2007年3月アーカイブ
大乗寺は閑静な場所にある。でも、最近では、山側環状道路の開通で、気軽に立ち寄れる場所になった。そんな訳で、この前も仕事帰りに、ちょっと立ち寄った。
大乗寺は、国指定重要文化財ではあるが、観光地にはなっておらず、開放的で誰でも気軽に寄れるようになっている。
お寺の玄関とでも言うか、部屋の入り口に屏風が立てられ、屏風に溶け込むような色の壷に花が投げ入れられていた。なんとなく壷が傾いているように思い眺めていると、何人もの雲水が廊下を歩いてきて、「こんにちは」と声を掛けながらお寺の奥に消えていった。修行の途中で通り掛かったのだろう。よく見ると、壷はもともと傾けて作られていた。
大乗寺の入り口にある石碑「国指定重要文化財 大乗寺(曹洞宗)」には次のように刻まれている。
「この大乗寺は今から七百年ほど前、永平寺三代目住職を退いた徹通義介(てっつうぎかい)禅師が開いた寺である。加賀の守護職富樫氏が外護し、はじめは野々市(ののいち)の地にあった。
大乗寺の二代目住職をひきついだ瑩山禅師は、傅光録を講じ明峰、峩山、大智など多くの門弟を打出した。その後、能登に永光寺(ようこうじ)、さらに総持寺を開創し曹洞宗を飛躍的に発展させた。それでこの寺は永平、総持の両大本山と格別に由緒(ゆいしょ)が深い。....」
ここに記されている冨樫(とがし)は、歌舞伎の勧進帳でも有名な冨樫である。1187年に源義経一行を安宅関(あたかのせき)に迎えた冨樫左衛門(冨樫泰家・とがし やすいえ)も、この冨樫氏である。
冨樫氏は、現在の野々市町に館を構え、加賀の守護・実力者として、1570年に一向一揆勢力に敗れて途絶えるまで、加賀を支配していた氏族である。戦国時代までは、加賀(石川県)の中心は野々市町だったのかも知れない。
また、私的加賀冨樫氏研究サイト「加賀冨樫氏野々市の歴史」では、「冨樫氏の被官として組み入れられた武士として、『富樫物語』(富樫卿奉讃会(編).北国出版社.1977年)では「林・山代・久安・押野・英田・山上・横江・近岡・倉光・板津・白江・宮永・大桑・佐貫・石浦・飯河・藤井・弘岡・松任の諸氏」を挙げている。」と書かれている。これら武士の名は、金沢市近郊の町や地域の名前と同じものが多く、何かの関係があるのかも知れない。
山門にあった鐘をゴォ~んと一突きして帰ってきた。
イッテミア・ミッション「大乗寺で鐘をゴォ~ん」
親父とお袋は温泉が好きだった。実家に帰ったときなど、よく両親を温泉に連れて行ったものだ。温泉と言っても宇奈月温泉などの有名な温泉地ではない。町や村が住民のために運営している温泉施設である。その中でも良く行ったのが、春日温泉と山田温泉である。
富山市内から、越中東海道(国道41号線)を高山に向けて走る。越中東海道の山への入り口が笹津である。左手に猿倉山、右手に笹津山があり、越中東街道が神通川と交差する。そこに掛かる橋が笹津大橋である。
この笹津大橋に入る1km程手前を右手に折れて笹津の町に向かう。高山本線の踏み切りを渡って少し走ると、そこが春日である。踏み切りから四百メートル位のところに、春日荘があった。
親父もお袋も春日荘の湯が好きだった。身体に優しいお湯である。親戚の叔父や叔母と一緒にきたこともある。春日荘の近くのお年寄りや婦人会の奥さん達も多かった。母が亡くなってからも、父と時たまこの風呂に来ていた。そんな父も昨年亡くなった。
通りから春日荘への坂道も記憶にある。名水と言われる湧き水の汲み場もある。確かに春日荘のあった場所である。しかし、そこにあったのは、なんともモダンなホテルであった。「リバーリトリート雅楽倶」という。
フロントへという案内を見ながら深紅の玄関ドアーから館内に入る。ほの明かりの歩廊をフロントへと進む。昼食には少し遅くなったが、お風呂に入る前に、レストランでフレンチ懐石を頼んだ。
窓の外の、神三ダム湖の風景に彫刻などを溶け込ませて配した造形が美しい。そんな風景が見えるテーブルに料理が一品づつ運ばれてくる。料理の素材などを説明してくれた。素材そのもの味を生かした料理が嬉しい。特に、近江牛のステーキは箸で切れる柔らかさで、肉の上のニンニクは、香りも控えめで、肉の味を引き立たせていた。
お風呂には露天風呂があり、小さな庭の中に湯舟がいくつかあって、湖を眺めながら湯に浸る。湯加減は多少温めで、お風呂場に長くいてものぼせることがない。日常のいろいろが、湯気になって散っていくひと時を楽しむ。
春日荘のころ、ゆっくりしようと部屋を借りて、食事を取りながら、何度も温泉に浸かっていたこともある。昼食は多分、山菜定食のようなものではなかったろうか。その時に部屋から見た風景がおぼろげに思い出された。見ている風景は同じなのに、なぜか同じには思えなかった。目の前の風景に、当時の風景の走馬灯が、透けて重なって見える気がした。
雅楽倶のサービスは行き届いており、訪れる客を日常から非日常へと誘ってくれる。今度は、同期のみんなとスイートルームでも借りて、酒を酌み交わしながら、ゆっくりと語り明かす。そんなオフ会はどうだろうと思いながら、家路に着いた。











【追記】
コメント欄で、上から二枚目の写真が、正面入ったロビーの写真と書きましたが間違いだったように思います。下の写真がロビーにあったガラス窓の写真だと思います。
この風景はどこかで見たことがあるとか、以前体験したことがあると感じることがないだろうか。こういった感覚を既視感(きしかん)と言い、フランス語でデジャヴと言う。
