東洋東南アジアフォーラム(バンコク)

豊中北ライオンズクラブ
廣中 康二

昨年は第40回東洋東南アジアフォーラムがバンコックで行われるとの事で1988年当時の三役、会長、L松原、会計田中(喜)と私の3人でツアーでなく3人で単独参加で出発、キャビネットで代議員登録はしてあるもの大会登録とパレードの参加場所のみで出発したのである。

翌朝、タクシーで大会登録会場へ、もう人、人、の波で大変である。

広さん登録して来てや、わしら此処で待っているからなの一言である。会場内を右往左往で日本人のライオンズに尋ね廻ってやっと335−B地区のカウンターへ登録するも大変なむし暑さと冷や汗とで汗だく、会場内へとにかく日本のライオンスメンバーの所へ地区は関係なしで日本は全部一緒ですよの事で着席しやれやれである。 間もなく開会式である。

最初のタイ国王のお祈り、ご挨拶についで国際会長ジーヨジ・ブライアン・スチブンソンの挨拶である。 広さん何をいっているかさっぱり分らんがな、もう早よ帰ろうやで、会場を後に市内観光、又、夜は海鮮料理にしたつづみの後、夜店で買物、当時、ローレックス(偽物)時計が一ヶ3,000円安いな。?

翌日はパレード会場はバンコック大学構内よりの出発である。一時間位並んで待機でやっと出発、30度を越える蒸し暑さの中である。一時間くらい行進したものの大変でL田中としんどいなと話し合っているとL松原がわしら戦争中はビルマから半年間歩いて逃げ帰って来たんやでの一言であるもやっぱりあかん途中でタクシーでエスケープホテルへ、明日からはチコマイへ行ってバカンスやでと観光とゴルフを楽しんで帰国の途へ(ビールのつまみ、コーロギの唐揚げおいしかった)。?

        L松原清 L田中喜八郎 L廣中康二