2015年9月の記事一覧

安倍晋三首相は9月24日の記者会見で、新三本の矢をパネルを使って喜々として説明していた。この会見を見て、どれだけの人が、これからの日本経済に希望を持っただろうか。そもそも、今までの三本の矢はどこへ行ったのか。国民をバカにしていると感じた人の方が多かったのではないだろうか。

前日23日のニューヨーク・タイムズの掲載されていた風刺画を紹介する。世界のアベノミクスへの評価を端的に表現しているように思う。

The Prescription for Japan's Economy?

http://www.nytimes.com/2014/11/24/opinion/heng-the-prescription-for-japans-economy.html

走らない救急車瀕死の患者をタイヤのない救急車に乗せて何処に運ぶのか。アベノミクスが日本経済の処方箋というのが悲しい


金森

意地や見栄で追加金融緩和を行い、より悪い方向に経済や景気を進めることは、日銀としては決して行ってはいけない行為だ。黒田総裁は率直に「敗北宣言」を。

アベノミクスは完全に失敗している。アベノミクスに安倍晋三首相が言う第2ステージなどない。そもそも、いままでの三本の矢はどこにいったのか、国民を騙す詭弁はいい加減にしてもらいたい。

次に、JBpressの記事を転載して紹介する。

黒田日銀総裁は素直に「敗北宣言」を

バズーカの限界は明らか、新たな方針が今こそ必要

2015.9.24(木) 鷲尾 香一
日銀、2%インフレ目標導入 無期限の金融緩和策も

日銀の追加金融緩和を求める声は根強い。しかし、これ以上の金融緩和には経済・景気に対する好影響は望むべくもない。(資料写真)〔AFPBB News

 9月10日、自民党の山本幸三衆議院議員はブルームバーグとのインタビューで「10月30日の日銀金融政策決定会合は、追加金融緩和のいい機会だ」と述べた。山本議員に象徴されるように、日銀の追加金融緩和を求める声は根強い。

 9月14、15日の日銀金融政策決定会合前も、市場関係者の中には追加金融緩和を期待している向きがあった。しかし、日銀は現状の金融政策の維持を決めた。むしろ、景気判断では新興国経済の減速により、「輸出や鉱工業生産が横ばい圏内の動きとなっている」とし、判断を一部下方修正した。だた、この景気判断の一部下方修正が10月の追加金融緩和期待を高める結果にもなった。

10月の展望レポートが追加金融緩和の引き金に?

 黒田東彦日銀総裁は、就任時の2013年4月、「2年程度を念頭に消費者物価の上昇率を2%にする」という物価安定目標を打ち上げた。しかし、実際にはその実現目標は「2年程度を念頭」から「2015年度を中心とする期間」に、そして「2016年度前半頃」と、どんどん後ずれしており、2%の実現すら危ぶまれている状況だ。

 10月30日の金融政策決定会合では、半期に1度の「経済・物価情勢の展望」(いわゆる展望レポート)の見直しを踏まえて、政策決定が行われる。この展望レポートでは、前回7月の展望レポート時の経済・物価見通しを下方修正する可能性が高いと見られている。そのため、10月30日の決定会合では、展望レポートの経済・物価見通しの下方修正を受け、追加金融緩和が実施されるだろうというのが、市場関係者の多くが持つシナリオとなっている。

 今のところ、日銀内部には追加金融緩和を実施しようとする動きはない。しかし、2014年10月に追加金融緩和を実施した際には、黒田総裁はその直前まで「景気や物価の基調は順調」と言い続けていた。

 黒田総裁は、参議院財政金融委員会の参考人陳述で「物価は順調に目標に向かって進んでいる」と述べた3日後に追加金融緩和を行ったため、後日、「国会に遊びに来てもらっているわけではない」と参院議員から批判を浴びている。金融緩和はサプライズが大きいほど効果があると言われる。したがって、国会という国政の最高決定機関の場での意見陳述で、追加金融緩和を事実上否定した後だっただけに、この時の金融緩和は市場に大きなサプライズを与えた。

 だが、金融緩和は回を重ねるごとにその効果が薄れていくことは、金融先進国である米国の研究で証明されている。日銀が10月に追加金融緩和を実施するとすれば、すでに市場はそれを予想しており、サプライズは少ない。思った通りの効果を上げられるかは、いささか疑問だ。

 当初の量的・質的金融緩和(いわゆる異次元緩和)は、確かに金利の低下を促し、「デフレ経済から脱却できるのではないか」「景気が回復するのではないか」と人々のマインドを転換し、期待を醸成することに成功した。しかし、現状では新興国(特に中国)経済の先行き不透明感の強まりにより、この期待感が薄らぎ始めており、金融政策による期待の醸成には限界があることが鮮明になってきている。

サプライズは望めない追加金融緩和

 もし、次の追加金融緩和でサプライズを与えるとするならば、市場が予想している以上の量的(額)の追加緩和を打ち出すことである。

 だが、もはや国債の買い増しは不可能に近い。すでに、市場金利は限界点近くまで低下しており、国債市場は日銀の大量買入により、市場機能を失っている。市場金利がマイナス金利になるほど、国債の買い増しを行えば、現在ですら困難だと言われている金融緩和の終了時における国債の処分等(いわゆる出口戦略)が一層困難になるだろう。

 ETF(上場投資信託)の買い増しも考えられるが、すでに年間3兆円ものETFを日銀は購入しており、ETF市場に占める日銀の保有比率が高まっている。笑い話のような話だが、日銀が購入するETFは優良企業の組み入れ比率が高いため、9月末の決算時点で日銀が事実上の大株主になっている優良企業が多く出てくると見られている。