最近観た映画は、監督トニー・スコット、主演デンゼル・ワシントンの「デジャヴ」だ。素早いカットでテンポよく話が進む。奇抜な展開に幻惑されながら、ひとコマひとコマのショット。点と点が、ラストシーンに向かって線となって繋がっていく。ラストでそれらのカットが伏線であったことに気付く。その伏線が「デジャヴ」だ。
沢山の乗船客と多くの幸せを乗せて走るフェリーが爆破される。デンゼル・ワシントンが演じる捜査官が、犯人を追い詰めていく。今と四日前が時空を越えて交錯しながら捜査が進む。SF的感覚の中で、アクション・サスペンスが展開される。文句なく楽しめるエンターテイメント作品に仕上がっている。
先日、同期生から「金沢近辺に出張するので、一緒に昼食はどうか」と電話があった。こんな誘いは大歓迎である。
ブログで紹介した「海鮮丼」が食べたいとのことである。何時もこのブログを見てくれているようだ。益々嬉しくなってくる。
待ち合わせたのが昼近くだったので、橋立までは北陸自動車道を使った。徳光SAに車を止め、ここから彼の車でECゲートから北陸自動車道に入る。北陸自動車道を片山津ICで下りれば、直に橋立である。
30分も走れば橋立の「やしま」に着く。ところが、「やってるよ」という例の看板がない。定休日である。残念ながら、目的の海鮮丼とはいかなかったが、近くにあった「割鮮しんとく」で、浜弁当での昼食となった。
帰りは、徳光SAで降ろしてもらい、彼はそのまま北陸自動車道を富山へと帰っていった。
3月25日午前9時42分に、能登沖を震源地にした震度6強の地震があった。
最初に、ググググッと腹に感じる不気味な縦揺れがきた。直に、ガタガタガタと家が揺れ始めた。灯油のボイラーが運転を中止したとしゃべり始めた。
一瞬身体が固まって動けなかったが、直に気を取り直して、テーブルの下に身体を埋めた。関東に長く居たこともあり、地震の揺れには慣れている積りでいた。しかし、今回の揺れは、今までに経験したことのない不気味なものだった。
幸い我が家には被害はなかったが、富山でも強い揺れがあったようだ。みんなも大丈夫だったろうか、心配しながら、被害がないことを祈っている。(25日10:33)
追記:
- 3/25 18:11 当地で震度3の少し大きめの余震がありました。これについても、こちらでは被害はありませんでした。能登地区を中心に余震が続いているようで、今後も震度5程度の余震の恐れがあるとのことです。
- 3/25 18:32 ご心配の電話、ありがとうございます。幸いにも我が家や我が家の周りには被害はありません。ただし、県内能登地域や富山県内で被害が出ていると、ローカルテレビ番組で報道しています。こちらが心配です。
- 3/26 7:16 当地で震度3の余震がありました。これについても、こちらでは被害はありませんでした。
- 3/26 14:26 能登地方で震度5弱の余震。当地では震度2程度。今までに、197回の余震。こちらでは被害はありません。
昨日、片町の料理屋で、飲み会があった。私が一番年下だ。
現役の頃の話に花が咲く。いままでの人生のいろんな場面での出来事や体験したことなどが、次から次へと語られる。話題になっている時々の出来事と重ね合わさる。テレビ画面に流れるニュースの一コマが思い出されることもある。
少し前までは、人と話していても、語られる話は上の空、自分が言いたいことをいつ切り出そうかと、タイミングを計っているのが精一杯だったように思う。人の話しを楽しむ余裕がなかったのだろう。そろそろ、人の話を楽しめる歳に、なってきたのかもしれない。
料理屋の座敷の床の間の花も、時たま微笑みながら、みなさんの話を聞いていたようだ。青い壁をバックに目立たず生けられた、すらっと背筋を伸ばした白い花に粋を感じた。
「街に行く」と言う言葉の響に郷愁を覚える。中学の頃までの私にとって、「街に行く」とは、「富山の総曲輪通り(そうがわどおり)や西町(にしちょう)に行く」ことを意味していた。
親父やお袋に「街に行く」と言われると、おめかしをする。「おめかし」と言っても、学校の制服を着て、手でほこりを払うこと位である。街に行けば、何かしら目新しいものが見れる。そんな期待に胸膨らませ、緊張したものである。
街の象徴は、「大和デパート」であった。そこには、最先端の文化があった。万国博覧会にでも来たように、目を輝かせて通りを歩く。総曲輪通りや大和デパートには沢山の人が溢れていた。
総曲輪通りの食堂で、一緒に来た近所のおばちゃんに黒いサイダーだと進められて飲んだコークを思い出す。なんと不思議な飲み物かと思った。今ではなんの抵抗もなく飲むコーラだが、初めてのコーラはコップ一杯飲むのにも苦労した記憶がある。
そんな時代の象徴である「大和デパート」が移転する。移転先は、総曲輪通りの国道41号線沿いの入り口付近である。着々と工事が進んでいる。今年の秋頃には完成するのではないだろうか。
街に憧れた頃の思い出が一杯詰まった「大和デパート」が新しく生まれ変わる。今の建物は壊されるのかも知れない。感慨深いものがある。
ところで、今の西町や総曲輪通りに、あの頃を思わせる人通りや賑わいはない。新しくできる大和デパートが、あの頃の賑わいを呼び戻してくれると嬉しい。ラッピングされて走る市電だけがニギニギしいのは、やはり寂しい。
記事の最初、最後と、右側の「目次(カテゴリ)」にある「今までの記事一覧」を見て欲しい。
イメージ的には、同期会報(新聞)のように見えないだろうか。
特徴は...
