2007年5月アーカイブ
ドゥロス号は1914年、有名なタイタニック号の2年後に建造され、現在でも航行している船としては世界一古い船としてギネスブックに認定されているという。そんなドゥロス号が現在金沢港に寄港している。
船の最上階には、世界最大の船上書店があり、英語の本をはじめとして、約6000タイトル50万冊の世界の本をのせているそうだ。
![]() 金沢南総合運動公園のバラ園 |
![]() 真赤なバラ |
![]() プリンセス ミチコ |
![]() プリンセス アイコ |
![]() クイーン エリザベス |
![]() ダイアナ プリンセス オブ ウェールズ |
このバラを見ると、なぜか、マイク真木が歌う「バラが咲いた」が聞こえてくる気がして、あの頃を思い出す。
そういえば、25日のミニオフ会に参加していた彼女の胸には、上の写真の真赤なバラのような形の黒く大きなバラのブローチがあった。なかなか洒落た感じで、似合っていたのを思い出す。
「バラが咲いた」
浜口庫之助作詞・作曲
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バラが咲いた バラが咲いた 真赤なバラが 淋しかった ぼくの庭に バラが咲いた たったひとつ 咲いたバラ 小さなバラで 淋しかった ぼくの庭が 明るくなった バラよ バラよ 小さなバラ そのままで そこに咲いてておくれ バラが咲いた バラが咲いた 真赤なバラで 淋しかった ぼくの庭が 明るくなった |
バラが散った バラが散った いつの間にか ぼくの庭は 前のように 淋しくなった ぼくの庭の バラは散って しまったけれど 淋しかった ぼくの心に バラが咲いた バラよ バラよ 心のバラ いつまでも ここで咲いてておくれ バラが咲いた バラが咲いた ぼくの心に いつまでも 散らない 真赤なバラが |
25日午後6時半からミニオフ会。10名が、富山全日空ホテル19階の中華レストラン花梨に集った。
当日はあいにくの雨模様。ホテルに入ってくる彼女の黒いレインコートも雨で濡れていた。
会場となったレストランの個室には、丸いテーブルが二つ並べてあった。開始の6時半頃には、まだ参加予定の半分しか集まっていなかった。しかし、全員が集まるのを待つでもなく、一方のテーブルに集まって最初の乾杯。
直に、一人二人と同期生が集まってくる。予約してくれた彼女がここの料理長と知り合いのようだ。そのためか、部屋の予約が彼女の勤務先の名前になっていたようで、直に部屋が分らず、違う部屋のドアを開けてビックリしたと言いながら入ってくる者もいた。そんなこんなで、五月雨式にワイワイとミニ同期会が始まった。
その中で少し気にかかることがあった。食欲がなく、頭の半分に痺れを感じたりボォ~とすることがあるという同期生がいた。みんなからも病院で検査してもらえと言われていた。
そう、我々はもう身体を過信できる歳ではない。仕事も大切だが、早く病院へ行ってしかるべき検査を受けてもらいたいと思う。お互い身体を自愛し、みんなと楽しく語るオフ会を続けよう。
部屋では、色んな話が飛び交って、誰が誰と何をどう話していたのか良く分らないが、美味しい料理を食べながら時間が過ぎていたった。最後にレストランのスタッフに記念写真のシャッタを押してもらい、エレベータまで送ってくれた料理長に、美味しい料理にお礼を言って、ホテルを後にした。始まるときに降っていた雨も上がっていた。
