2007年7月の記事一覧

 その時、道場の入口の戸が急に開きました。振り返ると洋子が戸口に立っていました。私の後を付けてきたようでした。もう土井に関わっている暇などなくなりました。
「土井、ちょっと待ってくれ。急用ができた。今、相談しなければならないことなのか…」
 私の拒むような言い方に土井は怯みました。
「いえ、今でなくても……」
「それなら明日にしよう。明日相談にのるから。いいな、今日は急ぐから、また明日な」
 土井との話を打ち切り、私は慌てて洋子の所へ歩み寄りました。
「どうしたの…」
 どぎまぎしながら洋子に尋ねました。洋子は思い詰めたような顔をしていました。濡れた唇がいつもに増して赤く煌めいていました。
「話したいことがあるの…」
 それだけ言うと、口を噤み、あの底光のする目でジロリと私を見るのです。厭な予感がしました。
「分かった。用具小屋へ行こう」
 私はレスリング道場を出て横の用具小屋に洋子と連れ立って入りました。
「どうしたの…」「先生、私……」
 洋子は言葉に詰まると、いきなり制服を脱ぎました。
「昨日の夜も眠れなかったの。先生、もう我慢できない。先生、私を抱いて、強く抱いて、思い切り抱きしめて、ねぇ、お願い……」
 言うやいなや、体を私にぶつけてきました。
「待て、ちょっと待て…」
 驚きのあまり、私は、抱き付こうとする洋子を両手で押し止め、慌てて数歩退りました。
「駄目だ。君の気持ちはよく分かるが、こんな所では駄目だ。いいか、今は駄目なんだ。もう少し待ってくれ」
 自分でも何を言っているのか分かりませんでした。洋子の突飛な行動に動転して支離滅裂なことを口走っていました。その時は洋子の白い胸の膨らみに目を奪われながらも、何か恐ろしい罠にでも嵌まったかのように思い、一刻も早くこの場から逃げ出したい衝動に駆られていました。小心者の臆病さが露骨に現れ出たのです。すると、洋子は私を一瞥して、やけにはっきりと言い切りました。
「分かったわ。今の私の体では駄目なのね。私、待つわ。そして、もっと素晴らしい体になるわ。そうなったら、先生、必ず私を抱いてね」
 何がどう分かったのか、洋子はそう言うと、制服を素早く着込み、戸口から飛び出ていきました。その姿を見ながら私は傍らの椅子に崩れるように座り、大きな溜め息をつきました。やり過ごしたという安堵感が込み上げてきました。また、その一方で、洋子の白い上半身にやたらと未練が募り、美味しい餌をみすみす取り逃がしたような気もして残念で
たまりませんでした。
 しばらくして私は熱病に浮かされたような状態で用具小屋を出ました。すると、そこで道場から出てきた土井にバッタリと出会いました。その時、土井と目が合いました。彼の目には私への蔑みが浮んでいるように見えました。きっと私の心を見抜いていたに違いありません。ですが、土井は私に黙礼して足早に立ち去りました。その夜、私は眠れません
でした。眠りに陥ろうとすると、土井の蔑むような目と、洋子の白い胸の膨らみが浮かび上がり、自己嫌悪と淫らなときめきとでまんじりともできませんでした。
 翌朝、眠い眼を擦りながら職員室に入ると、室内が騒めいていました。事件が起きたようでした。胸騒ぎがして傍らの職員に尋ねると、私の学年の生徒の一人が鉄道自殺をしたとのことでした。驚きました。そして、直ぐに頭に浮んだのが洋子のことでした。
《自殺した。もしかしたら洋子が…》
 ですが、自殺したのは洋子ではありませんでした。そして、自殺した生徒の名を聞いて更に驚きました。体から力が抜け、思わず椅子に崩れ込みました。
《しまった。あの時、道場で……》
 死んだのは土井でした。その時、ふと作文を思い出しました。洋子の書いた日誌を机上に投げ付けた時、何気なく手に取った作文のことです。あの作文には自殺のことが書いてありました。書いたのは土井でした。
《しまった。あの時も土井は俺に訴えていたのだ。助けを求めていたのだ。それなのに俺は洋子に気をとられて、作文と道場での二度にわたっての土井の訴えを見過ごしたのだ。そのあげくが、彼をむざむざ死に追いやったのだ…》
