2014年3月の記事一覧

加賀棒茶

友人を尋ねるのときの手土産に何を持って行こうかと考えていた。金沢には日本三大銘菓の一つ森八の長生殿など老舗和菓子屋のお菓子が沢山ある。これら和菓子の中からとも思ったが、友人は最近、甘いものは控えるようにしていると聞いていた。かと言って糠漬けなどのしょっぱいものも良くないだろう。そうこう考えながら思い付いだのが「加賀棒茶」だ。加賀棒茶と言えば丸八製茶場の献上加賀棒茶がよく知られている。


丸八の創業は文久三年(1863)、加賀藩前田家の製茶奨励政策による打越茶園の歴史とともに歩んできました。丸八の商号は、初代 丸谷八左衛門に由来するものですが、今日の丸八の特徴は「献上加賀棒茶」に集約されています。

それは、昭和58年(1983)、昭和天皇に献上させていただいた「茎のほうじ茶」です。一番摘みの上質の茎を使用し、それを浅く炒りあげ、芳ばしさと澄みきった味をもとめて、独自の製法で仕上げました。(丸八製茶場のHPから転載)


丸八製茶場の本社/工場は加賀市動橋にあるのだが、ひがし茶屋街の端で茶房一茶をやっており、ここでも献上加賀棒茶を売っている。下のひがし茶屋街の写真で右端の暖簾が掛かっているいるのが茶房一笑。

一笑で手土産にする献上加賀棒茶を包装してくれるのをカウンターで待った。

ちなみに、「長岡大和屋・越の雪」「金沢森八・長生殿」「松江風流堂・山川」を日本三大銘菓と言っているようだ。

金森

ホタルイカ

今朝、朝取れホタルイカとワカメを貰った友人が、おすそ分けにと家に持ってきてくれた。さっそくヌタにした。北陸にも春が足早にやってくる。

春の散歩道 犀川 金沢

金森

ハントンライス

金沢には「ハントンライス」というB級グルメがある。

ウィキペディアには次のように解説されている。


1960年代後半、当時「ジャーマンベーカリー」の社長を務めていた山下昇が、金沢の中心地である片町にレストラン「ジャーマンベーカリーグリル」を出店する際、洋食部門のシェフたちと知恵を絞って考案したのが「ハントンライス」だった。

一般的には、「ハンガリーのハンと、フランス語でマグロを意味するトンをあわせた造語である」と言われている。

ハントンライスのもととなった料理は、「スクランブルエッグの上に魚のフライを乗せ、ケチャップを少しかけたもの」とされている。関係者の間ではハンガリーの家庭料理として知られているが、実はこの料理はハンガリーには存在しない。


そんな中で香林坊にある「洋食オーツカ」のハントンライスが元祖の流れのハントンライスということなっているようだ。

ただ、金沢地場の食堂でハントンライスをメニューに入れている食堂は結構ある。洋食オーツカの専売特許というわけでもない。

いろんな食堂のハントンライスを味わって、自分好みのハントンライスを(機会があったら)見付けて貰えれば嬉しい。

下の写真、上から「洋食オーツカ 片町」「欧風居酒屋ビストロ・シャレ 南町」「香林坊大和の食堂 香林坊」「小梅 寺町」「フルオブビーンズ 里見町」のハントンライス。

金森

灘の地酒 純米吟醸 仙介

  • 雑談

システムが急に動かなくなったとの連絡があって神戸に出張した。現場で調べ、対策もなんとか月末処理に間に合った。

帰りに灘の地酒「純米吟醸 仙介(せんすけ)」を貰った。味と香りがフルーティー。少し炭酸が残っているようで後口もスッキリとして旨かった。

ネットに聞いてみた。


先日大塚の和ダイニング「ななみや」で神戸の泉酒造の蔵元を囲む会が開かれました。泉酒造は創業は古く、260年前に有馬の道場村でうまれ、江戸末期に現在の神戸の御影に転居し、そこから泉正宗の銘柄になったそうです。

この土地は灘五郷の一つで六甲山系の地下水の豊富なところで、菊正宗とか白鶴などの大手蔵があるところですが、一番近いのが神戸酒心館の福寿さんかな。ところが平成7年の阪神・淡路大震災で、木造の仕込み蔵や瓶場が焼失し、事務所と製品倉庫だけが残る大被害を受けたのです。

一時は再建を断念して親せき筋の香川県にある西野金陵に委託して泉正宗のお酒を作っていましたが、平成19年にこの地での醸造再開にこぎつけたそうです。泉正宗はまだ委託生産が続いているそうです。この再開には社長の娘さんの西野藍さんの努力があったからできたそうです。下の写真が藍さんですが、ピア関西版の記事がら掲載させていただきました。写真がボケているが良い笑顔でしょう。

転載(続きは以下で)

マイ日本酒探し 2011年10月 8日 (土)の記事
http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-2418.html


金森

兼六園の梅林

今年の冬、雪はあまり降らなかった。玄関前の雪をかいたのは一度だけで、それも軽く済ませることができた。ニュースで報道されていた関東地方の積雪の方が多かったのではないとさえ思える。それでも寒かった。そんな冬もようやく終わったようだ。

兼六園の梅林にある梅のつぼみもほころび春を告げている。唐崎松の雪吊りも昨日取られたとテレビのニュースで言っていた。

下の写真は前の日曜日に撮影したものだ。

金森

東香山大乗寺

金沢長坂にある大乗寺の山号は東香山である。古くは椙樹林(しょうじゅりん)、金獅峯(きんしほう、あるいは、こんしほう)ともよばれた。いまでも「椙樹林」や「金獅峯」の文字を記した額を寺の壁なでに見ることができる。