 結果的に、企業が進めているROE(株主資本利益率)経営に基づく株主還元の向上は、日銀やGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)のために行われているという本末転倒になりかねない。それよりも、日本を代表するような企業で、日銀やGPIFのような準政府機関が大株主になるのは、まるで中国やロシアといった資本主義の遅れた国家体制のようなものだ。

これ以上の金融緩和は悪影響の方が大きい

 確かに、異次元緩和による円安は、輸出企業の為替差益をもたらした。しかし、一方では円安による輸入物価の上昇も引き起こしている。特に、円安は原油安を相殺してしまうため、これ以上の円安は、輸出の為替差益という好影響よりも、円安による原油高という悪影響の方が大きくなり、日本経済に悪影響を与える可能性が大きい。

 つまり、これ以上の金融緩和には、市場が期待するほどの経済・景気に対する好影響は望むべくもない。むしろ、悪影響の方が大きいと言える。

 黒田総裁は、異次元緩和により、「2年程度を念頭」に消費者物価上昇率を2%にすると言ったが、その目標も達成できていない。それでも、この錦の御旗を下さないのは、それが日銀の敗北宣言につながるからだろう。

 しかし、意地や見栄で追加金融緩和を行い、より悪い方向に経済や景気を進めることは、日銀としては決して行ってはいけない行為だ。黒田総裁は率直に「敗北宣言」を行い、現状の金融緩和の限界を素直に認めた上で、日銀としての新たな方針を打ち出すことが肝要な時期に来ているのではいないか。


金森

私は決して忘れない

  • 時事

自民党、公明党は憲法を踏みにじり、国会のルールを無視して戦争法を強行に採決し成立させた。彼らの暴挙は決して忘れない。政権を担当することは許さい。自公は次の選挙で必ず退場させ、戦争法はなんとしても廃止しなくてはならない。

わたしは忘れない

金森

去る9月18日未明に、自民党、公明党が強行採決で戦争法を可決成立させた。立憲主義を無視した暴挙であり法的クーデターだと思う。

これに対して、日本共産党は戦争法廃止の国民連合政府を作ろうと提案している。生活の党と山本太郎となかまたちの小沢一郎代表が以前から主張しているオリーブの木に通じるところがある。

国民主権、立憲主義を破壊し、日本を全体主義国家にしようといている独裁政府は、なんとしても、倒さなくてはならない。

わたしは日本共産党員ではないし、日本共産党を支持している者でもない。ただ、今回の日本共産党の決断と呼びかけには、敬意を表し支持する。

以下に、日本共産党のHPに掲載されている国民連合政府に関する志位委員長の会見の内容を転載して紹介する。

「戦争法廃止の国民連合政府」について

志位委員長の会見 記者との一問一答(要旨)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-09-21/2015092104_01_0.html

 日本共産党の志位和夫委員長の19日の記者会見での記者との一問一答(要旨)は以下のとおりです。発表にあたって、加筆・整理を行っています。


写真 (写真)記者会見する志位和夫委員長=19日、党本部

政党は野党共闘を積み重ねてきた5党1会派に協力を呼びかけていく

 ――今回提唱された枠組みは党首会談をした5党1会派(共産、民主、維新、社民、生活、無所属クラブ)の枠組みを基本とするのですか。

 志位 今回の「提案」は、政党・団体・個人に広く呼びかけるというものです。政党として私たちが念頭においているのは、野党共闘を積み重ねてきた野党5党、そして参議院での1会派です。この方々に私たちの考えをお伝えし、胸襟(きょうきん)を開いて話し合い、協力を呼びかけていきたいと考えています。



「国民連合政府」という政権構想の提唱に、 「提案」の一番の要がある

 ――戦争法(安保法制)を廃止・撤回させるためには、連立政権でないといけないのですか。法案撤回に関しては協力していくということでは選挙協力はできないということですか。

 志位 戦争法を廃止し、立憲主義と民主主義を取り戻すということが、日本の政治にとっての緊急の大問題になっています。そして、「提案」でも述べているように、それを実行するためには、安倍自公政権を退陣に追い込み、これらの課題を実行する政府をつくることがどうしても必要になります。

 戦争法に反対する勢力が衆議院・参議院の選挙で多数を占めて、廃止法案を出し、可決させれば戦争法を廃止することはできます。しかし、それだけでは問題は解決しません。昨年7月1日の集団的自衛権行使容認の「閣議決定」が残ります。「閣議決定」が残る限り、「海外で戦争する国」づくりの火種が残り、政府の勝手な解釈変更によって憲法9条を事実上形骸化するという立憲主義に反した異常状態が続くことになります。この根を断ち切る、「閣議決定」を撤回する、ここまでゆがめられた憲法解釈を少なくとも前の段階に戻すというところまでやらないと、本当の意味で日本の政治に立憲主義を取り戻す、立憲的秩序を回復するということにはなりません。そのためにはそうした課題を実行する政府をつくることがどうしても必要になります。

 今回の「提案」は、"戦争法廃止、立憲主義を取り戻す"という一点での「国民連合政府」をつくろうという政権構想の提唱だというところに一番の要があります。選挙協力は、この一番の要で合意してこそ、本当に力のあるものになると考えます。

選挙協力のためには、「戦争法廃止の国民連合政府」 の合意が必要になる

 ――選挙協力の中身としては、候補者調整などを想定しているのですか。それとも実際に選挙協力、統一候補ということまで考えているのですか。

 志位 選挙協力の形態がどういうものになるのかは、相手のあることなので、いま具体的なところまで言うのは難しいです。

 選挙協力のためには、まず戦争法を廃止して、立憲主義を取り戻すという政治的合意が必要です。そして、その合意を実行するために連合政権をいっしょにつくろうという政権合意も必要だと考えています。