 体がブルブルと震えました。洋子にうつつを抜かし、助けを求めてきた生徒を見殺しにしてしまったのです。悔やんでも悔やみきれません。眠れぬ夜が続くようになりました。時たま眠ると、夢に土井が現われ、険しい目で私を睨みつけます。それは小屋の前で会った時の土井の目でした。そして、その背後に、裸同然の洋子が発情期の猫さながらの目で
私を見つめているのです。罪の意識で身が苛まれ、蕩けるような欲情で身が火照ります。更に、その欲情で罪の意識に拍車がかかり、一晩中、うなされるのです。
 それ以来、生徒に接するのが怖くなりました。生徒が壊れやすいガラス細工のように思え、私の何気ない言葉の一つで容易く壊れ、直ぐにでも死を選ぶような、そんな、あまりにも脆く危なっかしいもののように思えてきたのです。その一方で、洋子は前よりも増して日記に淫らな言葉を書き連ね、人目も憚らずに私に纏わり付いてくるようになりました。そんな洋子のそぶりから、それまで子どもだと思っていた周りの女子生徒に必要以上に女を意識し、以前のように気安く話しかけれなくなりました。とにかく教壇に立つと、そこには壊れやすい華奢なガラス細工が危なげに立ち並んでいて、僅かでも触れると忽ち粉微塵に砕け散るように思え、また、更に悪いことに、ガラス越しに女子生徒の制服の中身の
淫らな色も透けて見えてくるようで、それらが私を破滅へと誘うように思えるのです。取り分け洋子のガラス越しの中身は色濃く淫らで、いったんその誘いにのると無限の底無し沼に引きずり込まれ、確実に身の破滅が訪れるような気がするのです。ですが、おぞましいとは思いながらも、私はしだいに洋子の体に惹かれていきました。洋子の若い肉体の隅
々が気にかかり、また、そのつど、土井の咎めるような目も思い浮かんできて、悔いと欲情とが渦巻き、発狂しそうなほどでした。そして、学校へ行くのが厭で厭で堪らなくなってきました。
 そんな時、故郷から父の死の報せが届きました。幼い頃から私は父に家業の酒造りを継ぐようにと言われ続けてきましたが、その言葉に反発し、京都で教師をしてきたのですが、その父が死んで頑なな処が消え、身の周りのことが、洋子や土井のことも含めてですが、全てが煩わしく厭わしくなってきました。そして、父の葬式の為に故郷へ帰る電車の中で教師を辞めてそのまま故郷に住むことを思い立ったのです。若い時には後足で砂をかけるようにして故郷を捨てたのですが、その頃には私を癒してくれるのは故郷しかないように思えたのです。その時、ただ一つの慰めになったのは、京都に残ると思っていた妻の妙子が一緒に付いてきてくれたことでした。
 故郷に帰ってから、しばらくの間、家業の酒造りを手伝いながらブラブラとしていましたが、叔父が県庁で総務部長だったこともあり、そのつてで地元の高校に再び勤めることになりました。京都での事件以来、教職には嫌気がさしていたのですが、新たな勤め先を探しても、つぶしのきかない元教員では雇ってくれる所もなく、また、家業の酒造りも弟
が父の生前から受け継いで細々とやっているのでいつまでも甘えているわけにもいかず、それに故郷に帰ってから分かったのですが、妙子が妊娠していたのです。失意中でしたのでこれほど嬉しいことはありませんでした。ですから、この子の為にも職種にこだわっている暇はなく、再び教職に就いたのです。
 そして、再び教職に就くにあたって決心したのは、生徒にどう批判されようが、絶対に生徒と深く関わらないようにしよう、それに、生徒に絶対に甘い顔などを見せないティーチングマシーンになりきろうということでした。もう二度と京都でのような事を繰り返したくはなかったからです。その決心のとおり、教職に就いてからは生徒との交流をできるだけ避け、学校運営に携わる仕事ばかりをやってきました。生徒から見れば、私はまったく面白みのない退屈な教師でしたでしょうが、校長や教頭などの管理職から見ると学校運営に役立つ者として重宝だったでしょう。それと県庁の叔父のおかげで、他府県からの移籍教師のわりには早く出世して、県でも若い教頭の一人となったのです。ともかく教職に
再び就いてからは土井や洋子のことを思い出さないようにして、教育課程や授業運営などの無味乾燥な仕事ばかりに熱中してきました。そして、早々と教頭になり、次期校長にとの話も出てきたのです。そんな時、突然、洋子が私の前に姿を現わしたのです。
