電子化社会を考える

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 今の社会、電子化が進んでいる。電子化は、私たちの生活に、多くのメリットをもたらしてくれる。私たちも大変便利な道具として、生活に受け入れている。

 購入した商品の代金を、請求のあった会社の銀行口座に、パソコンや携帯電話で、簡単に振込送金できる。一々、銀行に行く必要もない。全て電子的手続きで事が済んでしまう。
 この7月1日から、東証上場企業の株券も紙から電子化となっている。電子化と言っても、株券を画像ファイルにするとか、PDFファイルにするといったことではなく、株券としての構成情報を、電子的なデータとして保管するということである。
 いままでは、株を売買すると、実際に紙の株券が動いた。これからは、コンビュータの中でデータが動くだけである。動くと言うよりは、記録媒体上の所有者名などのデータが書き換えられるということだろう。

 電子化された情報というのは、人の目で直接見ることができない。コンピュータという道具を使ってしか見ることができない。電子化とは、今まで人の目に見える紙に記載されていた文字を、コンピュータで処理する記憶媒体にデジタル化し、データとして記憶する。所有権の移転などの商取引は、当該関連項目のデータを書き換えることで、表現するということである。

 確かに、効率的であり、便利な世の中になったと思う。しかし、どことなく不安を感じる。

 コンピュータが私たちの生活の中に入ってきて以来、EDPからMIS、DSS、OA等々、その度に、これからはペーパーレスの時代だと言われてきた。しかしである、その度に、紙の使用量が増えているのに気付く。パピルス四千年の歴史を、そう簡単には変えることはできないということだろう。

 最近、父が他界した。少ないなりにも父には財産があった。父は遺言書を残していたわけでもないので、父の財産を調べる必要があった。銀行の貯金通帳や土地の権利書などの目に見える書類を元に、至って簡単に父の財産を把握でき、それらで相続の手続きをすることができた。

 さて、最近は・・・。銀行はネットバンクで通帳はない。取引履歴もコンピュータの中。株取引もパソコンで、取引履歴も電子化されている。いままでなら、年に2,3度は証券会社から取引内容が送られてきた。今や電子交付とか言って、それすらも送られてこない。

 今、私が不慮の事故で死亡した場合、家族が私の財産を知る術はなにもないことになる。人の目で確認できる通帳はない。銀行や証券会社からの通知もない。どの銀行にどれだけの貯金があるか。どの証券会社で、どこの会社の株を保有しているのかを知る術もない。
 確かに便利な時代にはなった。しかし、それなりの落し穴(リスク)があることに気付く。

 さて、どうしたものかと、考えさせられる今日この頃である。


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このページは、弁天小僧が2006年7月 4日 21:37に書いたブログ記事です。

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