命日に花を送りました

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 こんにちは 生島です。同窓会後もいろいろお世話になります。ありがとう。今日猪谷希美江さんの命日で花を送りました。店員さんに花の色などを聞かれているうちに、涙が出そうになり困りました。十年前、人生まだまだというときの突然の訃報でした。その時彼女の分まで一生懸命生きようと思いました。これからも忘れないでいたい。 _江里

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キッと80歳になっても江里ちゃんへと書くでしょう?・・・・(笑い)
 猪谷さんが亡くなってもう10年なんですね?
 お母さんはお元気なんですか?息子さん達ももう立派にお父さんなのではないでしょうか?
 TEL でのみ、お悔やみを言いましたが、一度もお線香をあげに行っていないんです。
 私たちが集まった写真を持っていってあげたいですね。

 彼女の結婚式には、放送部の私たちが4人で出席しました。
 2歳先輩の森さんの奈良の下宿から式場へい行ったと思います。岩井君・吉田君がたしか一緒でした。
 その後、新婚時代お宅に1泊して京都へ行ったことも懐かしく思い出し「じーん」と来ています。

 夢見る夢子さんでした。いつもロマンティックな話をしていたこと思い出します。
 江里ちゃん!みんな忘れていませんよ!幹事が集まったときも猪谷さんの話をしていました。
 では、お元気で、またお便り欲しいですね。

潤子さん ありがとう。中学の時、希美江ちゃんが貧血で倒れたことなどがあり、丈夫な私は「うらやましいな。希美江ちゃんみたいに弱々しく倒れてみたい」とばかなことを考えたものです。 残った私たちは悔いが残らないように生きていきたいですね。

私も同じ思いを高校時代にしていましたョ。
 小さな声で優しく話す、あの可愛らしさを、何度うらやましく思ったことか!
 映画「風とともに去りぬ」を見た後のことです。「スカーレットのように強く生きる女の人がかっこいい!」とわくわくして話す私に、私はメラニーがいいわ!」と大人っぽく一言!あの猪谷さんの横顔を忘れません。(愛する人を残して本当にメラニーと同じになってしまった・・・)
 私はよく学校生活の悩み事を聞いてもらい、励ましてもらっていました。     

 また、彼女のおのろけを聞かされたりしたものです。(これもまたうらやましかったなぁ・・・) 
東高校の屋上で時間を忘れて話し込んだものです。(思い出すと、眼頭があつくなります・・・)
 子育てにゆとりが出てきた頃、書道を始めたとか、ご主人の赴任先のシンガポールで夏休みを過ごしたなどと、幸福な日々を綴った便りをもらっていたあの頃・・・・
 つい、昨日のことのように思いますが、10数年以上も前の事になるのですね・・・・
 高校時代を振り返り、あるいは先日の同期会等を振り返り、「あれから何十年経ったのね」と懐かしく思い出を語り合えるよう、私たちは、お互い元気で、いい年を重ねていきましょう。

潤子さん、本当にそうだね。「しんどいな」ばっかり言わないでがんばろー!

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この記事について

このページは、ofoursが2006年9月 5日 12:14に書いた記事です。

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