 その一点で合意した勢力で選挙協力をやろうではないかということです。その一点での合意ができた場合に、どういう形態での選挙協力をおこなうかは、協議によって決まってくるものであり、いまあれこれの形態だということを言うことはできません。

 ――選挙協力は、参院選と衆院選の選挙協力をめざすのか。早ければ来年の参院選挙での協力を目指していくということですか。

 志位 もちろんそうです。私たちの「提案」では、すみやかな解散・総選挙を求めています。総選挙と参議院選挙での選挙協力をめざすということです。そのために真剣に対応していきたいと思っています。

 ――5党1会派への呼びかけの時期と、合意形成を目指す時期はどうでしょうか。

 志位 野党のみなさんには、可及的速やかに、私たちの立場をお伝えしたいと考えています。また、団体、個人にも広くお伝えしていきたい。

 ただ、その合意がいつまでにというのは、なかなかこれは私たちだけで決められることではないので、いついつまでということは難しいですが、ぜひ真剣で率直な話し合いができればと願っております。

 ――参院選では全選挙区に候補を立てるという方針がありますが、選挙協力という点で、独自候補を立てないということも否定しないということですか。

 志位 政権協力の合意を土台に選挙協力の合意ができたら、当然、われわれが立てないで相手を推す、あるいは相手が立てないでわれわれを推してくれる、選挙協力にはいろいろな形態がありますが、当然そういうことになります。

 私たちの方針としては、全選挙区に立候補するという方針で取り組みをすすめていますが、選挙協力の合意がなったら、すでに立候補を表明しているところでも調整するということになることは当然です。

閣内協力か、閣外協力かという条件を最初から設定するつもりはない

 ――選挙協力の合意の前提としては、選挙後の政権の枠組みに共産党が閣内に入るという合意がなければ選挙区の協力が難しいですか。

 志位 閣内協力、閣外協力ということは、いま私たちとして何か前提をおいて考えているわけではありません。この「提案」に書いている以上のことは、条件をつけるつもりはありません。

 すなわち、"戦争法廃止、立憲主義を取り戻す"というこの一点での政治的合意があり、そして政権を組むという合意がある場合は、連合政府をつくろうということです。

 安倍政権打倒という声は、いま圧倒的多数の国民のなかに広がりつつあります。ただ、その場合、打倒した後をどうするのか、その後の政権構想が問われます。こうした局面は一過性のものではありません。

 "戦争法廃止、立憲主義を取り戻す"という一点での連合政府こそ、安倍政権を打倒した後の政権のあり方として一番理にかなっており、現実的な道ではないでしょうか。そうした政治的合意、政権合意をつくるうえで、さらにそうした合意に基づく選挙協力をすすめるうえで、閣外か閣内か、そういう条件を私たちから何か最初から設定するものではありません。

安倍自公政権を倒すには、「国民連合政府」まで腹を固めた選挙協力が必要

 ――"共産党と政権をになう"という合意がなければ、選挙協力が難しいということでしょうか。

 志位 私たちの「提案」では、選挙協力は、"戦争法廃止、立憲主義を取り戻す"という一点で連合政府をつくる、というところまで腹を固めたところで、選挙協力をやろうじゃないかといっています。

 なぜそう言っているのか。先ほど述べたように、戦争法を本気になって廃止する、立憲主義の回復を本気でやろうとすれば、政権を代えることが必要不可欠です。この仕事はもとより安倍政権のもとではできません。安倍政権を倒し、それに代わる政権をつくらなければできません。

 戦争法廃止と立憲主義の回復を実行する国民連合政府をつくる、そこまで腹を固めなければ、これは本気のたたかいになりません。"国民的な大義"にはなってきません。そこまで腹を固めることが、選挙協力をするうえで必要です。安倍自公政権を倒すことは、並大抵のことではできません。そこまで腹を固め、"国民的な大義"を鮮明にした選挙協力が必要だというのが、私たちの考えです。

「国民連合政府」の綱領上の位置づけと、これまでにない特徴について

 ――これまでの日本共産党の考え方として、民主連合政府を樹立するという方針がありましたが、その方針とどうちがうのですか。

 志位 わが党の綱領では、政府については、2種類の政府を規定しています。

 一つは、民主主義革命――異常な対米従属と大企業・財界中心の政治を打破して、日本社会の民主主義的な改革を全面的に実行する統一戦線の政府です。綱領では、この政府を、民主連合政府と呼んでいます。民主連合政府の樹立が、私たちの一貫した大目標であることには、変わりがありません。

 いま一つ、綱領では、そこまで条件が熟していなくても、「さしあたって一致できる目標の範囲」での統一戦線の形成と、その上に立つ統一戦線の政府を、一定の条件が生まれたときにつくるために力をつくすということを明記しています。

 今回、私たちが提唱している"戦争法廃止、立憲主義を取り戻す"という一点での国民連合政府というのは、わが党の綱領上では、「さしあたって一致できる範囲」での統一戦線での政府という位置づけになってきます。

 「さしあたって一致できる目標」の政府については、わが党は、過去にそういう政府を提唱してきた、いろいろな歴史的な経験をもっています。その最初の経験は、1960年5月、当時の岸内閣が新安保条約承認の単独採決を強行し、国民の怒りが大きく広がり自民党内からも批判が生まれるなかで、「岸一派をのぞく全議会勢力による選挙管理内閣」を提唱したことでした。

 その後も、わが党は、政治の重大な節々で、「さしあたって一致できる目標」の政府を提唱してきました。直近のものとしては、1989年7月、消費税の強行成立、リクルート疑惑拡大などで国民の怒りが頂点に達し、"日本列島騒然"となったときの、(1)消費税廃止、(2)企業献金禁止、(3)コメの自由化阻止――三つの緊急課題での暫定連合政府の提唱があります。これらは実りませんでしたが、その時々の政治的な力関係、政党配置、政治状況に即した提起として、重要な意義をもつものだったと思います。