その後、桜木町のスナックに行った。ここでも、カラオケで歌うこともなく、延々といろんな話が飛び交った。別れたのは、午後の11時半頃ではなかったろうか。なぜか、富山第一ホテルの前で万歳をして、神戸から参加した彼女の旦那さんの車に便乗させてもらって、金沢に帰った。
それぞれ四捨五入すると60歳。あれから40年近くの人生を重ねていますが集まるとすぐ18歳に戻るんですね・・・・・・
記念写真、いい顔して並んでいますね。
ではまた、次の機会を楽しみにしています。
富山城は小さなお城で、今は郷土博物館になっている。最近、外壁を塗り替え、石垣も組み替えて綺麗にしている。もう少しで工事も終わりそうである。
富山を故郷に持つ者に取っては、なにかと懐かしさを感じるお城である。お城を見ていると、あの頃のいろんな出来事が思い起こされてくる。
街を散策していて、フッと疑問に思うことがあった。それは、町の呼び方である。
富山では、西町(にしちょう)とか新富町(しんとみちょう)と、町を「ちょう」と呼ぶことが多いように思う。一方、金沢では、片町(かたまち)とか竪町(たてまち)と「まち」と呼ぶことが多いように思う。
なぜだろうとインターネットで調べてみたら、「地名の由来」と言うページを見つけた。その中の「東京の地名」で次のような説明があった。
「マチ」か「チョウ」か?「迷ったことはありませんか。」意外と難しい由来があります。なる程、そう言えば時代劇を見ていても、町に暮らす人達を町人(ちょうにん)と言っている。武士が住むところを「まち」と言い、町人の住むところを「ちょう」と呼び、それが今に至っている。と、いう事のようだ。
今でも「まち」と呼ばれる地名の多くは、江戸時代に「御」が付き幕臣の屋敷でした。
町人地の「ちょう」と区別するため、「まち」と読まれます。
そうこう考えていて、富山城の近くの諏訪町は、「すわまち」と呼ぶのだろうか、それとも「すわちょう」と呼ぶのだろうか。どっちだったろうかと、フッと疑問に思った。
同じ表記でも、日本各地で、その呼び方が違う。「まち」と「ちょう」は奥が深い。残念ながら疑問は解決しなかった。
ちなみに、「「ちょう」か「まち」か、「むら」か「そん」か?」と分析しているホームページもあったので、紹介して置く。
JR富山駅で、売薬さんに出会った。親子なのだろうか、それとも、売薬さんが訪れた家のこどもだろうか。
小さい頃、家に来る売薬さんは、風呂敷を広げていたのを、おぼろげに思い出す。
腹痛や熱が出たといえば、売薬さんの頓服を飲めと言われた。苦い粉薬で、飲むのに往生したものだ。でも、売薬さんが来ると、用も無いのに玄関先をうろうろした。紙風船を貰うのが楽しみだったのだ。だが、自分から「風船ちょうだい」となかなか言えなかった。
湖面に映る新緑。いまにも、湖の中に吸い込まれてしまいそうな感覚を覚える。
雨の後の庄川峡の新緑。美しさに息を呑んだ。富山が自慢できる眺望の一つだと思う。
特急の最終列車「特急はくたか24号」だ。
みんなと飲んだ後、だいたいはこの最終列車で、富山から金沢に帰ることになる。
薫風かおる五月・・・・・
1ヶ月前の桜並木は新緑の木々へと変わり、さわやかな五月の風が頬にふれる心地よい季節となりました。
久しぶりに今日は立山連峰もさわやかな姿を見せています。
出勤前に、東の空にそびえ立つ峰峰を眺められる朝、「今日一日、つきがまわってきそう・・・・」という気がするのですヨ。
1年で、今が一番いい季節ではないでしょうか・・・
この良き季節に来富(帰省じゃないね!?)されるもうすぐ5月25日ですね。
神戸の方、今度のミニオフ会、金沢から直に出てこられるのでしょうか?
