメージセンサーの画像の画素への分解力と、画像を取り込む入り口であるレンズの性能が、カメラの表現力を左右する。レンズやセンサーの色の分解力や表現力が劣っていれば、どれだけ画素数が多くても、鮮明に画像を記録することはできない。
デジタルカメラを選ぶ時は、画素数だけに目をとらわれるのではなく、利用目的や用途に合わせて選びたい。
ちょっとややこしい話になって申し訳ない。ところで、みなさんは画素数や解像度など、あまり気にすることなく、手持ちのデジタルカメラや携帯電話で撮った写真をそのまま送ってくれるとよい。こちらで適当に処理して掲載する。気軽に撮って、身近な出来事の一文と一緒に送ってくれればと思う。
同期のみなさんからの投稿を楽しみにして待っている。
みなさんもご存知と思うが、金融・企業財務のコンサルタントとして有名な木村剛さんは、富山県出身である。確か中部高校出身だったと思う。その木村剛さんのブログに「公務員の退職金は30年物国債で支払おう」という記事が載っていた。
なんのことかと思いながら読んで、「やっぱりか」「そうだろうなぁ~」と、納得してしまうところが、少し怖い。
木村剛さんは、「国家破綻研究ブログ」を紹介している。紹介している記事の中に財務官僚との情報交換というのがあった。
わんだぁ「国債の累積発行高が800兆円を超していますよね。デフォルトする可能性もあるのではないですか?」
財務官僚「デフォルトする前に、多分、デノミ※をやるでしょう。私どもは、日本国債はぜったい買わない。日本国と道連れは御免です。財務省の職員で日本国債を買っている人はいないのではないか」
今、教育現場では、民間企業で言う「実力主義」だとか「成果主義」といった考えが持ち込まれているようである。そして、構造改革の名の下に、「教育」そのものが、変質してきているのではないかと感じる。
某県下の県立高校のホームページを見ると、「学校経営計画」と言うものが公開されている。(「教育計画」は見当たらない。)どの高校の「学校経営計画」を見ても様式は同じなので、多分、県の教育委員会から提出を求められているのだろう。
どの高校の「学校経営計画」も、似たような内容である。また、前年度の実績には評価点が付けられている。もっともらしい点数が付いてはいるが、誰がどういった基準で評価しているのか良く分らない。
結局のところ、最大の評価数値は、生徒がどの大学に何名進学したかにあるように映る。分りやすいと言えば分りやすい数値目標である。学校もこういった数値で、管理され、評価されているとすれば、寂しい限りである。先生方もやるせなさを感じているのではないだろうか。
そもそも学校の教育方針を「経営計画」と呼ぶのが面白い。常に評価者の目を気にせざるを得ない現場の先生方の姿が目に浮かぶようである。
いみじくも少し前に、福岡の中学校でいじめ事件があり、新聞やテレビで連日報道されていた。この中学校の校長先生の発言や、緊急全校集会での生徒達への説明の報道を見ていても、こども達へのすまないという思や、教育への情熱が伝わってこない。
上からのプレッシャからなのか、組織の保身的発言に終始する校長。 それを報道するニュース・キャスタが、怒りで、涙しながらニュース原稿を読んでいた。ニュース・キャスタのその時の気持ちが、一般的国民の気持ちではないだろうか。
先の某県のように、学校の教育計画を「経営計画」と呼ぶ発想には違和感を感じる。今、教育現場では何が起きているのだろうか、不安が募る。
そして、今話題になっている高校の「履修単位不足問題」も同根のように思う。報道によれば、全国どの高校でも、かなり前から多かれ少なかれやっているようである。
このことを、文部科学省が知らなかったと言うのだろうか。もし、知らなかったと言うのであれば、いかにも間が抜けた話だ。
文部科学省は、責任を高校の現場担当者に被せるだけではなく、どの段階で下からの情報が遮断されたのか、何がそうさせたのかを、真摯に検証しておくべきであろう。
(なお、学校の教育計画を「経営計画」と呼ぶのは、某県だけなのか、文部科学省の指示で全国的に作っているものなのかは調べていないので定かではない。)
産経新聞の社会面に『「なれ合い型」学級崩壊が急増 都市部で顕著』という記事があった。我々の高校時代のことを振り返りながら、この記事を読んだ。 みなさんはどう感じるだろうか。