 こうした歴史的経験があるわけですが、今回の「国民連合政府」の提案は、これまでのさまざまな政府の提唱と比較しても、その現実性、可能性が、最も大きい提案といってよいのではないかと考えています。また、この連合政府がとりくむ課題としても、国政上のあれこれの部分的な課題ではなく、戦争法を廃止し、日本国憲法の立憲主義、民主主義、平和主義を取り戻すという、日本の政治の根幹部分――土台にかかわる課題を実行しようという点で、これまでにない提案になっていると思います。さらに、こういう重要な歴史的な局面で、連合政府という大目標で一致する野党が選挙協力を行おうというよびかけは、党の歴史でも初めてのことです。その点では、私たちとしても初めて踏み出す新しい方針だといえると思います。

「暫定的な性格」ということの意味について

 ――戦争法廃止の一つの争点で、政権をとり、戦争法の廃止と「閣議決定」を撤回したら、ほかの政策はいじらずに、すぐに解散・総選挙ということになるのですか。「提案」には「暫定的な性格」とありますが、「暫定」とはどのくらいの時間枠ですか。

 志位 「暫定」がどのぐらいの時間枠になるのかというご質問ですが、これはいまの段階であれこれの時間枠の設定をすることは難しいですね。

 「国民連合政府」は、"戦争法廃止、立憲主義を取り戻す"という一点での合意を基礎にした政府です。その意味で、「提案」では、「その性格は暫定的」なものとなること、「戦争法廃止という任務を実現した時点で、その先の日本の進路については、解散・総選挙をおこない、国民の審判をふまえて選択すべきだと考えます」とのべています。これが、基本的な立場であります。ただ、まず、この政府に課せられた、この最大の任務の実行は、それ自体が文字通りの大仕事であり、それがどのくらいの時間枠で達成できるかを、あらかじめ言うことはできません。

 さらに、この政府では、「提案」でのべているように、当面するその他の国政上の問題についても、相違点は横に置き、一致点で合意形成をはかるという原則にたって対応していきたいと考えています。

 そのさい重要なことは、この間の戦争法案とのたたかいの過程で、野党5党で、内閣不信任案を共同して提出したことに示されるように、「安倍政権の退陣・打倒」という点では、政治的な一致がすでに存在しているわけです。そういう政治的一致があれば、安倍政権の国民多数の民意を無視したさまざまな暴走についても、これを許さないという立場に立って、さまざまな協力の一致点が見いだされるのではないか。そういう立場で、一致点で政策的な協定を結ぶようにしたらどうかと考えています。

 一致できないものは横に置き、一致できるものは協力してやっていく。たとえば労働法制の問題などは、日本共産党と他の野党との間で、いろいろな一致点があると思います。そうした一致できるものは実行していくことができるでしょう。

 ですから「暫定的な性格」といっても、その「暫定」がどれだけの時間枠になるかは、いまのべた問題も含めて、さまざまな要素によって決まってくるでしょう。「すぐに解散・総選挙になるのか」というご質問でしたが、その時間枠には、さまざまな幅があると考えています。

 いま一つ、強調しておきたいのは、「暫定的な性格」の政府ということになりますが、そうであっても、さきにお話ししたように日本の政治の根幹部分――土台にかかわる課題を実行する政府という点で、実現するならば、日本の政治にとってきわめて大きな意義を持つ政府になるということです。ですから、「国民連合政府」が成功裏にその任務を達成することができるならば、解散・総選挙での国民の審判を経て、さらに進んだ課題を実行する政府へと発展していくことができるという展望を、私は持っています。

広く団体・個人の方々に「提案」を届け、国民的な共同をつくるために力をつくす

 ――こうした選挙協力を具体的に言及したことは初めてですか。

 志位 選挙協力を部分的に行ったことは1970年代にあります。しかし、今回のように、政権構想で一致する野党間で、衆議院選挙、参議院選挙において選挙協力を行おうというところまで踏み込んで方針を提起し、各党に呼びかけるということは、党の歴史でも初めてのことです。

 ――個人への具体的な呼びかけのイメージ、対象はどういうことになりますか。

 志位 団体・個人の方々への呼びかけは、うんと広く考えています。

 まず何よりも、今回の戦争法案に反対するたたかいの過程で、これまでにない空前の広がりをもって、さまざまな団体・個人の方々が反対の声をあげられているわけです。圧倒的多数の憲法学者、歴代の内閣法制局長官、元最高裁長官や元判事の方々も含めて、知識人・文化人、若者、女性、労働界、そして日本社会のほぼすべてを網羅するような各界・各層の団体・個人から反対の声があがりました。

 私たちは、戦争法案に危惧の声、反対の声をあげたすべての団体・個人の方々に、私たちの「提案」をお届けし、胸襟を開いて語り合い、協力を広げていきたいと考えています。さらにこれまで声をあげてこなかったけれども、今回の政府の横暴ぶりをみて「これは大変だ」と、これから声をあげる方々もたくさん出てくると思います。そういう方々も含めて広く「提案」をお届けし、国民的な共同と合意をつくるために、あらゆる力をつくしたいと決意しております。

この「提案」が実るかどうかの成否は、何よりも国民の世論と運動にかかっている

 ――共産党の提案に野党5党1会派が応じるという見通しはどうでしょうか。

 志位 もちろんさまざまな難しい要素もあるとは思いますが、大いにその可能性は存在していると考えています。

 その根拠は、冒頭にも申し上げましたが、この間のたたかいの過程で、五つの野党、1会派で、繰り返し党首会談を重ね、強引な採決に反対する、法案の成立を阻止する、最後は内閣を倒していくという政治的合意がつくられ、そうした合意に基づいて結束して行動してきたということにあります。

