2015年10月の記事一覧

今では多くの人がスマホを使っている。ただ、スマホになると携帯電話に比べ通信料金が高くなる傾向にある。

通信料金が高くなるのは、携帯電話とスマホでのメール(e-mail)の仕組みの違いにあるからだと言っても過言ではないだろう。

携帯電話でのメールは、ドコモ、AU、ソフトバンクといったそれぞれの通信会社独自のネットワークの中でメールをやり取りする。ただ、他社のメールアドレスやパソコンともメールのやり取りはできる。それぞれの通信会社はインターネットとの結節点となるサーバーを持っており、それをインターネットに接続して、メールを自社のネットワークの中に取り込んで送受信している。一方、スマホでは、インターネットの仕組みを直接使ってメールをやり取りする。

通信会社独自ネットワーク方式、インターネットを直接使う方式とも、メールサーバーが受信したメールを、メールアドレス毎に受信箱に入れ、それを携帯電話やスマホに送る仕組みは同じといえるが、メールの取り出し方に大きな違いがある。

独自ネットワーク方式の場合は、メールが受信箱に届いた時点で、サーバーが携帯電話にメールを送りつける。一方、インターネットを直接使う方式では、スマホが受信箱にメールがあるかどうかを問い合わせて、メールが届いている場合に、メールアプリがサーバーの受信箱からメールを取り出す。

スマホの場合でも、外見上は携帯電話と同じように、メールが届いたら音などで着信案内がされるだろう。ただし技術的には、スマホのメールアプリがサーバーに受信箱にメールが届いているかを、四六時中問い合わせていて、メールが届いている場合に、着信案内することで実現している。

この問い合わせは、データー通信機能を介して行っている。メールアプリが、サーバーに電話して問い合わせていると思えばよい。

携帯電話ではメールを送受信するときだけにパケット代が必要になる。しかし、スマホではメールアプリがメールを受信しているかどうかを、サーバーに問い合わせる度にパケット代が必要になる。タイミングよくメールの受信を知らせるためには、四六時中問い合わせることが必要になる。

スマホを契約するときに、半ば強制的にデーター通信定額プランへ加入させられるのはこういった理由からだ。だから、スマホではホームページは見ないし、メールのやり取りも少ないからと、データー通信費を従量制にすると、とんでもないことになる。また蛇足だけれど、メールアプリが常に働いているわけで、スマホの電池の持ちも悪くなる。

次回は、格安スマホにして通信費を減らす(ランニングコストを減らす)のにどうしたかを話したいと思う。

金森

格安スマホ

  • 雑談

「SIMロック」とか「SIMフリー」という言葉をご存知だろうか。

SIMカード(Subscriber Identity Module Card)とは、携帯電話やスマホなどで、電話の加入者を特定するためのID番号(電話番号)が記録されたICカードのことだ。

携帯電話の中にはこのSIMカードが入っており電話機として機能するわけだ。長い間、このSIMカードは、ドコモ、AU、ソフトバンクといったキャリア(通信会社)が独占していた。また、キャリアが提供する携帯電話やスマホだけで機能するようにソフト的に制限して利用者に提供されていた。このため、SIMカードを取り出して他社の携帯電話やスマホに挿し込んでも、電話機としては機能しなかった。このようにSIMカードに制限を掛けるのをSIMロックと言っている。

ただ、2011年頃から世の中の要請で、通信会社は消極的ではあるが、SIMロック解除に応じるようになってきている。理論的にはドコモが提供するスマホに、AUが提供するSIMカードを挿せば、ドコモのスマホがAUの電話機として機能することになる。しかし、いろいろと制約があって、キャリア間のSIMカードと携帯電話やスマホ(ハード)の組み合わせは、まだまだすんなりとはいかない。

一方、市場では、OCNやヤフー、楽天など、キャリア以外の会社がSIMカードを売り始めている。また、それらSIMカードを挿入すれば、通話できる携帯電話やスマホを提供する会社も出てきている。