- 記事の分類(カテゴリ)毎にまとめて、画面に配置している。
- それぞれのカテゴリの最新の記事の概要を掲示している。
- カテゴリ内の最新5つの記事のタイトルを表示して、記事本体へもリンクしている。
- カテゴリに含まれている記事を、一括して見ることもできる。
そして、掲示されている記事一覧の中から興味のある記事を見てもらうことがきる。
正に「新聞」と言うか週刊誌というか、同期会報といった感覚で見てもらえるのではないかと思う。
こんな発想のブログは見たことないと思う。世界初と自慢してもらって良いと思うのだが。いかがでしょうか。
坂を下り、韓屋保存地区を外れると、おしゃれなブティックや雑貨屋、カフェなどが軒を並べる路地に出た。フッと神戸、北野の異人館街を思い出した。
今では神戸の代表的な観光スポットとなっている北野であるが、私が大学生だった頃は異国情緒漂う住宅街で、観光客の姿を見かけることは殆んどなかった。北野が変わったのはNHKの朝の連続ドラマ「風見鶏の館」が放送されてからである。観光客が押し寄せ、異人館を核に北野の街が変わっていった。
北村の路地を歩いていて、神戸の北野と同じ現象がここでも起きたのかなと勝手に想像した。
路地を抜けると、国立民俗博物館前に出た。その隣が韓国最大の宮殿、景福宮である。どちらも休館。外から覗き込みながら、前を素通りした。
そろそろ、足の方も限界に来ていた。ホテルまで寄り道しなければ二十分程の道のりだった。私達は少し足を速め、ホテルへの帰り道を急ぐことにした。
寄り道はしないつもりだったが、寒さをしのぐために地下に降りると、ロッテデパートの入り口が眼に入った。暖かそうだし、ここを通り抜けて行こうと中に入る。
そこは、所謂、デパ地下だった。好奇心に疲れも忘れ、食料品のコーナーへ。日本にあるもの、ないもの、娘とワイワイ言いながら見学して回る。ちょっとした異文化体験だった。最後にお菓子コーナーに行って、韓国のお菓子を買い、ホテルの部屋に戻った頃には、日が暮れ、部屋の窓から見える街は夜の光に包まれていた。
久しぶりに歩いた足は、もう何処へも行かないと悲鳴を上げていた。今回の旅行はよく歩いた。何の予定も立てずに来た割には、盛りだくさんだった気がする。明日は朝寝坊して、ゆっくり帰ろう。今年のお正月休暇もあっと言う間だった。(おわり)
金引の滝から降りて、県道9号線に戻る。これで、今回予定していたところを概ね観光したことになる。このまま、昨日降りた路綾部宮津道路の宮津天橋立ICから高速道路に乗って、家路に着こうかとも思ったが、それには少し時間が早い。急ぐ旅でもない、北陸自動車道の敦賀ICまでは一般道を行くことにした。
県道9号線との交差点を左折して、宮津港方向に戻り、国道176号線と交差する丁字路を右折して、舞鶴方向に走る。
途中、観光案内にあった「天橋立雪舟観展望休憩所」に立ち寄ることにした。雪舟観には、途中で宮津港沿いの県道606号線に入らないといけなかった。宮津港沿いを暫く走ると右手に、赤い鳥居を見つけた。駐車場はなさそうである。しかし、階段の下に狭いスペースがあった。車をそこに止めた。軽自動車は小回りが利いてこういうときも便利だ。
階段の前に「天橋立雪舟観展望休憩所」という案内板もある。早速、鳥居をくぐりながら階段を登った。
案内板には、『室町時代の大成者「雪舟」が描いた「国宝天橋立図」は栗田峠あたりの山から写生されたのではないかと言われています。その天橋立図に描かれている眺めに相応したこの地からの景観を天橋立十景の一つ「雪舟観」と呼んでいます。』とあった。
鳥居を上ったところに社があり、その社をもう一段登りきると、少し狭い空間がある。雪舟はここからの景観を天橋立図にしたのだろう。天橋立が横一線に見える。
暫くの間、室町時代に思いを馳せて、雪舟が見たであろう天橋立を眺めた。(京都国立博物館所蔵「国宝天橋立図」)
この後、今来た道を、国道176号線に戻り、そこから舞鶴に出て、北陸自動車道に入り、家路へと着いた。
今回の旅は、一泊二日の短い旅ではあったが、いろんな人と出会えた思い出深い旅になった。(おわり)
今日は、冬型の気圧配置ということで外の風は冷たかった。しかし、天気は良かった。
そんな中、東茶屋街を散歩していたら、軒先に生けられている花を見かけた。
表札代わりに生けてあるのだろう。
洒落てるねぇ~と、カメラのシャッタを押した。
案内されたレストラン'宮宴'のランチは大正解!!韓国風を強調しない落ち着いたインテリアでまとめられた店内では、日本語の話せるスタッフが応対してくれた。
韓国料理と言えば、キムチ、焼肉、チゲ鍋位しか知らなくて、にんにくと唐辛子のイメージだったが、バランスの良い食材、陰陽五行説に基づく彩り、繊細で、やさしい味の数々はちょっとしたカルチャーショックだった気がする。
心配した値段だが、ランチのコースが3万ウォン前後で3メニューほどあって、充分なお徳感、大満足、大満腹でレストラン'宮宴'を出た。