 そして昨日(9月18日)の党首会談では、今後も、憲法の平和主義、立憲主義、民主主義を守るために協力していこうということまで合意しました。そうした積み重ねを踏まえるならば、私は、政党間で互いにいろいろな考えや立場、日本共産党と立場の異なる点があるでしょうが、そういうことを乗り越えて合意に至る可能性は、大いにあるのではないかと思います。私たちはそれを最大限追求していく決意です。私たちの「提案」をお伝えし、この方向が実るように誠実かつ真剣に力をつくす決意です。

 そのうえで、この「提案」が実るかどうかの最大の"カギ"が何かといえば、国民のみなさんの世論と運動だと思っております。私たちが、こういう方針を決定した経過は、私たち自身が国民のみなさんの運動に一緒になって参加して、そのなかで私たちにぶつけられた声を、真剣に受け止めなければならないと考えたということがあります。

 その声は何かといえば、「戦争法案をつぶしてほしい」ということとともに、「安倍政権を倒してほしい」、そして、そのためには「野党がばらばらではなく一つにまとまってほしい」という痛切な声でした。

 国民のみなさんからそうした痛切な声が寄せられる。そのときに野党がそうした痛切な声にこたえなければ、いま日本の政治を変えようと、自らの意思で立ち上がり、声をあげている人々の期待を裏切ることにもなります。国民のみなさんの声を、私たちとして真剣に受け止め、党としてこういう方針に踏み切ることにしました。

 また、何よりも、日本の政治は、安倍政権の暴挙によって、平和主義、立憲主義、民主主義が根底から脅かされる、いわば非常事態に立ち至っています。そうした非常事態にあって、日本共産党が、これまでの枠内の対応にとどまっていては、政党としての責任を果たせないことになる。ここは従来の延長線上ではない大胆な対応がもとめられる歴史的局面であると考えました。

 今日、「提案」した「戦争法廃止の国民連合政府」の成否は、何よりも国民の世論と運動にかかっています。どうか、国民のみなさんが、「戦争法が通ってしまったから仕方ない」ということではなく、「このようなとんでもない違憲立法は廃止しよう」「立憲主義と民主主義を取り戻そう」と、さらに運動を大きく発展させていただきたい。そして、「そのためにはそれを実行する政府をつくろう」という声が、運動が、大きく広がることを、私は、心から願ってやみません。この「提案」の成否は、国民のみなさんのなかで、そうした世論と運動がどれだけ広がるかにかかっていると思っています。

 私たちは、政党間で、真剣に話し合いをさせていただき、前向きの合意を得るために力をつくしたいと思っております。同時に、広く団体、個人のみなさんに呼びかけて、広く国民とともにたたかい、国民の世論と運動の力に依拠して、「提案」で示した方向を実現していきたい。すべての政党・団体・個人が協力して、安倍自公政権を倒し、新しい政府をつくり、戦争法を廃止し、憲法の平和主義・立憲主義・民主主義を貫く新しい政治をつくる。そのために、どうか国民のみなさんに応援していただきたい、ともにたたかおうではないか、ということを心から訴えたいと思います。

 ――参院選の前に衆院選と書いてあるのは、来年の参院選を前に衆院解散に追い込みたいということですか。

 志位 その通りです。この「提案」の基本的立場は、違憲立法である戦争法はただちに廃止すべきだ、それが早ければ早いほうがいいということです。

 それをやろうと思ったら、当然、衆参の国会での多数が必要ですから、すみやかな解散・総選挙に追い込んでいくということです。「戦争法廃止の国民連合政府」の旗印を高く掲げて、すみやかな解散・総選挙を要求していきます。そういう立場でたたかっていきたいと決意しています。


金森

低学歴リッチと高学歴プア

  • 時事

社会は学歴ではなく実力の世界だと言われて久しい。しかし、現実には歴然として学歴がものを言う社会であったのも確かである。

実際、東高校の卒業生が有名大学に何人合格したかで、一喜一憂している光景をよく目にする。高校の先生も生徒を有名大学に何人合格させたかで評価されているとも聞く。

しかし、日本社会は、空白の20年を経る中で、学歴社会を維持できる状態ではなくなって来たようである。いまやあの日本を代表する大企業である東芝やソニー、シャープもゾンビ企業になろうといている。

次に紹介する記事の最後にある

プアになるか、リッチになるのかを左右するのは学歴ではなく、本来教育で身につけるべき正当な自己評価と、努力の成果を信じ続ける姿勢にあるのではないか。高学歴プア・低学歴リッチという言葉は、実体を伴わない学歴なるものではなく、各自がそれぞれの生き方をもって学習するという、教育の本質への問い掛けをはらんだ現代社会の課題であるともいえるだろう。

が印象的である。

中卒月収40万vs院卒20万、
低学歴リッチと高学歴プアはなぜ生まれる?