お会いできるのを楽しみにしています。
最初の写真が、「富岩運河からの立山連峰」、次の写真が「一周年を祝うライトレール富山北駅」です。
最近、自家用車でカーナビを利用している人が多い。私も欲しいと思いながら、未だに地図に頼っているのではあるが。
ところで、カーナビも頻繁に地図データを更新しないと、新しく出来た道を走ると、田圃の中を走っていることになったり、やけに遠回りさせられたり、新しい建物が認識できなかったり、いろいろと不都合なことが起こる。
かといって、いままでの仕組みでは、頻繁に地図データを最新にするとができなかった。せいぜい、年数回が目安だったようである。
ところが、今日の CNET Japan で、次のような記事を見にした。
新システムでは、地図データ上にあるオブジェクトごとに、建物の形状、名称、緯度経度といった情報をまとめ、昭文社が管理する空間データベースに格納する。更新時には、昭文社の空間データベースから、カーナビやGIS側の空間データベースにオブジェクトの差分のみをインターネット配信する。車に搭載されているカーナビシステムが、自動的に地図の更新データをダウロードして、常に最新の地図情報でナビゲートしてくれるようになるということだろう。
便利な世の中になると感心する反面、地図や道路標識が読めなくなっている人が増えているように思う昨今、カーナビがないと、何処にも行けなくなってしまうようで、少し恐いものがある。
ドイツでの出来事だが、人事とは思えないニュースがあったので紹介する。
警察発表によれば、この男性は死亡した時点で失業しており、59歳だった。部屋で発見されたドイツ厚生省からの手紙の日付から判断すると、彼は2000年11月30日に自然死したものとみられる。 [ベルリン 11日 ロイター]さて、自分の周りを見渡したとき、地域や家族とのかかわりを考えたとき・・・。考えさせられる。
夕食時間もちょっと過ぎてしまった。うちの上さんと一杯やろうかという事になって、家の近くにある「大衆割烹 田舎小屋」で晩酌しながらの夕食となった。(野々市町本町六丁目と言うと、聞き覚えのある同期生が居ると思う。そうそう、最近待ち合わせによく使うマクドナルドの近くの居酒屋さん)
カワハギの刺身が美味しかった。醤油と一緒にカワハギのキモを付けて食べるのだが、カワハギの薄作り、身の甘さがひときわ引き立つ。石川の地酒も美味しいのだが、今日のカワハギには富山の立山が合っていた。
締めに、しゃけ茶漬け。食事も終わって、田圃のカエルの姦しい鳴き声を聞きながら、そぞろに歩く田舎道。いい気分になって家路に着いた。
主人の盆栽に花が咲きました。盆栽と言えば松や紅葉を思い浮かべると思いますが、こんなものも盆栽になります。
左は「えごの木」、右の写真は 左から 「庭藤」と「えごの木」です。
趣味にしているのは、木の大きさが20センチ以下の小品盆栽です。さらに小さいものはミニ盆栽、豆盆栽と言って、小指の頭よりもちいさな鉢もあります。もちろん花も咲けば実もつきます。
近年、小品盆栽は若い人の間でも静かなブームになっているようです。場所をとらないし、「可愛い!!」と言うのが理由だそうです。ただ小さいので水やりには気を使います。特に夏場は小さい鉢ごと大きめの鉢に入れて乾燥をふせぎます。
いつの間にか増えてしまった盆栽達に、屋上の洗濯物の干場をすっかり占領されてしまいました。
こんな風景を見ていると、なんとなく心休まる。春の光と風を感じながら、胸一杯に深呼吸する。飛騨白川郷の春を感じた。

子供が小さい頃はよく動物園に行った。元来、動物好きの私は、動物の檻の前で長い時間居座って、子供に早く次に行こうと催促されたものだった。
先日、たまたまサファリパークの前を通る機会があり、動物が見たくなってサファリパークを一周してきた。雨の降る日でサファリパーク内は気持ちが悪いほどガラガラだった。