韓国宮廷料理は、昨年放送された韓国の人気ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」の大ヒットの影響で、韓国内でも、今、ちょっとしたブームになっているそうだ。
'宮宴'前の駐車場横にある管理人小屋を覗き、'宮宴'に案内してくれた男性にお礼を言って行こうとしたが、管理人小屋は空、彼の姿は見えなかった。ちょっと寂しい気がした。
'宮宴'を出て、当初の予定通り北へ向かって歩く。少し行くと案内板が見つかった。そこを左折すると狭い坂道がはじまる。韓国の伝統的家屋、韓屋が保存されている地域へと入ってきた。
立派な塀に囲まれた豪邸が続く。どの家も驚くばかりである。テーマパークにでも紛れ込んだ錯覚さえ覚えるが、どの家にも人が住んでいる気配がした。きっと韓国の大金持ちが住んでいるのだろう。 セコムの赤いシールが目に付く家もある。確かセコムは日本の企業のはず。そういえばセコムのCMにヨン様が出ていた。
急な坂道を、左右に立ち並ぶ韓屋を見ながら登っていくと結構高いところまで来たみたいで、ソウルの町が見渡せる。観光客にたくさん出会うと思っていたが、案内板からここに来るまで、一組のご夫婦らしき初老カップルに出会っただけであった。
また迷子?・・・少し不安になって、坂道を下ることに。日も西に傾きかけていた。
庭のポットに植えておいた松茸が、大きくなってきた。そろそろ食べ頃だ。春の松茸って珍しい。どんな味がするのか楽しみである。
そもそも、ポットで松茸が育つとは思わなかった。何かの間違いではないかと思う今日この頃でもある。
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爽やかな朝だった。地鶏の卵や自家製の梅干など、いろいろと美味しいおかずで朝食をとった後、ペンションを出発した。少し行った坂道からペンションを見ると、おばちゃんが手を振って見送ってくれていた。短くクラクションを鳴らした。小さく「行ってきます」とつぶやいて、ペンション自給自足を後にした。
最初の日、宮津に予定通り着いていれば、最初に見に行こうと思っていた「金引の滝」に行くことにした。実は、ここも事前に調べた地図では、道が途切れていていた。多少不安に思いながら、車を進めた。
確かに、車が一台しか通れない細い道が続いていた。金引の滝に通じる入り口らしきところからは車を降りて歩かないといけない。とは言うものの上り口には駐車場はない。何処に車を止めておけばよいのか周りを見渡したところ、少し上ったカーブの所に、車を止めておけそうなスペースがあった。早速、そこに車を止めて、金引の滝へと歩き始めた。
少し登ると、大おきな岩面をつたう滝が見えてきた。「金引の滝」である。滝壺のすぐ下まで歩いていける。
うっそうとした森の中に、太陽の光が差し込み、光のカーテンを作る。その中に岩面を幾重もの水の糸が滴り落ちる。絶え間なく落ちる水の音が、木々の隙間に吸い込まれていく。



全く今の季節は判らないー すっかり春到来だと思っていたら、又冬に逆戻り。。。
韓国旅行記、そして鳴門海峡、高校時代の彼女を思い浮かべながら私も楽しませてもらっています。
せめてものお礼に、近況をささやかな花で・・・
早咲きのチェリーはもうすっかり散ってしまいました。でもちゃんと実がなるんですよぉ~
水仙は一ヶ月も頑張って咲き続けています。
kokko
鳴門大橋を渡ってスグ、鳴門北インターを出た所にあるリゾートホテル。癒しを求めて、一泊。全室オーシャンビューのこのホテルでは、どこからでも鳴門海峡が望めた。
鳴門海峡といえば海流の速さ、渦潮。でもこの日は穏やかで、やさしい表情をみせてくれ、ホテルのティールームから、ぼんやりと海を眺めていると、時間が止まってしまったみたいな気持ちになった。
日本海沿いを、美川、根上と小松に出て、小松空港を横手に見ながら片山津カントリー倶楽部と北陸自動車道の間を並走する。片山津温泉への交差点を、海側へ行くと、そこはもう橋立である。
今日の昼飯は、橋立港の近くにある食事処「やしま」とだけ覚えてきた。地図で詳しく調べてきたわけでもないので、橋立に入ってから、道路の両側の看板に注意しながら走った。
幸い橋立に入ったら直に「やしま」の看板が目に入った。玄関の脇に「やってるよ」と看板が立て掛けてある。早々に店に入って、海鮮丼を頼んだ。
甘エビ、ズワイガニ、鯛、ぶりトロ、バイ貝、イカなどの刺身が、彩りもよく所狭しと乗っている。カニ味噌も隠れていた。思わず携帯電話のカメラで写した。
さすがに漁港の近くにある食事処だ。味は申し分ない。どの刺身も身が締まり、プリプリと歯ごたえがある。そして、甘い。甘いと言っても、新鮮な魚の身の甘さである。もちろん、生臭さなどは微塵も感じさせない。なかなか街では味わえない海鮮丼である。
「やしま」で腹ごしらいをした後、雪の晴れ間に、車を止めて、荒れる日本海を見ながら、海沿いの道を車を走らせた。
雪が降る時、日本海は翡翠の表情を表す。波は荒く、雲はどんよりと水平線に垂れ込める。翡翠色の波が弾けて、白い波となって、海岸に押し寄せる。晴れた日には見ることができない日本海の表情である。寒いけど、こんな日本海の表情も好きである。
