IT技術者のためのデジタル犯罪論  弁護士 五右衛門(大阪弁護士会所属 服部廣志)

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  目  次

中立行為に関する「教唆的幇助意思の理論」

教唆的幇助意思の理論

(この問題は、法律家のなかでも未解決の難しい問題なので、平易な表現をしていませんが、勘弁して下さい。いずれ、もっと平易な表現に改めます。)

一 Winny事件においては、

1 当該被告人の「どのような行為が問題なのか」という可罰的行為の内容の問題と

2 Winnyというソフトを開発、公開する行為と可罰的な幇助意思の存否

というふたつの問題がある。

 既に推測として述べた「+アルファ行為」の存否と可罰性の問題は上記1記載の問題であり、他方、これとは別に、Winnyというような犯罪の幇助をも可能なソフトの開発、公開行為と可罰的な幇助意思の存否と認定という一般的な問題もある。

二 ここで教唆的幇助意思の理論として、試案を開示するのは、客観的な行為面である上記1及び主観的意思の側面である上記2記載の問題についての私見である。

1 犯罪の幇助をも可能なソフトの開発、公開行為それ自体では犯罪は成立しない。

 なぜなら、韓国のP2Pソフト無罪判決と同様、日本においても、犯罪の幇助をも可能なソフトの開発、公開をした人について、「著作権侵害行為を防止する積極的な義務があるとは言えない」からである。ソフトの開発と公開は、それ自体は正当行為と考えられからである。

2 では、Winny事件のような場合、どのような行為があれば、可罰的となるのか。

 行為類型として、正当行為の場合と区別し、「可罰的な幇助行為」があったというためには、「教唆的な幇助行為」が存在することが必要である。この教唆的という点が、行為類型としての正当行為との区別であり、可罰性の根拠である。

3 客観的に見て、幇助となり得る行為は無限定である。だからこそ、例えば 、

イ 著作権侵害行為をする方法、使い方を教えた場合、

ロ 依頼に応じて著作権侵害をやりやすくするような改良を加えた場合

 という事実がない限り、「客観的に見て、幇助となり得る行為」のみを捉えて、これを可罰的な幇助行為とみるのは処罰の範囲があまりに広がりすぎるという難点がある。

4 しかし、上記3記載のような可罰的幇助行為についての限定、制限方法は、インターネット社会の実態にそぐわなくなってきている。

 今回のWinnyのようなケースの場合、共犯と疑われる人と正犯者との間に具体的な共犯、通謀関係が希薄となっているからである。

  従来の理論と違う、限定、制限方法を模索する必要性がでてきている。刑法学者も、これについていっていない。

三 教唆的幇助意思の理論

1 試案、私見であるが、

イ 客観的に幇助となり得る行為をした

ロ そして、行為者に幇助結果を容認する意思が認定できるということのみで、幇助行為の故意を認めると、無限定になり過ぎる。

 なんらかの、予測可能な限定方法が、限定する刑法理論が必要である。

2 客観的に幇助行為となり得る行為をした場合、仮に、その行為者に幇助の結果を生むことを予測し、かつそれを容認しただけで幇助意思ありとして、主観、客観の要件が具備したとして犯罪成立を肯定するとIT技術の進化、発展を阻害する結果となる。

 従って、このような場合には、、単なる幇助結果の容認ではなく、もっと、強い、「教唆に匹敵する意思」が認められる場合にのみ幇助の意思を肯定すべきである。

 「教唆的な幇助の意思」が肯定される場合にのみ、幇助の故意を肯定すべきである。

チ このように限定すれば、IT技術者の懸念は払拭でき、問題の解決は可能かもしれない。

3 この幇助意思を限定する理論は、幇助と正犯の実行行為との間の相当因果関係を補強肯定する機能を持ち、そして、それは、「意思と行為と結果」により構成される行為類型を限定する役割を持つものである。

 それは、正当な行為と区別するための行為類型論(行為論)でもある。

四 Winny事件の場合、被告人に

1 従来の共犯理論におけると同程度の教唆意思(幇助意思を含む)と教唆行為(幇助行為を含む)(但し、正犯との関係における個別的、具体的行為は不要)が認められるか否か。

2 1が肯定されて、本件は幇助犯の成立が肯定される。

五 視点-再考

1 上に記載した「教唆的幇助意思の理論」を違った視点で評価してみる。

2 問題の所在は

イ ネットの普及により、正犯との個別的、具体的通謀(片面的幇助の場合を含め)が希薄なケースが生じてきている。

ロ 他方、幇助概念の曖昧さから、正犯との個別的、具体的通謀(片面的幇助の場合を含め)がない場合においても、従来の幇助に関する刑法理論からすれば、これを幇助に該当するという結論も可能である。