キリンを上から見ることの出来る場所があって、生まれて初めてキリンを上から見た。そこではキリンの餌を売っていて、それを貰いにキリンたちが寄ってくるので、触ることが出来るくらい近くでキリンの顔を見ることも出来た。この歳になってはじめての経験である。
便乗して付け加えました・・・
今から丁度30年前、1977年に多摩動物で撮ったキリンのいる情景です。記事を読んで思い出したので便乗して追記しました。
こどもにより身近でキリンにふれさせようとするお母さん。危ないなぁ~と思いながらも、お母さんの気持ちも分ります。微笑ましくも感じます。でもやっぱりおっかない。
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残念からが白山連峰はガスで見ることはできなかったが、西穂高岳や槍ヶ岳、笠が岳がくっきりと見えた。グルッと360度、山々のパノラマは圧巻だった。
(上から、「西穂高岳」「槍ヶ岳」「笠が岳」)
JR富山駅を県庁へと向かう途中、新富町に「観音湯」がある。
この銭湯の前を通る度に、なにかと昔のことが思い浮かぶ。懐かしい銭湯ではあるが、残念ながらいまだに入ったことは無い。外観は昔からほとんど変わっていないように思う。
立山登山の帰りなどに多くの人が利用しているようで、県外の人達にも有名な銭湯のようだ。一度、入らなくてはと思いながら、今になっている。
笑ってしまった。 「幸運を掴め 金のうんこ」
これを飾っておけば、開運・金運。幸運招来 ・・・ かもしれない。粟津温泉のゆのくにの森で見つけた金のうんこだ。 さぁ~ "うんを掴め !!"
こんにちは 卑弥呼です。
いつも楽しい旅日記や美味しい情報、すばらしい生け花など 楽しく拝見させて頂いています。
私もと思い立ち、デジカメとPCを駆使して我が家の 座敷童子たちを紹介しようと思います。
彼等はフェレットといういたちの仲間です。大きさも手触りもまるで大きくならない子猫です。
専用のハンモックで1日のうちの22時間は寝ています。元来は夜行性のようですが、人にも良く懐きます。
彼等は声帯を持たないので、哭く事ができません。マンション住まいや日中働いている人にはうってつけのペットです。
寿命は5~6年と言われているのに、我が家に来てから5年目になるので、実はもうすっかりおじいちゃんとおばあちゃんなのですが、なぜか話しかける時に赤ちゃん言葉になってしまい、ハッと気付いて苦笑いです。
いつも2匹でおっかけっこをしていてじっとしていることがありません。文字どおりのいたちごっこですね。このように2匹一緒に撮れたのは本当に珍しい事です。
なんとか(?)外来動物に指定されているので繁殖はできません。
我が家の座敷童子達でした。
柴山潟と日本海をつなぐ新堀川にかかる源平橋から見る白山連峰。今年の白山連峰の雪は、心なしか少ないように見える。
実は、今年の夏に、東京の友人達と白山に登る予定にしている。白山室堂の山小屋の予約はできたので一安心。
しかし、私にとっては初めての白山登山で、身体が付いていけるのかと、ちょっと心配でもある。みんなに迷惑を掛けないように、スボーツジムで身体を鍛えなくてはと思っている。得意の一夜漬けである。
ゴールデンウィーク最終日、宵のつれづれにコメントいたします。
毎年のゴールデンウィークは前半か後半のどちらかを東京の弟家族の家事を処理するため出かけます。衣類の季節の入れ替え、ゴミの片付け、台所風呂周りの大掃除などをこなすためです。(義妹が死去してから6年間続いています)が、半日は時間を作って美術館巡りをさせてもらっている。
今回は六本木に出来た「国立新美術館」へ足を運びました。
地下鉄大江戸線を六本木で降り、ミッドタウンへ、・・・・
そこで驚いたこと!何と、私と一緒のお上りさんらしき人、人、人・・・
六本木ミッドタウンのなか、どこのショップでも、レストランでも長蛇の列(富山の中心街に人がいないはず。ここにいたのか!・・・冗談ではなくほんと、そう思いました!)
一路、雨の中「国立新美術館」へ、ここでも、人でいっぱい!