大乗寺は福井県にある曹洞宗大本山永平寺の第三代、徹通義介禅師(てつつうぎかいぜんじ)が正応二年(1289)に野々市に開山した。

その後、江戸時代初期に加賀藩家老本多家の菩提寺として金沢本多町に移転した。近くにあった坂はいまでも大乗寺坂と呼ばれている。元禄10年(1697)に金沢長坂に移転して現在に至っている。

金森

十二義士の墓

長坂にある大乗寺参道の横にある小径を入って直ぐの所に「十二義士の墓」の標柱がある。標柱には次のように書かれている。

『加賀前田藩は幕末より明治に移る時 藩内の意見が対立した 筆頭家老本多政均は保守派の反対にあい暗殺れさた 明治四年十二人の家臣はその仇討ちを果たしたが翌年政府より切腹を命ぜらる 本多家墓地前に十二義士の墓として供養す』

仇討ちで広く知られるているのは赤穂浪士による仇討ち忠臣蔵だが、幕末に金沢でも日本で最後の仇討ちがあったことを知る人は少ない。

金森

■ 他人の山に登っていて評判を気にしていた
働き好きな者は退職して指示してくれる人がいなくなり、管理調整役だった者はその対象がいなくなる。およそ働く、管理するとはこの世の一部の職場という部分的生き方にすぎない。鉢物の新芽に小宇宙を見い出したりしてこなかった。言わば他人の山に登っていて評判を気にしていたのだ。さあ、自分のために生きよう!


■ 現代的老人になり自分のために生きよう
頭で文化を作るわりに人は動物の中では生命力の強い方ではない。文化に意味を見出すよりまず生物体として正しく生息して長寿であれと、現代はスポーツ、健康ブーム、セックスなど古い「文」をくだき、アメリカ的自己(利己)主義が盛ん。恥だが一理ある。寺が観光化し、大学が生活力の職業紹介所となり、それで強い肉体的者が勝っていく。ある程度これにも乗った上で文化人たれ!!。私達の年代はまだ恥を知っていた。今からでも遅くない。現代的老人になり自分のために生きよう。


■ 世のため頑張ろうと力まない
往年の勇者をたたえ合う、過去人脈の集いは「現在世にどう役に立っているか」問わないので楽しい。わざわざ飲み会に東京、名古屋から大きな出費で来る者も。現在の自分の価値は私達は意外と低く過去にあった値を見せ合い自己満足!!。勿論なかには晩成型の人もいていちがいに言えないが。そうと分かったら世のため頑張ろうと力まないこと。


■ 分業化社会
自分の背中のかゆい所は届かないので、他人にかいてもらう。そのお返しに他人の背もかいてあげる。分業化社会はこのように一見他人とかかわるようだが、突詰めると「自分」と言う存在に気付く。亡びると子が代わり、自分が続く。先祖から続き十数代さかのぼると日本人皆親戚と言うが実はたらい回しがあり上層部は自己利益の婚姻だけする。


■ 脳が文化作るのはヒトの身勝手
京大のゴリラの博士の話では、脳を除くとヒトは決して強い動物に入らないとの事。野生の動物の自分勝手を少し取り入れ、種としてのヒトも生物体として少し強くなれと言う。脳が文化作るのはヒトの身勝手で、まず地上で強く永く生き延びないといけない。文化の公家に野生の武士が歴史に現れたように現代文明にスポーツマンや長寿競争が現れている。自分のために生きよう。


■ まだこの程度なら出来ると自己点検
現職時代、高値の給料だった代わりに出来ない部下を抱え、職場の不条理を飲み込まされ退職したら安値でわけあり商品、中古だがぶらさげられていたものも除かれる。長寿時代の今もこの原則に時期のずれあってものっとっている。いわば自由人で自分のために生きる。前田の殿は歴代45、6才が平均寿命で50才前から小松に隠居した。当代の方は何かと顔を見せておいでるが日本郵船の役員までいって今隠居仕事。隠居しないのが僧と神宮で高齢で値が上がる。自分を値踏みし、まだこの程度なら出来ると自己点検したい。


実は金沢の友人たちが作っている高校時代の同期会のブログ作りの手伝いをしている。友人といっても私たちより10歳位上の人たちだから先輩というべきかも知れない。そのプログに投稿される記事がなんともこころに沁みてくる。エッセイ集として出版しようと思いたった。出版を許可してくれるよう投稿者にお願いしているところだが、先に編集作業を進めている。書名は「自由に生きる。おれは半太だ!!」にしようかと考えている。上のエッセイは編集中の原稿から一部を転載したものだ。出版の運びになったら買って下さいませませ。

金森

兼六園の梅

今年の冬は長く春は寒い。しかし、春は着実にそこまで来ている。兼六園の梅もつぼみがほころび咲き始めている。

金森

先の記事で本多町の鈴木大拙館近くに大乗寺坂があり、坂の名は大乗寺が由来であると書いた。大乗寺は元禄10年(1697)に本多町から今の長坂に移された。大乗寺の歴史は古く、弘長3年(1263)、富樫家尚が野市(現在の野々市市)に真言宗澄海を招聘して創建したのが始まりである。その後いろいろの出来事を経て現在に至っている。

大乗寺は野田山の麓に位置する。野田山には加賀藩主前田家の墓地がある。野田山墓地は天正15年1587)に前田利家が兄利久を葬ったのが始まりである。野田山墓地は前田利家やまつなど前田家の墓の他、金沢三文豪のひとり室生犀星の墓などもある金沢最大の墓地である。

前田利家の墓など前田家の墓は、富山長岡御廟の富山藩主前田公の墓に見られるような大きな墓石は建っていない。墓の中央に小高く土が積まれており、まるで古墳といった方がぴったりする墓だ。シカや熊なども出没する閑静な中にある。

金森

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