 洋子は実に変な女でした。故郷に戻ってからも彼女から何度となく手紙がきました。手紙には京都から黙って去ったことを詰るような言葉が書き連ねてありましたが、私は一度も返事を書きませんでした。次に、どこで調べたものか、幾度となく家に電話がかかるようになりました。電話口でも洋子は私を詰りました。そのしつこさに辟易して私は妙子に
「京都の学校での変な女の子に付き纏われて困っている」
と打ち明け、電話の取次も断ってもらいまました。ある時、あまりのしつこさに妙子が電話口で声を荒げて洋子を激しく非難してから、洋子からの電話や手紙もめっきりと減り、二年ぐらい経って久しぶりに家に届いた手紙に
「先生によく似た人と間もなく結ばれる。今は幸せ」
と書いあったのを最後に音信がなくなりました。
 その手紙を見て私は実のところホッとしました。手紙や電話に飽き足らなくなった洋子が不意に私を訪ねてくるのではとビクビクしていたからです。ですが、洋子に好きな男ができ、その男と結ばれるなら、私のことなど、すっかり忘れるだろうと思ったからです。女というものは、私ども男とは違い、今が幸せなら昔の事などは全て忘れてしまえるし、将来のことなども深く考えないですましてしまうところがあるようです。今が一番と言うか、情が深くて目の前のことにしか興味が持てないとでも言いましょうか、そこが昔の事を忘れられずにイジイジしている未練がましい男とは違うようです。そんなわけで、男ができたという洋子の手紙を読んで私はホッとしました。案の定、それからは洋子から手紙も電話もこなくなりました。しかし、安堵はしたものの、私に抱いてくれと言った女が別の男に毎晩抱かれているのかと思うと、少し惜しいような変な気もして我ながら自分の未練がましさに呆れておりました。
 それから二十年近くも経ちました。その間も時折り洋子や土井を思い出しましたが、月日が経つにつれ、自分のことでありながら他人事のような、朧な夢の中の出来事のように思えてきました。そんな時でした。洋子から突然電話がかかってきたのは……。
 最初、その電話の主が誰なのか分かりませんでした。しばらくして洋子だと分かると、寝耳に水の驚きがおぞましさに変わり、顔が引き攣り、心臓が張り裂けそうになりました。しかし、洋子は私の気持ちなどには関わりなく実によく喋りました。その話を私は平静さを装いながら辛抱強く聞きました。洋子を少しでも刺激したら、どのような行動にでるか分かったものではありません。ですが、聞けば聞くほど、洋子の話はおかしなものでした。洋子はやはりどこか変なのです。話の内容は洋子が今まで関係してきた男との事ばかりでした。多くの男と関係してきたようで、そのどの男ともうまくいかず、つい先日にも同棲していた男に棄てられ、どん底状態だと言うのです。そして、最後に「昔はよかった。若い頃が懐かしい。先生に抱かれていた頃が一番よかった」と言い出すのです。その言葉を聞いて驚きました。私は洋子を一度も抱いたことはありません。終いには腹が立ってきました。ですが、強く言い返すと暴れだすのではと思い、やんわりと否定しながら宥めるようにして電話を切りました。受話器を下ろすと、あまりの忌ま忌ましさで吐き気がしました。しかし、それだけでは済みませんでした。それから三日後に学校に分厚い手紙がきたのです。
 その手紙もおかしなものでした。今まで関係してきた男たちの悪口をさんざんに書いた後に「男はもう懲り懲りだ。疲れた。死にたくなった」と書いて、「だが、若い頃はよかった」として学生時代の私との事を書いているのです。しかし、その内容がおかしいのです。例えば「?何も知らない中学生の私を先生は宿直室で無理やり抱いて女にした。だが、その時は痛いだけで何も感じなかったが、その後、高校の用具小屋で何度も先生に抱かれ、それで初めて女の喜びが分かった。先生によって私は女になり、先生に抱かれていた時が今までに一番幸せだった?」と書いてあるのです。洋子は私を中学校でレイプした体育教師と混同し、高校でも私に引き続き抱かれていたと思い込んでいるのです。その上、それをどうも気持ちの上で美化しているらしいのです。錯綜した記憶を自分なりに都合のよいように作り直して思い込んでいるようなのです。更に「私を女にした先生にもう一度抱かれ、その後で死にたい。疲れてしまった」などとも書いているのです。とんでもないことです。確かに洋子を抱きたいと思ったことはありましたが、身に覚えのないことで深想いをされ、校長にとの声が上がっているこの時期に訪ねてこられては迷惑千万です。今までの努力が無駄になってしまいます。