国立新美術館は、コレクションを持たず、国内最大級の展示スペース(1万4000平方m)を持つ美術館とか ・・・HPより
黒川紀章デザインの美術館、それ自体が作品と思った。飽きることなく歩き回り観察、鑑賞した私。なんと、3Fには、あの世界的シェフ、フランス料理の伝道師として知られる、ポール・ボキューズ氏(現在80歳程のシェフ)のレストランがある!・・・、日本ではここにのみ出店しているそうだ。¥2500のランチを待つ人の列が30人から40人ほど(これにもまた驚き!)・・・・。是非、賞味したいと思ったが、時間がないので諦めて、お腹ぺこぺこ、をこらえて「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005 ポンピドー・センター所蔵作品展」の会場へいく。これもまた素敵な展示会場。広い!明るい!人が邪魔にならない!
藤田嗣治の「私のアトリエ」2枚、と「カフェ」の作品が私を迎えてくれた。感激!(私は藤田嗣治に最近はまっています。惹かれるところ大なのです!)
教科書で、よく目にしたピカソの作品、ミロやシャガール等々ゆっくり鑑賞。
やっぱり東京はいと思う。本物が手近あるからだ。充実の時間を得て、帰ってきた。
「国立新美術館」をネット検索すると情報満載である。
一つ分からないことがある。ミッドタウンは防衛庁跡の土地利用とか・・・・
新美術館は何の跡なのでしょう?あの狭い東京によくもあんなに広いスペースが・・・と感心させられたのだ。
kokoさん今度、上京したとき、一緒に行きましょう。(潤)
富山を懐かしむ、富山のあれこれを誇りに思う。これは年のせいでしょうか?
富山の街を歩きながらあちこち懐かしい思い出に浸っていた母を笑えなくなりました。連休中は半分上京、後半は母を連れ立って買い物やドライブで過ごしました。
年老いた母は外出を全て、私に頼るようになってしまい大和や総曲輪へも久しく出かけていませんでした。人通りのまばらな西町・総曲輪、西武デパートの跡を見て嘆き、新しい大和の完成を楽しみに、駅裏の発展ぶりに驚き、車に乗っている間中、昔の街並みを懐かしんで一人で説明していました。この私も思い出を共有できるところがある。年を重ねたんだなあと妙な納得!!
ところで、昨年12月「総曲輪物語ー繁華街の記憶」堀江節子著が出版されました。著者と知己であることから即、手にしましたが、富山を知る戦前世代にも我々世代にも共感しながら読める1冊です。
富山の繁華街と言えば総曲輪通り。2005年、創業110周年を迎えた。昨今の商業環境の急激な変化のなか、再開発が行われ、まちの風景も刻々と変わる。店舗も人も変わる中で、変わらないのは「商いの心」と「進取の気性」。中略・・・・・歴史をひもとこうと古い新聞を繰った。大火、戦災、水害、近隣商店街との競合、大型店進出など、常に危機感を持って果敢に挑戦する商店の姿があった。読み進んでいくと私たち高校時代の総曲輪が懐かしく思い出されます。東高校の帰り、泥で汚れた長靴のままで歩くのが恥ずかしかったあのころ、人混みの中で「あなたに会ったよ!」と言われても気がつかなかったあのころ、いつか、かっこいい彼と総ブラを夢見たあのころ、懐かし~い・・・です。そんな時の経過が嘘のようでもあります。今回の総ブラの目的は初孫の晴れ着を買うためでした(潤)
「総曲輪物語」より・・・・・。
イッテミア・ミッション「頑張れ!! 総曲輪」
みなさんは、今年のゴールデンウイークはどうお過ごしだろうか。
私は、東京で働いている息子が帰省しているということもあって、近場を散策して過ごしている。そんな息子ではあるが、友達と会うのに忙しくて、殆ど家にはいない。思い起こせば、昔の自分もそうだった。