この記事の中で、崩壊の過程を次のように言っている。
学級のルールが守れなくても「今日は仕方がない」などと特例を設けたり、私語を許すなどルール作りがおろそかになり、子供側には「ルールは先生の気分次第」という空気が生まれる。やがて教室内には、教師の気を引く言動が無秩序に生まれ、「あの子がほめられて面白くない」「先生は私と仲良くしてくれない」などの不満が噴出。告げ口が横行し、学級の統制が取れなくなる。
先生方が、自分の生き様をさらけ出して生徒に接すれば、生徒達は先生の後姿を見て育つだろう。我々も、良きにつけ、悪るきにつけ、先生方の後姿を見て育ってきたではないか。先生達は自分の生き様に自信を取り戻して欲しい。
また、学校の管理者と言われる人達にもお願いしたいのだが、先生達を管理(監視)するのが管理者の役割と勘違いするのではなく、それぞれの先生達が、自信を持って生徒に接することができる職場環境を作るのことこそが管理者の大切な役目だと思って欲しいものである。
しかし、どうしても先生という職業に自信を持てない者はでてくるだろう。そんな先生方には、別の道に進めるようにして置いて欲しい。これがないと、何時までも先生という職業にしがみ付いていなくてはならなく、先生に取っても生徒に取っても不幸なことになる。
その先生に適した次の職場を提供したり、紹介するのも、役所や管理者の役目ではないのだろうか。
厚労省研究班が「糖尿病にかかるとがんリスク3割増」といった調査結果をまとめたと26日の各紙で報道している。
一方、24日の時事通信で、モンペリエ(フランス)で開かれた国際コーヒー科学協会の会議では、「コーヒーは、パーキンソン病や糖尿病などの病気にかかりにくくなる効果があることなどが報告された。」と報じている。
この記事の中に
同期会に参加している者を見渡してみると、年相応に恰幅がよくなっている者も多かったように思う。
また、転がりそうな腹をして、「4年はもたない。次の同期会は2年後にしよう」という者もいた。
そんな弱気にならないで、こういった報道も参考にして、各人身体を自愛して、元気な姿で、次回の同期会で再会しようではありませんか。
デジタルデバイドと言う言葉を耳にしたことがあると思う。
情報技術を使いこなせる「もの」と、使いこなせない「もの」との格差を表した言葉であり、「もの」とは、個人間であったり、国家間であったり、地域間であったりする。
今回の同期会での案内状作りや発送作業といった実作業を、殆ど私一人でできたのも、このブログで同期のみんなと情報交換できるのも、情報技術がなければ出来なかったし、出来ないと思う。
かくかように、インターネットを筆頭にした情報技術は、好むと好まざるとに係わらず、意識するしないに係わらず、我々の生活の中で、なくてはならないものになってきている。
そうこう思っている中で、INTERNET Watch に、行動特性や世代ごと利用動向を分析した「ネットユーザー白書2006」の紹介記事があった。世代別に分析しているところに、特に興味が引かれたので、引用して紹介します。
電脳生活世代は、1985~1991年生まれで、高校時代までにブロードバンドと接触した世代。ネット娯楽世代は、1980~1984年生まれで、高校時代にインターネットと接触した世代。つながり世代は、1975~1979年生まれで、大学時代にネットと接触した世代。ネットコンビニ世代は、1968~1974年生まれで、就職期にPCと接触した世代。
またメディア乗継世代は、1959~1967年生まれで、就職期および20代でワープロ、30代でPC・ネットと接触した世代。ネット格闘世代は、1950~1958年生まれで、40代でPC・ネットと接触した世代。ネット手ほどき世代は、1942~1949年生まれで、50代でPC・ネットと接触した世代。スローメディア世代は、1937~1941年生まれで、60代でネットと接触した世代となる。
主な特徴として、つながり世代までは、ブログやサイトの閲覧、チャットや掲示板などを多く利用しており、インターネットをコミュニケーションツールとして活用する傾向がある。一方、ネットコンビニ世代以降は、ネットショッピングやネットバンキング、オンライントレードを多く利用する傾向がある。