私は、20年近くAUで携帯からスマホへと、機種を変えながら使い続けてきた。しかし、今月、2年縛りの更新月であったことから、思い切って格安スマホに乗り換えた。

SIMカードはOCNから調達。スマホはfleetelにした。ちなみに、fleetelは日本の会社であり、携帯電話市場から撤退たり合併したりした日本メーカーをリストラされた技術者たちが、スマホなどを開発し、提供している会社のようである。

次回から、格安スマホにして良かったこと、悪かったこと。格安スマホに乗り換えた顛末記を書いてみようと思う。

金森

熊野皇大神社

  • 雑談

追分宿のゆう木で昼食をとり、旧碓氷峠の見晴台からの眺望を楽しんだ後、近くにある軽井沢の氏神の熊野皇大神社をお参りした。

熊野皇大神社は

当神社は碓氷峠頂上 標高1200mに位置し、自然豊かな軽井沢に鎮座する神社です。また、当神社は、全国的にも珍しい県境、お社の中央で長野県と群馬県に分かれた神社です。
ですので、一つの神社でありながら2つの宗教法人がけんざいし長野県熊野皇大神社と群馬県熊野神社に分かれております。その為、神社をお護りする宮司も2人おりそれぞれ神社のお祀りを行っており、御祈祷・お守り・社務所も別になっております。
当神社は長野県、軽井沢の氏神、長野県熊野皇大神社であります。
(熊野皇大神社HPから引用)

熊野皇大神社 旧碓氷峠 軽井沢峠町
熊野皇大神社 旧碓氷峠 軽井沢峠町

熊野皇大神社 旧碓氷峠 軽井沢峠町
熊野皇大神社 旧碓氷峠 軽井沢峠町

しなの木 ご神木 熊野皇大神社 旧碓氷峠 軽井沢峠町
しなの木 ご神木 熊野皇大神社 旧碓氷峠 軽井沢峠町

山神社 熊野皇大神社 旧碓氷峠 軽井沢峠町
山神社 熊野皇大神社 旧碓氷峠 軽井沢峠町

金森

日本国憲法と国民主権

  • 時事

先の国会で自民党・公明党は、憲法違反の戦争法を国会のルールを無視して強行に可決成立させた。

この国会審議を通して、自民党や公明党は立憲主義を踏みにじり、国民主権をもないがしろにする政党であることがハッキリとした。

そんな中、自民党副幹事長の西田昌司氏は「そもそも国民に主権があることがおかしい」と発言している。とんでもない発言だが、自民党の考え方、本音を端的に表わしている。


西田 昌司(にしだ しょうじ、1958年(昭和33年)9月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)、自民党副幹事長、自民党京都府連会長、きょうと青年政治大学校事務総長、自民党税制調査会幹事。(ウィキペディアから引用)

こういった発言をする背景はどこにあるのか。自民党の憲法改正案にその解があった。

ここで、自民党憲法改正案と日本国憲法の前文を見てみよう。

自民党憲法改正案前文

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。

我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。

我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。

日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

日本国憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

日本国憲法では、主権が国民にあることをハッキリと宣言している。しかし、自民党案では、主権についてはなにも述べられていない。ただ、前文の最後のセンテンスを要約すると「日本国民は、国家のために、この憲法を制定する」となる。自民党の主権への考え方が見えてくる。すなわち、国家のために国民がいる。暗に主権は国家にあると言っているに等しい。そして、国家の実態は、権力者(一握りの政治家、官僚)と一握りの企業であり、全体主義国家の憲法にするということになる。

全体主義を許す憲法は、独裁国家を生む。

私はなにがなんでも憲法改正に反対し、護憲を主張する積りはない。曖昧な条文は変えればいいし、新たに追加しても良いと思っている。自衛隊を軍隊と認めても良いと考えている。それに即した条文に変えても良いだろう。ただ、平和主義、国民主権、立憲主義といった基本的な考え方は変えてはいけないと考えている。その意味では護憲の立場だ。