 洋子は今まで関わってきた男の毒が頭にまわり、狂ったに違いありません。幾度も男で悲惨な目にあって、それを慰めようと、男との好い思い出を探しているうちに、過去の幾つかの曖昧な記憶が繋ぎ合わさって私とのありもしない関係を作り上げたのでしょう。可哀相と言えば可哀相なのですが、それを私との事にしてもらっては迷惑至極です。迷惑を通り越して腹が立ってきました。そんな洋子の思い込みを正さねばと、手紙の住所を確認しましたが、住所は書いてありませんし、電話番号も分かりません。ですが、手紙の消印を見て驚きました。消印は私の住んでいる市の隣の市のものなのです。一瞬、ゾクッとしました。まだ京都にいるものとばかり思っていた洋子が、案外、私の近くにいたのです。こんな近くならば、いつ何時、不意に私の職場や家に訪ねてくるかしれたものではありません。あの奇っ怪な妄想を抱いてです。ますますゾクゾクとしてきました。

いしり料理をどうぞ

いしり亭 「いしり」ってご存知ですか。魚の醤油ということで「魚醤」。「いしる」とか「よしる」とも呼ばれます。「いしり」は、イカやイワシで作ることが多いのですが、今日紹介する「いしり亭」の「いしり」は、『メギスを原料とし、塩分を醤油と同じ程度に調整しておりますので、癖がなくて使いやすいとたいへん好評です。』とのことです。
 確かに、いしり特有の臭さがなかったように思う。加えて、ご飯も薪をくめて釜炊きしているとのことで、ふっくらと、なんとも美味しかった。
 「頑張れ!! 能登。」七尾に寄ったときには、ぜひ「いしり亭」にお立ち寄り頂いて、「いしり料理」をご賞味いただければとご紹介する次第でぇ?す。(興味のある方は、ぜひ一度「いしり亭」で検索してみて下さいませませ。)


◆その弐・思い込み

 まことに恥ずかしい話なのですが、お聞きくださいませ。私、山陰のある県立高校で教頭をいたしております。私の勤めていた高校は県の中でも名門校でして、その高校の校長に私をとの話が教育委員会から内々にあり、嬉々として毎日を送っておりました。そんな矢先のことでした。洋子から突然に電話が掛かってきたのです…。まったく悔やんでも悔やみ切れません。それでは順追ってお話することにいたしましょう。
 もう二十年ほど前になりますが、私はこの八瀬から山一つ越えた岩倉の高校で教員をいたしておりました。故郷の高校から京都の大学に進み、卒業後もそのまま京都に残って教職に就き、二年後には大学の後輩の妙子と結婚して、あの事が起こるまで穏やかな日々を過ごしておりました。ただ不満と言えば、結婚して十年にもなるのに子がいないことぐらいでした。そんなある日のことです。あの日も今日のようにシトシトと雨が降っておりました。
 あの日、いつものように清掃の点検を終え、人気のない職員室に戻りますと、机上にクラス日誌が置いてありました。当時、私は普通科二年のクラス担任をしておりました。
 椅子に座って何気なくその日誌を開きますと、感想欄に、いかにも女子高生らしい丸まった文字で走り書きがしてありました。その文字に目が止まると、思わずドキリとして声を上げそうになりました。そこには『先生が可哀相。私が先生の愛人になって、先生の子を産んであげる』と書いてあったのです。
 その頃、私は妙子との長年の不妊治療がうまくいかず、子どもを半ば諦めておりました。それとともに、治療の失敗から妙子との間もギクシャクとして、日々、満たされぬ気持ちのままモヤモヤとしていました。そんな時ですから、若い女の子から『愛人になってあげる。子を産んであげる』などと言われると過剰に反応して取り乱してしまったのです。率直に申しまして、溜りに溜まった欲求不満の我が身へ、若い女の子が進んで体を投げ出してきたようで思わず食指が動いてしまったのです。教職の身でありながら誠に恥ずかしいことです。