朽木誠一郎 2015年9月11日
 

「末は博士か大臣か」

そんな言葉で子どもの将来に期待を込めていた時代も今は昔。日本経済の低成長による雇用構造の変化は、リーマンショックや東日本大震災の影響も手伝って、高学歴プアと呼ばれる「高学歴・低収入」な人々を生み出した。一方で、ITを中心にした新しい産業では学歴よりも適性のあるなしが重視され、またホットスポット的に盛り上がる市場においては「低学歴・高収入」な人々、いわば低学歴リッチも目につくようになった。本稿では高学歴プアと低学歴リッチの実例を紹介しながら、このような逆転現象の背景に迫る。(取材・文/朽木誠一郎、編集協力/プレスラボ)

高級レストラン通いの低学歴リッチ(22歳)
奨学金返済にあえぐ高学歴プア(28歳)


高学歴なのに低収入、低学歴なのに高収入という逆転現象がいま、起きている

学歴主義、年功序列は過去のものになりつつあるのか。

世帯年収が下がり続ける一方で、大学進学率は上がり続けている。少子化に伴い各大学は生徒集めに必死で、昔よりも大学に入りやすくなっているのは確かだろう。この状況の中で指摘され始めているのが「高学歴プア」の存在だ。今や有名大学や大学院を卒業しても、確かな雇用にありつけるわけではない。

高学歴プアの存在と対照的なのが、低学歴リッチたち。ITを中心とした新しい産業やベンチャー企業では学歴よりも適性のあるなし、即戦力が重視される。採用のあり方が多様化し、個人が企業との接点を持ちやすくなったことも低学歴リッチを生みだした理由の一つだろう。

高学歴プアと低学歴リッチ両方の存在から、一昔前には少なかった逆転現象の背景に迫ってみたい。

「大卒には負けていない」

テレビCMも流れる有名スマホゲームアプリの制作ディレクターのAさん(22歳男性)は、そう優越感をにじませる。高校中退後は職を転々としたが、知人のツテで入社したアプリの制作会社での仕事が自分の感覚にピッタリとはまった。入社2年目にはチームのリーダーを任されて、デザイナーやエンジニアの進行管理をするようになり、現在は自らもプランナーとしてゲームのキャラクターを考案することもある。月収は手取りで40万円超と、同世代がまだ学生をしていることを踏まえると、厚遇されているといえるだろう。国内ゲーム市場は活況で、2014年の調査では過去最高の1兆1925億円を記録している。

ただし、学歴にはやはりコンプレックスがある。だからこそ同世代には体験できないことをしようと、オフには高級レストランを食べ歩き、部屋にはブランド家具を並べては、「大卒には負けていない」ことを確認しているのだという。

現在のようなスマホゲームアプリのバブルはそのうち弾けるだろうと思っているが、そのときはまた別の仕事をすればいいと割り切っている。学歴というものがスッポリと抜け落ちた心の空洞を埋められないまま、Aさんのソーシャルアカウントは美味しそうな料理やホームパーティーの写真でいつも賑やかだ。

一方で、Bさん(28歳男性)は奨学金の返済を滞納している。Bさんの学歴はというと、国立理系大学を卒業後、大学院に進学、博士号を取得している成績優秀なポスドクだ。しかし、ポスドクの平均的な年収は大体300万前後であり、当然ボーナスも、社会保障もない。研究を続けながら、非常勤講師として週に2から3日学生の前に立つが、月収はこのアルバイトを加味しても手取りで20万円弱。毎月約3万円の奨学金を返済が正直苦しい。

このまま研究を継続しても、教授への道がないわけではないが、狭き門で何年かかるかわからないとBさんは言う。もし他に職を探そうとすると、学部卒業後も奨学金の給付をもらい続けてまで取得した博士号は、むしろ足かせになる。

覚悟の上で踏み出した研究者の道だった。しかし、それでも「貧困というのは自分とは無関係だと思っていた」とBさんは語る。そろそろ学生時代から住む都内のアパートを引き払い、実家住まいをする決断を下さなければならないが、「これまでの人生で挫折を経験してこなかった」と本人も言うように、差し迫った現状にもかかわらずその思考は停滞気味だ。

日本では現在1万8000人のポスドクが就職浪人をしており、文部科学省は2009年に、国内で就職浪人中のポスドクを採用した企業に1人当たり約400万円の補助金を交付する大掛かりな制度を実施した。しかし、ポスドクの就労環境は依然として改善されていない。

自己評価の低い高学歴と高い低学歴
なぜ負の相関が生まれるのか

もうひとりずつ、それぞれの実例を紹介したい。Cさん(30代男性)はIT/Web系企業の代表を務める低学歴リッチだ。いわゆる落ちこぼれの集まる高校に在学中「このままではダメになる」と感じてアルバイトを探す過程で、アフィリエイト広告の仕組みに出合い、自分でもサイト制作をするようになった。

月収にして100万円以上を稼ぎ、コツを掴んだことでネット広告を事業化、さらに大きな収益を上げるようになる。現在では事業の方針をメディア運営にシフトし、上場も視野に経営に取り組んでいる。

高学歴プアのDさん(30代女性)は大学を卒業後に法科大学院へと進学、将来を嘱望されたエリートだった。司法試験にチャレンジしたが、3年連続で不合格。「正直、もう厳しいかもしれない」と思っているが、今から他に就ける職があるかわからない。

また、法科大学院出身でハローワークに通うのは恥ずかしいと思っている。現在は実家暮らしだが、親は「嫁に行けばいいじゃない」と言うくらいで、うるさく言わない。気乗りしないままお見合いサイトに登録はしているが、どうしても相手の学歴や年収を見て「親に紹介できるかどうか」が基準になってしまうという。

どうして学歴と収入にこのような負の相関が生まれてしまうのだろうか。日本経済の成長がゆるやかになった現代社会では、従来の産業構造が変化し、これまで不変であると思われた終身雇用などの制度や文化が次々に見直しを迫られている。高学歴という概念もそのうちのひとつであり、ある意味で社会のセーフティーネットであった学歴は、すでに生活を保障する機能を失ったと言っていいだろう。

このような変化の過程で生まれたウェブを中心にした新しい産業では、ゼロベースで社会のシステムが構築されているため、一度すべてリセットされてからのヨーイドンがはじまる。問われるのはそこに適応できるかどうかだけで、早く走りはじめたものが先行者利益を享受できる。