それにしても、日本国憲法は、読み物としても素晴らしいと思う。特に前文は感動する。こういった憲法を持っている日本国民を誇りに思っている。

日本国憲法を読みやすくしPDFにしてアップした。さして長いものでもなく直ぐに読める。印刷して読んでもらうのもよいだろう。( 日本国憲法.pdf をクリック)

加えて、自民党のHPにあった改正案(日本国憲法と改正箇所が対比されている)もアップした。参考までに見てもらえればと思う。( seisaku-109.pdf をクリック)

日本を全体主義の独裁国家に向かわせるのか、国民主権、立憲主義の民主国家に向かわせるのか。次回の選挙からは日本の有り様をどちらにするかを選ぶ選挙になっていくだろう。そのためにも、現与党に対峙して、野党勢力が結集してくれることを望んでいる。

金森

そろそろ例会やりませんか

  • 例会

そろそろ例会やりませんか。

12月のみなさんの都合がつきそうな日に、忘年会も兼ねてどうかと考えをめぐらしています。

費用から言えば平日の昼がよいのではと思ってるんですが、まだまだ現役で頑張ってる人もいるようなので、土日にしてはどうかとも思ってます。

昼とは言っても、そこそこお酒も飲むだろうし、会費は6000円位かなと思ってます。

会場はやはり富山。今までの参加人数を考えながら、参加する人が何人になるかを予想して、会場の料理屋とかホテルと交渉して決めたいと思ってます。東京から新幹線を利用すれば、日帰りも視野に入るのではという気持ちもあります。(日帰りしてまで参加するかってこともありますが・・・)

近日中(14日、15日頃)には決心して、みなさんに案内状を出そうと思ってます。

希望などあれば、e-mailとか携帯への電話とかSMSで、連絡してくれると嬉しいです。

金森

生徒を4時間監禁、竹刀が折れるまで...新文科相の馳浩と副大臣の義家弘介が教師時代の体罰自慢対談

http://linkis.com/lite-ra.com/2015/10/Us1CE
LITERAから転載


上・衆議院議員「義家弘介」OFFICIAL WEB SITEより/下・衆議院議員「はせ浩」オフィシャルサイトより

どうやら、安倍政権による"教育破壊"は当面の間止まらないらしい。第三次改造内閣の顔ぶれを見て、そう確信した。

建前上、オリンピック問題の引責で辞任した下村博文氏にかわって、安倍晋三首相が文部科学大臣に抜擢したのは、元プロレスラーの馳浩衆議院議員だった。そして文科副大臣に起用されたのは安倍チルドレン、ヤンキー先生こと義家弘介参議院議員だ。

このふたりはともに元高校教師の肩書きをもつが、実は、過去に雑誌の企画で対談しており、そこで軍国主義さながらの"体罰肯定発言"、いや"体罰自慢合戦"をかましていたのである。

2008年、保守論壇誌「正論」(産経新聞社)6月号所収の対談記事でのこと。ふたりは教諭時代を振り返りつつ学校教育について語りあっているのだが、まず義家氏が「生徒指導で大切なこと。これはいったんひいた線は絶対死守することに尽きる」としたうえで、こう語り出す。

「いじめの指導で放課後四時間教室から(生徒を)出さなかった時は他の教職員がハラハラしながら私の教室の外で見守っていて後で散々言われました。(中略)口で『いじめはダメですよ』と説くのは誰でもできる。でもこれはそんな次元で済ましてはダメで態度で示す以外ない。教室の用具はボコボコになり、最後は加害生徒が泣いて詫びながら二度といじめないことを誓ったので終わりにしましたけど、これは仲間内の教職員から散々に言われました」
 
 他の教職員に批判されるのは当然だろう。「加害生徒」が泣いて詫びたのは暴力に屈したからとしか思えず、それではただの"暴力の連鎖"だ。しかも大人であり学校内の権力者である教師から子供への暴力。これでいじめ問題が抜本的に解決するとは到底考えられない。

