ウイニー事件に思う: 2004年10月アーカイブ

去る15日にウイニー裁判の第3回公判が京都地裁であった。その時の内容が段々と伝わってきている。

「Winny裁判を切る」
 http://blog.livedoor.jp/winny_info/

これを見て思うのだが、弁護側の弁護方針が見えてこない。ウイニー開発者がウイニーをなんのために開発したのか、社会的インフラを使って、一般人を実験台にして何を研究しようとしたのか見えていないから、傍聴記録を読んでも、弁護側の反対尋問の目的がどこにあるか見えてこないし、伝わってこないのだろうと思う。
裁判では、有罪無罪を立証するために、検察側と弁護側の駆け引きの中で証人への尋問がされる。別段パソコンやウイニーの勉強会をやっているわけでもないので、証人も知識があったとしても聞かれないことまで、余分に説明はしないだろう。また、ある部分で、捜査官の技術レベルの低さを指摘できたとしても、それが事件にどういった意味を持つか、裁判官に伝わらなければ、ほとんど意味のないことになる。
そして、報道機関の記者が居眠りをしていたといったことが書かれていた。居眠りしたくなるような内容だったということだろう。
記者に、眠っている場合じゃないと思わせる内容でなければ、法廷外への情報発信は望めないだろうし、世論の支援の声にも繋がらないだろう。傍聴している人達も、裁判の授業を受けているわけでもないのだから、眠くなる内容であれば、舟を漕ぐことにもなるだろう。
今までの2回の公判は検察官、弁護人双方の挨拶代わりのようなもの。次回公判から、段々と核心的な証拠が出てくるように思う。注目していきたい。

法システム

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町村さん、私の「ウイニー開発者の意図と思想の自由」から派生した「法システム」に関しての「法システムの正当性回復?」といったコメントありがとうございます。
どうも、ライブドアは、23時頃からアクセスが極端に遅くなって、書き込みに失敗することが多いようです。投稿できず、いやな思いをされたのではないかと思います。申し訳ありません。コメントいただいた内容は、こちらに全文引用させていたたきました。引用させていただいた記事に関しても、町村さんのプログで議論のされていますので、みなさんには、こちらも合わせてご覧いただければと思います。これからも、いろんなことを教えていただければ嬉しいです。よろしくお願い致します。
こちらのコメント欄に書きたかったけど失敗するので、こちらでちまちまと。
 法システムが確固として存在し、逸脱行動にはサンクションを加えて自らの正当性を回復する、その変更は立法を通じて行うというのが一つの建前だが、実際にはそう単純ではない。
前提となる事実関係が代わった結果、死文化した例は枚挙に暇がない。
 刑事法だって、例えば堕胎罪、姦通罪の類は、かつて有効だった時代も、ほとんど死文化したと言っていい。
 その場合、事実を法に合わせようとする法システムの正当化は、二、三の不幸な被害者はいるかもしれないが、たいてい失敗に終わる。
法自体の修正も、立法に委ねられるというのは、建前としてはその通りだが、判例法や慣習法といった要素は法律自体にもビルトインされているし、解釈による法の変遷は普通のこととして見られる。
民事の例だが、譲渡担保とか仮登記担保とか、これまた枚挙に暇がない。
 任意に支払った利息は違法な高利でも返還請求できないという法律、これは今でも有効に残っているが、判例が死文化させた。
 立法がそれに揺り戻しをかけたが、判例はさらに任意性や書面性を厳格に解することで立法府の意図を骨抜きにしている。
法律なり法システムなりがそれ自体として確固として存在しているわけではなく、それらが前提とする社会的事実に依存しているというのが正確なところである。
ウイニー開発者が、一般人に法律違反をさせようとの意図でウイニーを社会に提供して、一般の人に使わせたとしても、開発者の意図(犯意)での行為を問題にするのは、思想の自由の弾圧になるから、そのような考えは不当だということになるのだろうか。
私も思想の自由は保護されないといけないと思う。各人が信じる思想をもってして、自分自身が行動するのは分かるし、ある種尊敬もする。しかし、その法律が気に食わないからといって、法律違反をすることを目的とした道具を一般の人に使わせて、一般の人に法律違反を助長させたとしても、開発者のやった行為は、思想の自由として許されるということだろうか。
他人に、法律違反をさせることを意図して(犯意を持って)、道具を使わせるのは不当だと言う考えは、法律の解釈からすると、思想の自由に反するということだろうか。うぅ~ん、やっぱり納得できない。
まったくもって法律の理屈なるものが、よく分からない。他人に犯罪をさせようという考えで、他人に法律違反をさせて、その人が罰を受けたとしても、積極的に道具を提供するなどして、法律違反をさせた人は、思想の自由ということで保護されるものなのだろうか。法律のトリックか? もう少し考えよう。

以下の表現の方が、より具体的で分かり易いと思うので訂正した(10/3)
ウイニー開発者が、一般人に著作権法違反をさせようとの意図でウイニーを社会に提供して、一般の人に使わせたとしても、開発者の意図(犯意)での行為を問題にするのは、思想の自由の弾圧になるから、そのような考えは不当だということになるのだろうか。
私も思想の自由は保護されないといけないと思う。各人が信じる思想をもってして、自分自身が行動するのは分かるし、ある種尊敬もする。しかし、著作権法が気に食わないからといって、著作権法違反をすることを目的とした道具を一般の人に使わせて、一般の人に著作権法違反を助長させたとしても、開発者のやった行為は、思想の自由として許されるということだろうか。
他人に、著作権法違反をさせることを意図して(犯意を持って)、道具を使わせるのは不当だと言う考えは、法律の解釈からすると、思想の自由に反するということだろうか。うぅ~ん、やっぱり納得できない。
まったくもって法律の理屈なるものが、よく分からない。他人に犯罪をさせようという考えで、他人に著作権法違反をさせて、その人が罰を受けたとしても、積極的に道具を提供するなどして、著作権法違反をさせた人は、思想の自由ということで保護されるものなのだろうか。法律のトリックか? もう少し考えよう。

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