今日は、息子が出かけた後、家で昼食をとって、車で東茶屋街に出かけた。多分、東茶屋街近辺の駐車場は満杯だろうと思い車を止めておく秘密の場所に向かった。そこに車を置いて、ゆっくりと東山界隈の街並みを見ながら東茶屋街に出る。
東茶屋街がこんなに混んでいるのを見たのは久しぶりである。さすがにゴールデンウイークである。東茶屋街には、ここ最近ワインバーとか、いろいろ楽しめるお店ができている。実は、連休前も横浜からの友人と、夜の茶屋街でワインを楽しんだのだ。
そんな東茶屋街を早々後にして、主計町(かずえまち)に出る。最近亡くなった植木等の最後に出演した映画として紹介されていたロケ地が主計町だった。私もニュースでその映像を見たのだが、映画では京都の街並みの設定だったようだ。
この街は、東茶屋街から浅野川と道路を渡らないといけないこともあってか、人通りが少なかったのだが、泉鏡花の作品を朗読して聞かせてくれるお店もできたという事もあってか、人通りも多くなってきている。
そんな主計町から、彦三緑地に抜けて、ツツジを見る。
今年、彦三緑地は整備されたせいか、ツツジのトンネルは味わえなかった。しかし、ゴヨウツツジの葉と白い花が印象的であった。それに、ツツジと一緒に植えられている牡丹が丁度見頃だった。
彦三緑地から尾張町の通りを渡った和菓子の森八の丁度向かえに、昭和初期に建てられたギラリーミタのビルがある。骨董品などを扱うお店である。そのビルに、カフェフレールという喫茶店がある。そこで、コーヒーで一服することにした。
マスターの話しによれば、このお店は、骨董品屋さんの倉庫になっていたところを、二年程前に借り受けて喫茶店にしたそうである。この店には、三枚のステンドグラスがある。このビルが出来た頃からのステンドグラスということである。日本のステンドグラス百選にも選ばれているようである。
マスターは観光客だと思ったのだろう。どこからかと尋ねなれた。近くに住んでいると答えたところ、先ほどのご夫婦も金沢の人だとのことだ。最近、近場の人が増えているそうである。ちょうど喫茶店が全盛期の頃に青春時代を過ごした茶店族が、喫茶店に戻り始めているようである。
ステンドグラスから射す柔らかな光と、マスターとの会話を楽しんで、店を後にした。
この記事のタイトル「富山になぜか富がある」は、今朝の日経新聞の一面にあったの記事のタイトルだ。
「日本一豊かな家計」はどこにある? 北陸のとある県に飛んだ--。と紹介して、記事は続く。
北緯三十六度、東経一三七度。「日本の真ん中」に位置する富山市。平均から突出した統計が満載だ。
▼「平均月収」七十一万円。=日本一 ▼「消費支出」四十万円=全国二位 ▼「こづかい月額」四万五千円=日本一 ▼「平均貯蓄残高」五百六十九万円(富山県)=全国七位
富山の特徴は総働き家族にある。一家で多財布、時間とお金をおおらかに融通しあう富山の家族。さようなら大黒柱、大家族の中でもお互いが経済的に自立して、家長に頼らない家計。最後に、「総働き型のイエコノミーは強靭(きょうじん)だ。」と結んでいる。
団塊の世代の大量退職が始まっている。世の中、少子化時代になって、日本経済の活力減退が心配されている。この記事を読みながら思ったのだが、富山の家族のありようの中に、日本の活力復活のヒントがあるように思える。
記事の中で、富山市の施策もあって、市街地の人口が四十年ぶりに増えたとも紹介されている。総曲輪通りの賑わいも戻ってきそうで、楽しみである。
| 「戸隠の熱い夏」 |
私は8年ほど前からジャム作りに凝っています。
きっかけは、友人が遊びに来てイチゴジャムを一緒に作ったことからです。
市販のジャムしか食べたことのなかった私は、実の所あまりイチゴジャムが好きではありませんでした。
それが!なんとその美味しさに驚いたのです。
そしてもう一方で、20年前から眼科通いだった私は“眼に良いと言われるブルーベリー”に大変関心を持っていました。