しかし、現実にはもちろん高学歴リッチと低学歴プアという順当な存在がいる。これまでは低学歴リッチと高学歴プアというある種イレギュラーな事例について紹介したが、高学歴リッチと高学歴プア、低学歴リッチと低学歴プアについても比較しながら個別のケース検討していけば、リッチとプアの分かれ目が浮き彫りになるのではないだろうか。このように幅広く学歴と収入、そのどちらについてもたくさんのビジネスパーソンを見ることができるのは採用の現場だろう。ある中小企業の人事担当者は言う。

 「これまで面接などで高学歴の求職者とそうでない求職者を見てきて感じることですが、高学歴の求職者の方が、基礎能力やモラルについては総じて高いです。しかし、高学歴でもそれを十分に活用できていない求職者に共通するのは、自己評価の低さ。彼らは自分が何かをなし得ると思っていないので、自分の未来を他人任せにしているように見えます。

このような求職者は、採用されても職場に埋もれてしまうか、仕事のストレスで潰れてしまうかで、あまりいい結果にならない。もちろん、低学歴の求職者にもそのようなタイプはいます。『自分は低学歴だから、どうせ零細企業でしか採用されないし、出世できない』と卑屈になっているタイプ。しかし、低学歴であってもそれを言い訳にせず、自分の未来を諦めない求職者は、採用後も努力の成果を信じ続けるため、積極的にチャンスを掴んでいました」

また、大手IT企業で人事を経験した男性は「中途採用の場合に学歴を見ることはほとんどない。転職が当たり前となった今、学歴より職歴がものを言うのは当たり前。ただし職歴だってあてにならないことも多い」と語る。

 「即戦力を求めるベンチャー企業は特に中途採用に力を入れます。中途採用の現場では、『高学歴で輝かしい職歴の持ち主を期待して採用してみたら全く使えなかった』なんてことはざらにある。能力があったとしてもそれを活かせる順応性や、現場でしぶとく自分をアピールするハングリー精神など、ある意味泥臭い部分も重要。

高学歴プア、低学歴リッチという状況がどのぐらいあてはまるかはわからないが、世間知らずでお高くとまった高学歴と自分から仕事を取りに行く低学歴の方だったら後者の方が求められるでしょうね。中途採用では学歴の部分はほとんど見ないし、私も一緒に働いていた同僚が高卒だったことをだいぶ経ってから知った経験もあります」

若い世代ほど、ITを駆使して情報をつかむことが得意になっている。求人サイトも乱立し、多種多様な人材を企業にマッチングさせる。自分の強みをいくつか持ち、それを強くアピールすることができれば、一点突破できる可能性は意外に開かれているのではないか。逆に言えば、学歴があってもそれだけでは雇用のデッドヒートに勝ち残れない。

プアになるか、リッチになるのかを左右するのは学歴ではなく、本来教育で身につけるべき正当な自己評価と、努力の成果を信じ続ける姿勢にあるのではないか。高学歴プア・低学歴リッチという言葉は、実体を伴わない学歴なるものではなく、各自がそれぞれの生き方をもって学習するという、教育の本質への問い掛けをはらんだ現代社会の課題であるともいえるだろう。


金森

鬼怒川決壊災害を目の当たりにして思うことがある。

オスプレイで国民の命と生活を守ることができるだろうか? 何のためのオスプレイ導入なんだろうか

安倍晋三内閣は、国民の60%以上の多くが反対する安保法制を、来週にも参院で強行採決で可決成立させる気配である。また、公明党は平和の党として政権のブレーキ役を担うとしながら、支持母体である創価学会の多くの学会員の反対に耳を傾けることなく、自民党と一体となって強行採決に突き進んでいる。ブレーキ役どころか、まるで下駄の雪である。なぜ、そこまでして、米国の戦争に米軍と一体となって他国で戦争することを可能にする戦争法案を成立させたいのだろうか。

新しい徴兵制

次に週刊朝日に掲載されたイラク戦争の犠牲となっている自衛隊員の記事を転載して紹介する。

イラク派遣隊員29人が自殺 帰還隊員らが語ったPTSDの恐怖
〈週刊朝日〉

 2016年2月に安保法制が施行され、南スーダンPKOで自衛隊の武器使用が拡大──。安倍政権が描く青写真が国会で暴露され、衝撃が走った。イラクへの派遣で自衛隊の自殺者は29人にのぼる。その上、武器使用で死のリスクも増し、「捨て駒にされる」と隊員らは訴える。

 イラク戦争では、政府はサマワ地域を「非戦闘地域」とし、復興支援活動に03年から09年まで自衛隊を派遣。自衛官に死者は出なかったものの、帰国後に精神面で変調をきたし、自殺した例が多数報告されている。

 6月5日、民主党の阿部知子衆院議員が提出した質問主意書への回答で、政府はイラク特措法に基づいて派遣された約5600人の陸上自衛隊員のうち21人、約3600人の航空自衛隊員のうち8人が、在職中に自ら命を絶っていたことを明らかにした。

 10万人当たりで換算すると、陸上自衛隊のイラク帰還隊員の自殺者数は38.3人。これは、一般職の国家公務員の21.5人、自衛官全体の33.7人(いずれも13年度)に比べても高い値だ。過去に自衛隊員のメンタルヘルスを担当した防衛省関係者はこう話す。

「派遣前に精神面で問題なしとして選抜された隊員がこれほど自殺しているというのは、かなり高い数字。しかも、これは氷山の一角で、自殺にいたらないまでも、精神面で問題を抱えている隊員が多くいるはず」