明石大橋を神戸側から渡ってスグの所に、淡路パーキングエリアがある。明石大橋の絶好の観光スポットであるが、ここに観覧車が出来たと少し前、耳にしたような気がする。日曜日、癒し(?)の一泊旅行に鳴門まで出掛け、途中その観覧車が目に入った。
近場に住む者として、一応は乗っておかなくてはと車を止め、一周してきた。ゴンドラは床と椅子以外の部分はほとんどガラス張り、雨上がりの澄んだ空気の下、播磨灘から明石海峡、大阪湾が一望だった。
金沢の街を歩いていると、割竹を円弧状に曲げて壁際に並べてあるのを時たま見かける。
金沢の犀川大橋の近く清川町にある老舗料亭「山錦楼」の道路側の壁際にも並べてある。建物とあいまって、風情を感じる。
この割竹で作った円弧状のものを、京都などでは「犬矢来」と呼ぶようである。犬の放尿を防ぐ目的で置かれたことからこう呼ぶようになったとのことである。
しかし、何時だったか、何処で聞いたか思い出せないが、金沢の矢来は、雨宿りできなくする目的で置いていると聞いたことがある。
写真を見ると分るが、矢来の上には窓がある。窓の内側では、客達が胚を交わしながら、いろんな会話をすることだろう。こういった席でしか話せない微妙な話もある。阿吽の呼吸の一言で話が決まる時もある。
客室の窓の下に矢来を置いて、雨宿りできないようにして、そんな会話が外に漏れないようにする、料亭の配慮だという。
老舗のお茶屋さんや料亭には、昔の人の知恵の仕掛けが多い。客達のための、いろんな工夫、配慮がされている。そんな事も考え合わせれば、金沢でよく見かける矢来は、雨宿りお断りといった目的で置かれるようになったと考えるのが良さそうである。
ペンションへの道は、予想通りの道だった。夕日を見てからでは、きっと途中で立ち往生していたことだろう。
玄関を入って、部屋に案内されるときに、若い夫婦に連れられて柴犬が階段を降りてきた。そういえば、このペンションはペットと一緒の部屋で泊まれる。出会った若い夫婦はペットの柴犬を連れて旅をしていると話していた。
泊まる部屋は二階にあったが、荷物を置いて直にコタツのある一階に下りた。お茶が出ていた。宿泊中の京都と大阪から来たという夫婦が、テレビを見ていた。常連の二組の夫婦は、人生のファーストステージを終えての旅行だと言う。
テレビは、随分と綺麗に映っている。こんな山奥でも良く映るのだと感心して見ていたら、コマ送りが始まった。DVDに録画された番組を見ていたのだと納得した。「銭形金太郎」という番組の特番のようで、くりーむしちゅーの上田晋也が、このペンションをレポートしている内容だった。
夕食は食堂で6時半頃から始まった。実は、天橋立からの途中で、地元のワイナリーに立ち寄った。帰ってから飲もうと思って、お薦めのハーフサイズのワインを、二本買ってきていた。
ワインを持っているのだけど、食事の時に飲んでよいかと尋ねたところ、快く了解してくれて、オープナーも貸してもらえた。その土地のお酒は、その土地の料理で飲むのが一番美味しい。買ってきたワインを飲みながらの食事になった。
ズワイガニは、刺身で、焼いて、ゆでて、そして、鍋でと、カニのフルコース。添えてある野菜は、全部路地もの。自分の畑で作った野菜。そして、自分で作ったジャムや蕎麦、肉や魚の燻製を、近所のおばあちゃんと物々交換で貰った野菜を使っているとのことである。
野菜の栽培方法もフルッている。自培農法、要するに野菜が育つのに任せる農法。殺虫剤としては、竹酢を薄めたものを散布する位だそうだ。野菜は、雑草と一緒に育てる。虫は雑草を食べて、野菜には虫はあまり付かない。と言うか、竹酢をかけても虫に食われる野菜は育てない。虫が食べていないものだけを収穫する。それで充分に間に合う。
畑の広さの単位当たりの収穫量といった見方からすれば、効率の悪い農法である。しかし、農薬が身体に悪くないか心配する必要はない。野菜の味付けに余分な調味料を使う必要もない。農薬を洗い落とすのに、洗剤を使う必要もない。考えようによっては、効率的な農法かも知れない。
なにより野菜が美味しい。近所のおばあちゃんに貰ったという、湯がいたばかりのブロッコリも、房は大きく、茎も確りしているにもかかわらず、すじはなく、やわらかく、歯ごたえもあり、そして野菜のあまみが美味しい。お土産に貰った大根も生で食べてもつっかえるものがなく、すっきりと食べれた。
地鶏はどうかと、一口大に切った胸肉を出してくれた。カニを焼いた七輪で焼いて、少しだけ塩をふって食べる。これも歯ごたえが美味しい肉だった。
知合いの猟師と、自分で打った蕎麦などと物々交換して燻製にした鹿の肉を、食べるかと言われた。カニ鍋や玄米のおにぎりなどで、お腹が少し苦しかったが、別腹、別腹。薄く切った鹿肉の燻製を何枚か貰った。桜の木の香りもほどよく、味に変なくせもなく、どんどんと入る。
ペンションのおばちゃんが、給仕をしてくれながら、自分で作ったものとか、物々交換したものを出してくれる。自分の畑で取れた赤紫蘇の葉で作った紫蘇ジュースの透明な赤色が綺麗で美味しい。