一方、この"トンデモ暴力元教師"に対して、馳氏はこう返した。

「私は朝七時前には必ず学校に行き、職員会議が始まるまでの時間を校門に立って口うるさくやりました。爪、スカートの丈、髪型など。私の場合は終始怒鳴らなくても済んだんですね。というのは私が教員になってすぐに五輪の代表に選ばれましたし、私の身体を見れば生徒は『馳は怒らせると怖い』と分かるのです。生徒は逆らったら怖いとビビっているから、むしろ『怒らせると怖いけれども、そうでなければ普通に話せる』と思わせるよう、授業の始まりにいろいろな話をして気をつかっていましたね」

いたいた〜こういうコワモテの先生、と、さすがに義家氏と比べると常識の範囲内だったかと胸を撫で下ろしたのも束の間、

「では殴ったことがなかったかと言えば、必ずしもそういうわけでもない。私は高校のレスリング部の監督を務め、石川県で強化委員会をやってましたけど、私の高校はそう強いチームではなかったのです。ですから一週間に一本ぐらいは竹刀が折れていましたよ」

......馳、お前もか! どう見たってコレ、竹刀が折れるまで生徒をぶん殴りりましたってことだろう。しかも続けて「理由はハッキリしている。短期間でチームをまとめ、強くするには基礎体力をつける以外にない」なんてしれっと言っているのだが、ようするに"集団に貢献できないものは暴力制裁によって従わせる"という軍隊的発想だ。

そもそも体罰の多くは、子供にとって肉体的痛みよりも、心理的ないしは精神的痛みの方がはるかに大きい。仮に、竹刀が折れるまで馳氏が殴ったその生徒が、その後レスリング選手として大成しようとも、義家氏が四時間も教室に監禁してボコボコにしたいじめ加害生徒が「更生」しようとも、その子たちの心の傷は一生消えないし、教員が暴力行為にでることを目の当たりにした他の生徒たちにも、むしろ「言うこときかないヤツは暴力で締め上げてもいいんだ」という誤った認識を植え付けてしまうのではないか。

だが、考えてもみれば、安倍政権が「教育改革」を旗印に行ってきたのは、教育基本法改正による「愛国心」の押し付けや、道徳の「特別の教科」化による思想統制。体罰や暴力支配がこれらと相性がよいのは歴史が証明しているわけで、馳氏や義家氏の「生徒指導」は現政権の意向とぴたりと一致するのかもしれない。

事実、第一安倍政権の教育職員免許法改正により、教員免許は10年の更新性となったが、前述の対談で馳氏は、個々の教員や教育システムに対するさらなる国家の介入を提言している。

「教職員について国がやるべきこととして免許更新制を充実させないといけない。こう思ってます。教員は養成→採用→研修→免許更新という一つ一つの段階をもう一度洗い直す必要があるでしょう。この四つの段階をバラバラの政策として取り組むのではなく、一体として捉える。したがって研修の中身や更新制の研修も中身が厳しく問われなければいけないと考えています」

義家氏がこれに「同感ですね。大学の教育学部なんてスキル指導は皆無に近いし、左翼教師の巣窟みたいになっている」とうなずくように、結局のところ馳氏が主張しているのは、教員を徹底して国家の管理下に置き、あるいは政府の意向に従わない教員を排除することによって、子供たちの思想や人格を都合のよいよう統制したいということではないのか。

実は、7日に放送された情報バラエティ『バラいろダンディ』(TOKYO MX)でも、新閣僚の顔ぶれが紹介されたとき、プロレスの先輩である蝶野正洋が、馳氏を冗談交じりにこう評す一幕があった。

「いやあ、これ内閣を決めるときにちゃんと下調べ(身体検査)をしてないんですかねえ?」
「2、3カ月で多分ダメになるんじゃないかな」
「(人となりは)素晴らしいけど、彼は表と裏あるからねえ」

体罰肯定、思想統制推進の馳氏と「戦後左翼教育」批判の急先鋒である義家氏がタッグを組んで文科省トップに君臨するとなれば、これから起きることは火を見るよりも明らかだろう。彼らを就任させた安倍政権の思惑を、われわれはよくよく警戒せねばならない。
(宮島みつや)