けれど、そんなに沢山のブルーベリーを摂ることは難しく、市販のサプリメントに頼るしかありません。
しかも、市場に出回るのはほんの一時期だけです。
それで、ジャムにしよう!と思った訳です。
色々試行錯誤を繰り返しながら、今年からノンシュガーのレモン果汁入りコンフィチュールにしようと思っています。
コンフィチュールはゆるーい状態の物です。
レシピよりかなり砂糖は少なめにしているのですが、『砂糖を入れないで作ってほしい』とジャム作りを教えてくれた友人が去年提案してきたので挑戦してみたら、とっても美味しくてブルーベリーのみの甘みで充分だということを発見しました。
先日靖国通りの輸入食品のお店で、フランス製のノンシュガーのコンフィチュールを見つけました。
写真に写っている、細長い瓶のものです。甘さが優しいですね。
ブルーベリーにも色々種類があるようで、私は7月に入ったら伊勢丹の契約ファームからのオレゴンのブルーベリーを使っています。2週間くらいしか出荷しないのです。
ある年、無くなっていたのでカナダ産のものを購入したのですが、これがぜんぜん美味しくないし、皮もすぐぐしゃぐしゃになって色も汚いのです。
だから、7月に入ると両手で持てるだけ買って三往復します。それで1年分のブルーベリーコンフィチュールができます。
他にりんごは青森、岩手の農家から購入して作ります。他にはいちごはもちろん、かぼちゃ、にんじん、あんずを作ってみましたがーその他・・・私も作っているという方、教えてくださいね~
究極のところ、果樹園の中で暮らしたい♪のです。
駅前の文化センターでいけばな教室を主宰する友人が教室を閉鎖した。15年ほど前には20名前後いたお弟子さんが、阪神淡路大震災の後、減り始め、2年ほど前から2名になってしまったと言うのだ。
文化センターでは他の教室と合わせて定期的に新聞に折り込みチラシなどを入れて、生徒募集をしているのだが、見学すらないという。
彼女が文化センターから得る収入は月謝の40パーセント。5000円×2名の40パーセントだから1ヶ月4000円の収入である。勿論、経費は全て込み。お稽古のお花も、数が多ければ花屋さんが届けてくれるが、2セット位では届けては貰えない。お稽古は月3回、お稽古の日になると、少しでも安く、お稽古用の花を調達したくて、車を走らせ、花の卸業者まで買いに行く。そして、教室開催時間の3時間はお弟子さんがいなくても、ひとり、教室で待機していないといけない。収入目的でやっている訳でなくても「やってられないわ」となるだろう。
何事にも手の抜けない彼女は、たった二人のお弟子さんを全力でお世話していた。良く頑張ったと思う。
彼女と私は姉妹弟子。師匠が数年前に亡くなった後、他の師匠に乗り換える気にはなれず、彼女の教室の花を分けてもらって、いけばなを続けてきた。私としても寂しい。これからは、彼女が自宅で隔週開いているいけばな教室の花を分けてもらうことにしたが、花を生ける機会が減りそうである。
'いけばな'が趣味の対象として、誰からも振り向かれなくなりつつある。何が問題なのだろう。家元制度とか、師匠と弟子といった時代遅れの徒弟制度にも問題があると思うが、そんなことは中に入ってみないと分からないことであり、そもそも、それ以前に'いけばな'に習いたいと思わせる魅力がないのかも知れない。生活様式、価値観の変化について行っていない現状があるのだと思う。
実は昨日、あるイベントに飾られた花を大量に貰った。その花で、いつもとは少し違う雰囲気で生けてみた。多分、これからの世代に受けるのはこんな花だろうと思う。
富山市役所の広場の鯉のぼりが、気持ち良さそうに風に舞っていた。
親子元気に仲良く洋々と泳いでいる。暫し見入っていたが、飽きなかった。











