法システム

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町村さん、私の「ウイニー開発者の意図と思想の自由」から派生した「法システム」に関しての「法システムの正当性回復?」といったコメントありがとうございます。
どうも、ライブドアは、23時頃からアクセスが極端に遅くなって、書き込みに失敗することが多いようです。投稿できず、いやな思いをされたのではないかと思います。申し訳ありません。コメントいただいた内容は、こちらに全文引用させていたたきました。引用させていただいた記事に関しても、町村さんのプログで議論のされていますので、みなさんには、こちらも合わせてご覧いただければと思います。これからも、いろんなことを教えていただければ嬉しいです。よろしくお願い致します。
こちらのコメント欄に書きたかったけど失敗するので、こちらでちまちまと。
 法システムが確固として存在し、逸脱行動にはサンクションを加えて自らの正当性を回復する、その変更は立法を通じて行うというのが一つの建前だが、実際にはそう単純ではない。
前提となる事実関係が代わった結果、死文化した例は枚挙に暇がない。
 刑事法だって、例えば堕胎罪、姦通罪の類は、かつて有効だった時代も、ほとんど死文化したと言っていい。
 その場合、事実を法に合わせようとする法システムの正当化は、二、三の不幸な被害者はいるかもしれないが、たいてい失敗に終わる。
法自体の修正も、立法に委ねられるというのは、建前としてはその通りだが、判例法や慣習法といった要素は法律自体にもビルトインされているし、解釈による法の変遷は普通のこととして見られる。
民事の例だが、譲渡担保とか仮登記担保とか、これまた枚挙に暇がない。
 任意に支払った利息は違法な高利でも返還請求できないという法律、これは今でも有効に残っているが、判例が死文化させた。
 立法がそれに揺り戻しをかけたが、判例はさらに任意性や書面性を厳格に解することで立法府の意図を骨抜きにしている。
法律なり法システムなりがそれ自体として確固として存在しているわけではなく、それらが前提とする社会的事実に依存しているというのが正確なところである。

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このページは、弁天小僧が2004年10月 6日 06:52に書いたブログ記事です。

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