 しかし、よくよく考えますと、この種の日誌に生徒がそのような事を本気で書くはずがないわけで、そう思うと、今度は三十四歳の大の男が十七歳の小娘にからかわれたようで、やたらと腹が立ってきました。そこで、校内放送で日誌当番を呼びつけて叱ろうと思い、勢いよく席を立ったのですが、直ぐに思い直して座り直しました。と言うのも、職業柄、思春期の女子高生が性的な言葉を若い男性教師にわざと言って教師をからかうのは学校では時たまあることで、これもその種の悪ふざけだと思ったからです。むしろ、このような悪ふざけに引っ掛かる教師の方にこそ問題があるのだと言い聞かせ、気持ちを静めようといたしました。そして、当番の戸田洋子のことを思い浮かべました。ですが、どうしても戸田がこのような悪ふざけをするような生徒には思えないのです。
 洋子は色白で整った顔立ちの大柄な生徒で、休み時間には、窓際で一人ぼんやりと空を見上げているか、本を読だりしている生徒でした。そのくせ、ホームルームなどでは歯に衣着せぬ言葉でズバリと意見を言ったり、思い立つと周りの思惑などは気にせずに突っ走るようなところもありました。ですが、概して静かで、クラスではあまり目立たない生徒でした。ただ印象に残っていることと言えば、新学期早々の個人面接の時に、私の問い掛けに目を伏せてポツリポツリと話す洋子の唇が妙に赤くてヌメヌメと濡れて肉感的だったことと、授業中に私を異様なほど熱心に見つめて、それが不思議だったことでした。今思い返せば、洋子の唇に見入った時にどうやら私の心に魔が忍び込んできたようでした。
 話を元に戻しますが、日誌を見ながら洋子のことを思い浮かべていると、突然、職員室の戸が開きました。そして、暗い廊下から洋子が顔を覗かせ、徐に私の傍らに寄り添ってきたのです。驚きました。ですが、教師である手前、生徒に余裕ある姿を見せねばと、わざと鷹揚に笑って洋子に話し掛けました。
「戸田さん、この日誌、びっくりしたよ。大人をからかってはいけないよ。もし本気にしたらどうするんだい」
と気さくに話し、その後は二人の軽い笑いでその場を終わらせようとしたのです。ですが、洋子は笑はないのです。押し黙ったまま私の顔を見つめ、あの濡れたような赤い唇を開き、
「本気なんです。先生のこと、好きなんです。先生に子どもを産んであげたいの…」
と言うと、身を翻して職員室から飛び出て行きました。私は唖然として洋子の後ろ姿を見つめながら大きな溜め息をつきました。そして、
《まただ。また生徒の疑似恋愛に付き合わされる…》
と煩わしくなりました。
 思春期の、恋に恋し始めた女子生徒が、身近な男性教師を恋の対象として恋愛の練習を始めるのも学校ではよくあることでした。私も独身の頃は女子生徒にその対象とされたものでした。その頃は私も若く、そのような女子生徒を一人の女性としてどのように扱えばよいのかと真剣に悩んだものです。ですが、悩んでいるうちに女子生徒の方がいち早く熱から冷め、素知らぬ顔で卒業していきました。そんなことが度重なるにつれ、そのことで真剣に悩むのが馬鹿馬鹿しくなり、女子生徒に言い寄られると煩わしさだけが増すようになりました。しかし、結婚して十年も経つと、さすがにその対象からも外され、多少の味気なさもありましたが、むしろ清々とした気分でいられました。それなのに洋子によって再びあの煩わしさが蘇るのかと思うとうんざりして、手に持っていた日誌を机の上にポイと投げつけました。
 すると、その煽りで机上の幾枚かの作文用紙が舞い立ち、その中の一枚を手に取ると、自殺について書いてありました。その作文は国語表現の授業の時に生徒に書かせた新聞の感想文でした。あの当時、高校生の間で自殺が連鎖反応的に続き、新聞紙上を騒がせていました。その作文もその事件の感想を書いたものだと思い、走り読みしていると、急に洋子の思い詰めたような顔を思い出しました。
《危ない、危ない。最近の高校生は思い詰めると何をするかわからない。自殺でもしたら大変だ。特に洋子のような子には気を付けなければ……。しばらくあの子を刺激しないようにしよう。好きなようにさせておこう…》
と、その時は思ったものです。ですが、それからが大変でした。洋子はこれまでの疑似恋愛の生徒とは違っていたのです。早熟と言えば早熟なのかもしれませんが、私に向ける全てが性的な興味に満ち溢れていて病的とさえ思えてきたのです。