玄米餅、そして、食事の最後に、そば粉だけで作った蕎麦を出してくれた。物々交換でも評判がよいというだけあって、すっきりとして、そば粉の味もしっかりと、腰のある蕎麦である。なかなか街では味わえない蕎麦だった。
農薬を使わず、野菜自身で育つ自培農法と、物々交換の進めが、印象に残る。物々交換なら消費税も要らない。そして、お金はないけど、身体を動かすことがお金と同じと思って暮らしていると言う。
おばちゃんが、給仕のかたわらに話す面白い話を聞きながら、3時間は食事をしていただろう。
食事の後、星を見るのに外に出た。玄関のドアを開けたとき、表の階段に居たタヌキが道を空けてくれた。ペンション自給自足の夜が更けていった。
(この旅行記を書き始めた頃にはなかったのだが、最近、ペンション自給自足のおばちゃんやおねえさんがブログを付け始めたようだ。)
しばらく天橋立の景観を楽しんで時計をみる。針は、午後3時を少し回っていた。天橋立ビューランドを下りて、天橋立を散策することにした。上ってくるときに、妻もリフトの乗り降りのタイミングが取りづらかったようで、リフトで下りるのが少し怖いという。不安に思うことは止めた方がよい。帰りはケーブルカーで下りることにした。
天橋立ビューランドから戻り、廻旋橋を渡り、天橋立に入りった。松並木の中から海を眺めながら、岩見重太郎仇討ちの場(試し切りの石)などを見て、天橋立の根元に向かって散策した。
インターネットで調べたとき、天橋立の根元にあるトワイライトレールロードで見る夕日に映し出される松並木の影は素晴らしいと解説されていた。これを見てから宿に行く予定でいた。
しかし、天橋立を歩きながらも、ペンションの場所を地図で調べたときに、ペンションの近くで道が途絶えていたのが頭から離れなかった。
白山の岩間温泉への道を思い出す。車が一台しか通れない細い道が続く。常に前方から対向車が来ないかを見通しながら、対向車が見えたら、すれちがえそうな路肩で、車を止める。こちらが道を譲ったり、対向車に道を譲ってもらったり、時にはヘッドライトで対向車が進むかどうかの意思を確かめながら進む。片側は岸壁がそそり立ち、片側は崖である。ガードレールなどもない。もちろん街灯などあるわけがない。もし、ペンションへの地理にも不案内な上に、こんな道だったら、暗くなってからはとうてい走れない。
午後4時を少し回ったいまの時間からなら、多少道に迷ったとしても、明るい内にベンションに着ける。予定を変更して、ペンションに向うことにした。
ペンションに電話をして、道に迷ったら電話するので案内を頼みますとお願いしたら、携帯電話の電波が途切れるところが多いから、電波状況を見ながらペンションに電話するようにと言われた。やはりそうかと覚悟を決めてハンドルを握った。
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しかし、先の4日の日曜日は、5月を思わせる暖かさだった。そんな、小春日和に誘われて金沢の街を散歩した。
金沢21世紀美術館の近くに、石川国際交流サロンがある。この石川国際交流サロンは、県が旧家(民家)を買い取って、生活文化の交流の場として市民に開放しているようである。街に散歩に出て、ふと思い出した時、催し物を楽しみに立ち寄ることにしている。
今回は、自由花人のみなさんの花展「花・遊・時」が催されていた。カメラを持っていたので、撮影しても良いかと尋ねたところ、かまわないと快諾してもらえた。
幻想的に演出された花空間。壁を飾る山野花。床の間を飾るダイナミックな花などが展示されていた。それと、お雛様も飾られていた。お雛様の前に花が敷かれるように飾られていたのだが、うまく写せなかったのが残念。
昌徳宮をひと回りして、元に戻る。敦化門の西側にある小さな門が出口だった。門を出ると駐車場がある。一緒のツアーに参加していた日本人観光客のほとんどが、この駐車場で待機していた旅行社のマイクロバスで、次の観光地に出発して行った。
さて、私達は北村へ。と言っても道案内がいる訳でもない。地図を頼りに、細い坂道を北へ上がり、北村ギルと名のついた通りを西に歩く。この通りにはさまざまな韓国料理の店が並んでいた。そろそろ、お昼時だし、何処かに入ろうと思っているうちに大きめの交差点にさしかかった。
目的地はこの交差点を北に上がるはず。私達は道路を渡って、北に歩き始めた。少し行くと、立派なお屋敷風のレストランが現れた。駐車場には高級車が止まり、いかにも高そうな店構えである。中を覗き込みながら前を通り過ぎようとしたその時、レストランの門の脇にある管理人小屋みたいな所から一人の男性が声を掛けて来た。何を言っているのか解らない。
『関わり合いになるのも面倒。ここは聞こえない振りして行こう。』
私たちは歩く速度を速めた。すると、彼は小屋から飛び出し、雑誌を手に持って追いかけてきた。私たちに追いつくと、中年の女性とレストランの写真が載っているページを開いて、早口で何か言った。何を言っているのかさっぱり解らないが、雑誌のページのレストランがここだと、言っているようである。