 その詳細は公表されていないが、29人の自殺者の中には、幹部らも含まれることが、関係者の証言で明らかになっている。

 一人は04年から05年までイラクに派遣された、当時40代の衛生隊長(2佐)だ。家族の反対があったものの、医師として現地に赴き、自衛隊員の治療だけでなく、現地で病院の運営も手伝い、時には徹夜の作業が続くこともあった。

 それが、イラクから帰還した後にうつ病を発症。やがて自殺願望が出るようになった。首をくくって自殺未遂をしたこともあった。

 治療のために入院もしたが病状は改善せず、最期は自らの太ももの付け根をメスで切り、自殺した。遺書はなかったという。

 そして当時30代の警備中隊長(3佐)は、05年に妻子を残したまま、車内に練炭を持ち込み、自殺した。警備中隊長は百数十人の警備要員を束ね、指揮官を支える役割で、この中隊長の部隊はロケット弾、迫撃砲などの攻撃を数回受けたほか、市街地を車両で移動中、部下の隊員が米兵から誤射されそうになったこともあったという。

 中隊長は帰国後、日米共同訓練の最中に、「彼ら(米兵)と一緒にいると殺されてしまう」と騒ぎ出したこともあったという。

 第1次カンボジア派遣施設大隊長を務めた元東北方面総監の渡邊隆氏は言う。

「カンボジアへの派遣以降、海外に派遣された自衛隊員で自殺をした人は59人います。PTSD(心的外傷後ストレス障害)は個人個人に影響があると考えないといけない。『弱い』と言ってしまったら、そこで終わってしまうのです」

(本誌・西岡千史、長倉克枝/今西憲之、横田一)

※週刊朝日 2015年8月28日号より抜粋

認知的不調和

  • 雑談

認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。(ウィキペディア)

二つの要素の間に不協和が存在する場合、一方の要素を変化させることによって不協和な状態を低減または除去することができる。認知的不協和の度合いが大きければ、不協和を低減させる圧力はその度合いに応じて大きくなる。というのが、フェスティンガーによる認知的不協和の仮説(命題)である。

例えば、原発再稼動に際して、「いつ地震が起きるかわからないし、地震で福一のような事故があっても不思議でない。そんな不安な原発はできれば再稼働して欲しくない。でも、仕事の関係もあって再稼働に反対するわけにも行かない」と考える。自民党や公明党の安保法制についても、集団的自衛権で他国の戦争に巻き込まれるのは嫌だが、アベノミクスへの期待と幻想で、安保法制を支持してしまう。

ウィキペディアでは「認知的不調和」を次の例で解説している。

よく挙げられる例として、「喫煙者」の不協和がある。

喫煙者が喫煙の肺ガンの危険性(認知2)を知る
認知1 私、喫煙者Aは煙草を吸う
認知2 煙草を吸うと肺ガンになりやすい

このとき、認知1と認知2は矛盾する。「肺ガンになりやすい」(認知2)ことを知りながら、「煙草を吸う」(認知1)という行為のため、喫煙者Aは自分自身に矛盾を感じる。そのため喫煙者Aは、認知1と認知2の矛盾を解消しようとする。

自分の行動(認知1)の変更
認知3(認知1の変更) 私、喫煙者Aは禁煙する
認知2 煙草を吸うと肺ガンになりやすい

一番論理的なのは認知1を変更することだ。「喫煙」(認知1)を「禁煙」(認知3)に変更すれば、「煙草を吸うと肺ガンになりやすい」(認知2)と全く矛盾しない。

これが小さなことならば、自分の行動を修正または変更することで足りる(例えば、漢字を間違って覚えていたならば、正しい漢字を覚えなおせばよい)。しかし、喫煙の多くはニコチンに依存する傾向が強いため、禁煙行為は苦痛を伴う。したがって、「喫煙」(認知1)から「禁煙」(認知3)へ行動を修正することは多大な困難が伴い、結局は「禁煙」できない人も多い。その場合は、認知2に修正を加える必要が生じてくる。

新たな認知(認知4または認知5)の追加
認知1 私、喫煙者Aは煙草を吸う
認知2 煙草を吸うと肺ガンになりやすい
認知4 喫煙者で長寿の人もいる 認知5 交通事故で死亡する確率の方が高い

「喫煙者で長寿の人もいる」(認知4)を加えれば、「煙草を吸う」(認知1)と「肺ガンになりやすい」(認知2)との間の矛盾を弱めることができる。そして「交通事故で死亡する確率の方が高い」(認知5)をつけ加えれば、肺ガンで死亡することへの恐怖をさらに低減することができる。

なお、アメリカの煙草会社はキャンペーンで以下のように主張する[要出典]

煙草を吸う人が肺ガンになりやすいのは、煙草が肺ガンを誘引するのではない。ストレスを抱えている人がストレスを和らげるために煙草を吸うだけであり、ストレスが要因となって肺ガンを引き起こすだけで、煙草と肺ガンの間に因果関係はない。

この主張は「煙草を吸うと肺ガンになりやすい」(認知2)を変化させることで、認知的不協和状態を解消させようというものである。

原発事故被害に関して「原発事故で亡くなる人より、交通事故で亡くなる人の方が多い」といった主張も「認知的不調和」による詭弁だと思う。放射能被害と交通事故には何ら因果関係もないのだが、これを関係あるかのごとく並列に語る。

こういった「認知的不調和」に陥ってしまう人は、企業や役所の中枢(そこそこの肩書)で仕事をしている人や仕事をしてきた人の中に多いように思う。また、組織の上長(権力)の考えを斟酌(しんしゃく)することに長ける人に多いのではないだろうか。

ただ、組織は自分が思っている程、部下のことは気にしていないし、片思いということが多いのも現実だろう。リタイアしてからそのことに気付く人が、意外と多いようにも思う。

いま一度、「認知的不調和」について、自分を見つめ直しても良さそうである。

金森

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