金森

追分宿

  • 雑談

ゆう木で昼食を予約した時間にはまだ早かったので、国道18号を追分宿に入った。浅間神社の近くの駐車場に車を留めて、追分宿を歩いた。歩いている人はそう多くなかったが、石だたみの道を散策している観光客と思しき二三組の夫婦とすれ違った。年の頃は私達と同じようだった。

浅間神社をお参りした。堀辰雄文学記念館を見学するには時間がなかったので、またの機会ということにした。

浅間神社 軽井沢追分
浅間神社 軽井沢追分

堀辰雄文学記念館 軽井沢追分
堀辰雄文学記念館 軽井沢追分

堀辰雄文学記念館 軽井沢追分
堀辰雄文学記念館 軽井沢追分

コスモス 散歩道の花 軽井沢追分
コスモス 散歩道の花 軽井沢追分

金森

ゆう木・軽井沢追分

  • 雑談

ここのところ、軽井沢の知人の別荘に泊めてもらってのゴルフ会には、妻が同行するようになった。同行するといっても妻はゴルフはやらないし、別荘に泊めてもらうこともない。東京に住む妻の友人が高速バスで軽井沢にやってくる。妻は彼女とペンションとかホテルに泊まって旧交を温める。

そんなわけで、今年はゴルフ会の前日、東京からの彼女との待合せの前日、追分宿のペンションに泊った。ふるさと割とかいろんな割引を利用して夫婦で四千円で宿泊できた。(少しは納税した税金を回収した気分になった)

朝の七時頃に北陸道に乗り、追分宿に着いたのは昼時。追分宿近くのレストラン「ゆう木」を予約しておいた。

ゆう木 軽井沢追分
ゆう木 軽井沢追分

前菜 ゆう木 軽井沢追分
前菜 ゆう木 軽井沢追分

スープ ゆう木 軽井沢追分
スープ ゆう木 軽井沢追分

信州ポークのソテー ゆう木 軽井沢追分
信州ポークのソテー ゆう木 軽井沢追分

プチデザート ゆう木 軽井沢追分
プチデザート ゆう木 軽井沢追分

金森

旧碓氷峠見晴台・軽井沢

  • 雑談

旧碓氷峠の見晴台に登った。

何年か前に、軽井沢に行った時には、何時も泊めてもらう別荘の持ち主が、見晴台を案内してくれることになった。歩いて直ぐだからと、旧軽の知り合いの駐車場に車を留めて、見晴台へと歩いたことがあった。足元は革靴、ブレザーを着て、軽い気持ちで見晴台へと向かった。

しかし、登山というかトレッキングをしているのに気づくには、そんなに時間は掛からなかった。やたらシンドい思いをして4キロを登った。おまけに、折角登ったのに、下界はガスで何も見れなかった。

二度と同じ過ちは繰り返さないと、今回は妻と車で見晴台へと向かった。途中かなり細い道や一方通行の道があったが、なんとか見晴台にたどり着けた。

見晴台 旧碓氷峠 軽井沢峠町
見晴台 旧碓氷峠 軽井沢峠町
浅間山と小浅間山 見晴台 旧碓氷峠 軽井沢峠町
浅間山と小浅間山 見晴台 旧碓氷峠 軽井沢峠町
妙義山方向 見晴台 旧碓氷峠 軽井沢峠町
妙義山方向 見晴台 旧碓氷峠 軽井沢峠町

白えび丼

  • 雑談

昼飯は富山駅の白えび亭で白えび丼にした。

美味かったが、値段がかなり上がっていたように思う。900円前後と思っていたが、1260円になっていた。平日で昼前に入ったので直ぐに入れたが、店を出る頃には列が出来ていた。これも新幹線効果と思う。でも、ちょっと複雑な気分になった。

白えび天丼 白えび亭 富山駅

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ごの会

「ごの会」は富山東高校5回生を中心にした親睦会です。

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