雑誌に載っている女性の方に見覚えがあった。私はバッグから、例の夫に買ってもらった旅行雑誌を取り出した。表紙に彼女が載っている。そして、最初のページに彼女の事が特集で紹介されていた。彼女は韓福麗先生。韓国宮廷料理の第一人者であり、昨年、日本でも放映された韓国の人気ドラマ'宮廷女官チャングムの誓い'の料理監修者としても知られている。
私が旅行雑誌をひらいて、彼に見せると、彼は思いっきり嬉しそうな顔で何か言った。やはり言葉は良く解らないが、ここが、この先生のレストランで、とても、美味しいから寄って行くようにと言っているようである。韓国語の中に英語と日本語が混ざっているのが少しだけ聞き取れた。好奇心が疼き出す。だが、問題は値段。
「What is the price for lunch ? 」
英語で聞いてみた。英語で返ってきた。
「Thirty thousand won」
3万ウォンなら妥協できる。だが、それだけで済むのかしらと少し心配だったが、韓福麗先生のレストランと聞いて、俄然、興味が湧いてきた。よし、昼食はここに決めた。
レストランの名前は「宮宴」それにしても、韓国ではこんな高級店でも客引きするのだろうか。
昨日の風は強かった。テレビニュースでは、富山のあちこちで、強風にあおられたトラックがひっくり返っていた。
台風並みの低気圧が日本列島を西から東に向かって横断しているようで、金沢でも明け方から生暖かい強い風が吹いていた。夕方には低気圧も北陸地方を通り過ぎるようで、その後は冬型の気圧配置になって寒くなるようだ。
東京からの友人が小松空港に着くのは午後6時頃である。それから高速バスで金沢に来る。片町で一杯やろうということで、午後7時に片町で待ち合わせた。
彼と飲むのは何年ぶりだろう。積もる話しで時間も忘れて胚を重ねた。
明日は仕事もあるので、そんな深酒はできないと、程ほどに「ぼんぼり」を出る。ぼんぼりのおかあさんが店先に出て見送ってくれた。
二人で、金沢で飲む機会もなかなかないので、この季節のお約束の「かに面」を食べようと、「よし坊」に寄った。
おくさんが、カウンタ越しに、「掛布」と書れたラベルが張ってある五代目和助の掛布ブランドの芋焼酎を見せてくれた。ちょっと前に、このブログでも「よし坊」に寄った時のことを「ティファニーでおでん?」で書いた。あれから、掛布さんが「掛布」を送ってくれたか、持ってきてくれたそうである。
掛布さんから私に飲むようにとの伝言はなかったかと尋ねてみたが、笑われてしまった。確かに伝言があるはずもない。
でも、おくさんは優しかった。その「掛布」を、ロックにして友人と一杯づつ飲ましてくれた。いやな芋の味は残らない、でもちゃんと芋の味がしっかり甘く、でもあっさりとした焼酎だった。おでんの味を吸う具の代表「だいこん」と、おでんの味を出す具の代表格「かに」を肴に、「掛布」のバランスがなんともいけた。
明日があるからと、後ろ髪引かれながら、「よし坊」を出た。外は少し肌寒くなっていた。
このブログを見てくれている同期生から、マック・パソコンで右のメニュー欄にある「連絡画面」で連絡内容を書くと、文字化けしてしまうと連絡をもらった。
いろいろ調べてみた。連絡画面が、マックで使用しているフォントに対応していないのが問題のようだ。このままでも、マックのパソンコ側のブラウザのフォントの指定を変更すると文字化けしないようだ。しかし、マックを持っていない私では、確認のしようがない。また、確認できたとしても、その方法を、マックで見てくれている全ての人に知らせるのは難しい。
そこで、サーバ側で対策できないかといろいろ調べ、サーバでの対策方法を思い付いたので、対策してみた。
多分、これでマックでも文字化けしなくなったと思う。もし、まだ文字化けするようだったら連絡してくれると嬉しい。
また、私が考えたことが原因であれば、「連絡画面」だけではなく、ブログの各記事へのコメント投稿時にも文字化けしているのではないかと思う。これにつていも対策した。
マックパソコンを使っていて、記事にコメントすると文字化けするので、コメント投稿を諦めていた人がいたとすれば、もう一度チャレンジしてもらえると嬉しい。
2007.3.3 世話人
立山の登山口で、立山連峰を見ても、岩しか見えないように、天橋立で、股覗きをしても、なんの変哲もない風景が見えるだけである。やはり見る場所というものがある。
知恵の輪灯篭を三回くぐった後、天橋立を股覗きで見ることができる天橋立ビューランドの上り口へと向かった。天橋立ビューランドへは、スキー場によくあるリフトと、モノレールが並行して動いている。リフトは待ち時間がほとんどないとのことだったので、昇りはリフトを使った。
スキーを履かずに乗るリフトは初めての経験だったが、なんとかうまく乗れた。また、リフトを降りるとき、スキー板を履かずに、手を離すタイミングが不安だったが、補助員がうまくリフトを外してくれて、これもなんとかうまくいった。