ハ しかし、ロのような結論を是とすれば、法律が想定している破壊活動防止法所定の「扇動行為」と「幇助行為」との区別が曖昧となり、罪刑法定主義の観点から問題が残る。

ニ 結局、本件の問題は、ネット社会の拡大、浸透に伴う「扇動行為と幇助行為の線引き」にあるとも思われる。

ホ 扇動行為と幇助行為の線引きをどうするのか。

 因果関係に求めることは困難なようであるし、故意の内容に限定を加える方策も理論的な問題を残すようにも思われる。
やはり、「当該行為と正犯行為との関連」というか、「当該扇動行為が、正犯行為に与える影響の強さ」に求めるほか、他に適切な線引きの論理が見つからないようにも思える。 それならば、可罰性についての国民の支持を得ることができるかもしれない。

ヘ Winny事件の場合も、「従来の共犯理論におけると同程度の教唆的幇助の意思(幇助意思を含む)」と「教唆行為に匹敵する程度の正犯行為への影響力ある幇助行為」が認められるか否かにより、幇助の該当性を判断すべきであり、これが認められなければ無罪とすべきか。

 しかし、このような理論は、それ自体曖昧さを持っており、線引きの理論としては適切ではないという批判もあり得るが、他に適切な理論が見つからない以上、判例理論の集積による予測可能性を追求するしかないのかもしれない。

六 視点-再々考(教唆的幇助意思の理論の崩壊)

イ 扇動行為と幇助行為の線引きについては、上記のように考える他ないのかもしれない。

ロ ここで、もう一度、いわゆる「中立的行為」について考えてみる。

 この「中立的行為」という問題点の出発点は、中立的行為であっても、主観、客観の構成要件該当性を検討すると、犯罪構成要件に該当し得るものである、というところにあったはずである。

 しかし、この出発論理がもともと社会常識に反するものであり、その社会常識に反する論理を修正するために、無駄な議論をしてきているようにも思える。

 前記のとおり、「教唆的」というような概念を用いたのは、単なる中立的行為の犯罪構成要件該当性を否定するための論理でもある。それは、言葉を変えれば、単なる「中立的行為」のみでは犯罪構成要件に該当するとの判断は不当であり、「中立的行為」を越えた「+アルファ行為」が必要であるというのと結論を一にする。

 このように考えてくると、「中立的行為」の議論は特別必要性がないこととなってくる。

 「中立行為」は中立行為であることから、犯罪構成要件該当性を論じること自体無用であり、構成要件該当性はない。中立的行為であるということは、「当該行為が正犯行為を幇助するものである」と評価するに足りる法的な相当因果関係が認められないからである。中立的行為の「中立」という所以はここにあると考えるべきである。

 しかし、それを逸脱する「+アルファ行為」があれば、当然別問題であり、通常の刑法論理で、この「+アルファ行為」の構成要件該当性を検討すれば足りることとなる。

 このように考えてくると、「教唆的幇助意思の理論」も無用のものとなる。

七 プラスアルファ行為

 例えば、

イ 「刃物販売店」が「当店で販売している刃物を使えば、簡単に人を殺すことができます」という立て看板を店頭に掲示して刃物を販売した場合、それを見て、現実にある人が刃物を購入して殺人行為に及んだ場合、どのような評価を受けるのだろうか。

 「刃物販売店」が「当店で販売している刃物を使えば、簡単に人を殺すことができます」という立て看板を店頭に掲示するとともに、店頭で、これを使えば簡単に人を殺すことができますよ、購入して下さい、というようなテープを反復放送して宣伝行為をして刃物を販売し、それにより、現実にある人が刃物を購入して殺人行為に及んだ場合、どのような評価を受けるのだろうか。

 店主には刃物を購入しにきた人が、立て看板を見たり、テープを聞いて購入しに来た人なのか、そうでない人なのかはわからない。

ハ 

 「客観的事実(中立的行為)を表示しているに過ぎない」として可罰的評価は受けないということになるのだろうか、それとも、「殺人という犯罪行為を幇助する意思」で「殺人行為の幇助行為をしている」と評価されるのだろうか。

 常識的な判断が回答をくれるようにも思えるのだが・・・・。

(注意-私はWinny事件に関与していませんので、Winny事件の場合のプラスアルファ行為の存否及びその内容については知りません)

 

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