 毎朝、私の机の上に古典の添削に装った洋子の日記が置いてありました。また、朝の連絡や授業でクラスに行くと、発情期の牝猫さながらの底光りのする粘っこい目で私を見つめているのです。その目付きと、日増しに過激になる日記の内容に私は困惑されました。洋子は内に秘めていた熱いドロドロした性的なものを一気に私に吐き出してきたのです。
 まったく女とは不思議なものです。男のように少年から徐々に大人の男へと成長していくのではなく、ある時期、突然に少女から大人の女性になるようで、その時期は人によって多少違うようですが、十七歳前後のように思われます。それは男には分からない女性の生理からくるものなのかもしれませんが、その年頃の女子生徒が一番身も心も不安定で危なっかしく、また、性的な関心も強いように思われます。ですが、洋子の場合、そんな一般的な変化ではなくて、どこかが狂っているのです。彼女の日記にはこんなことが毎日数頁にわたって書いてありました。〈先生に抱かれた夢を見た。先生に吸われた乳首が夢から覚めても熱く立っていた〉〈先生のこと想って一人で体の大事な処を触っていたら、そこが濡れてひどく疼いた。先生の舌と唇でこの疼きを鎮めて欲しい〉などと、矢継ぎ早に書いてきて、その頃、私自身も欲求不満気味でありましたから、その対応に困り果てて慌てふためいておりました。
 そんなことが数日続いた後、私は洋子を生徒相談室に呼んで彼女にその真意を聞いたのです。その時、洋子は私の質問に答えようともしなく、中学時代の自分のことばかりを話すのです。
「私、中学二年の夏休み、誰もいない昼の宿直室で日直だった体育の教師にやられたの。その時に何度も何度もやられたの。初めてだったの。すごいショック…。その人に先生は似ている…」
 中学の体育教師にレイプされたことも衝撃でしたが、それよりも話をしている時の洋子の様子がやはりおかしいのです。声は沈み、悲しげに話しているのですが、目を見ると、目の奥底がギラギラと光り、眼全体が熱を帯びて艶かしく潤んでいるのです。そして、肉厚の唇がヌメヌメと真っ赤に濡れてピクピクと蠢いているのです。やはりどこかが変なのです。狂っているのです。あまりにも早い時期の過激な性体験は心と体のバランスを壊し、それがトラウマとなって一生付き纏うと聞いていますが、洋子もその部類なのかもしれません。ともかく外見は少女なのですが、その目と唇は成熟しきった女なのです。そんな様子を見ていると、洋子は中学での事件を厭いながらも、体ではあの時と同じような交渉を求めていたのかもしれません。あのレイプした体育教師を私に重ねてです。とにかく私は困り果てました。洋子のあんな目と唇に日々追い回され、どうすればよいのかと、ほとほと困りました。とは言うものの、臆面もなく性の興味をぶつけてくる洋子に私はしだいに惹かれていきました。困ったことに私の情欲もメラメラと燃えだしたのです。
 それから数日が経ちました。放課後、長い会議を終えて、久しぶりに体育館裏のレスリング道場へ出かけました。当時、私はレスリング部の顧問をしていました。道場へ入ると、練習は既に終わっていましたが、二年生の土井だけが練習に使ったマットを雑巾で丁寧に拭いていました。土井は人一倍練習熱心な部員で、道場の清掃などもよくする極めて真面目な生徒でもありました。
「ご苦労さん。そのくらいでもういいよ。今度の試合は期待しているからな」
 土井の労をねぎらったのですが、土井の様子がどこか変なのです。
「はい、有難うございます。あの……」
 土井は言いたいことを口に出せなくてモジモジしているようでした。
「何だ、はっきり言えよ…」
 少し乱暴な口調で促しますと、土井はようやく怖ず怖ずと口を開きました。
「はい、実は、相談があるのですが……」
 その時、道場の入口の戸が急に開きました。

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ごの会

「ごの会」は富山東高校5回生を中心にした親睦会です。

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