リフトの終点にあるビューポイントから見る景観は、案内パンフレットに載っている写真そのものである。雲と海と、天橋立の曲線美、海岸の白い砂浜、行き交う船の波の跡など、全てが一体となった景観は、なんとも絶妙なバランスで、美しかった。
股覗き推奨の場所というのがあったので、お約束通り股覗きしてみた。頭に血が昇ってクラクラするのを覚えたが、特段変わったようには見えなかった。
看板の説明書を読むと、「頭に血が昇ってクラクラした感じで見ると、天橋立が幻想的に見える」といった趣旨のことが書いてあった。そう言うことだったのかと、改めて股から覗いた。確かに、前と比べて、幻想的に見える気がした。
イッテミア・ミッション「天橋立を股覗きで見る」
兼六園の梅林には爽やかな陽が射し、沢山の人が満開の梅を楽しんでいた。
昌徳宮は、1405年に朝鮮王朝の離宮として建てられたが、1592年、豊臣秀吉による朝鮮出兵、壬辰倭乱(文禄の役)でほとんどが焼失、敦化門だけが残った。その後、1611年に再建されて、15代国王・光海君から26代国王・高宗まで正宮として使われていたという事である。
1997年には、全人類のために、保護すべき価値が顕著な文化遺産として認められ、ユネスコの世界文化遺産に登録された。
敦化門から昌徳宮に入場すると、小柄な女性のガイドさんから、昌徳宮ツアーの簡単なコース説明があった。分かり易い日本語の説明で、これから始まるツアーが楽しみになってくる。
先ずは、昌徳宮の中心的建物の仁政殿に案内された。その荘厳な佇まい、、殿内の玉座や装飾などを見学し、仁政殿前の役人たちが整列したといわれる石畳に立つと、朝鮮王朝の宮廷内の様子がしのばれる。
続いて、宣政殿、大造殿とガイドさんの後について見学して行く。どの建物も、始めて本格的な朝鮮の宮殿を見る私には感動的であった。
やがて、秘苑と名づけられた庭園に案内された。秘苑は韓国を代表する庭園だそうで、芙蓉池という四角の池が印象的で、日本庭園と似た雰囲気を持ちながら、ぜんぜん違う世界を作っていた。
次に案内された演慶堂は、それまでに見学した建物とは少し違って、飾りのない質素な様子で、日本の寺院に似ていると思った。
ガイドさんの話はどれも興味深かったが、何の予備知識も入れて来なかった私は「へぇ~」と思っているうちに、次へと行ってしまう。ツアーは1時間20分。あっと言う間であった。もし、もう一度、韓国に来ることがあったら、今度はもっとじっくり見学したい。
昼食の後、国道176号線を天橋立に向かう。途中で、海沿いを走る県道2号線に入って少し走ると、廻旋橋のある天橋立の入り口に着いた。
この辺りの駐車場は、観光地によくあるお土産屋さんとか旅館とかがやっている有料駐車場が多い。公共の駐車場はなさそうな雰囲気だった。
家を出てから一度も給油していない。車のガソリンメータが、半分の所を指している。ガソリンを満タンにすると駐車料無料というガソリンスタンドがあった。駐車料無料と言っても、その分ガソリン代が高目だろうとは思ったが、ここでガソリンを満タンにして、車を預かってもらうことにした。
文殊と天橋立を結ぶ橋を「小天橋」というが、通称「廻旋橋」と呼ばれている。貨物船などが通るときに、橋が廻旋して、船を通す仕組みになっていることから「廻旋橋」と言っているようだ。天橋立側に、踏み切りの監視小屋のような建物があり、そこで、船が来る度に橋を開けたり閉めたり操作している。
文殊には、「三人よれば文殊の知恵」で知られる智恩寺文殊堂があり、知恵の輪をデザインしたものが町のあちこちに見られる。智恩寺の近くにも、昔は船の安全のための航海灯として使われていたと言う「知恵の輪灯籠」があった。3回くぐると頭が良くなるといわれているようだ。この知恵の輪をデザインしたものが、町のあちこちにあった。知恵の輪が町のシンボルになっているようだった。
それでも午後1時前には宮津に着くことができた。少し遅くなったが、ここで昼食を取ることにする。インターネットで調べた天橋立の料理屋さんで昼食を取る予定にしていたのだが、この時間から天橋立に行って食事をするのでは遅くなりすぎる。お腹が空くと、ついついイライラと、言わなくてよいことまで言ってしまう。つまらないことで争いになって、折角の旅が気まずくなることもある。お腹の空き具合からも、そろそろ危険な時間帯である。
天橋立インターからの道が海岸に突き当たる丁字路に大きなシッピングセンタがあった。案内板に食堂の案内もある。地場の食材での料理を食べさせくれるような感じである。即断で、ショッピングセンタの駐車場に車を止めて食堂を探すことにした。
いつも、地理に不案内な所で、その地場での食材を美味しく食べさせてくれる食堂を探すのだが、ここもだめ、あそこもだめと言いながら、結局は、どこにでもある「うどん」とか「たまご丼」という、不幸なことになることが多い。しかし、今日は、幸いにも一発で宮津港が見える和食の食堂で、美味しく海の幸をいただくことができた。











