2014年7月の記事一覧

イベリコ豚のステーキ

今回の例会で、大作くんや立野くんが、奥さんからどんな料理だっか報告するように言われているようだった。

ぜひ、奥さんはじめご家族と一緒にレストラトゥールで食事を楽しんで下さいませませ。

金森

ごの会例会2014年7月

  • 例会

7月27日(日曜日)に総曲輪のレストラトゥールで例会をしました。

参加者は 金森、太田、大作、平野、立野、松原、中新、野口、安井、山下(仁)の10名でした。

二次会は「丸一」で中新、野口、松原、金森でやりました。昼間だから人も少ないだろうと思って店に入ったのですが、店内は満員なのには驚きました。

ちなみに、次回の例会は11月にやろうということになっています。それと、来年のどこかで同期生全員に案内を出して例会をやったらどうかといった話も出ていました。

いずれにしても、準備ができたらみなさんにお知らせします。今回都合が付かなかった人も、都合が会えばぜひ参加して下さい。楽しくやりましょう。

(約22分)

金森

親の介護

  • 雑談

介護で一番つらいのは先が見えないことだと思う。

平成7年に母を亡くした。直ぐに呉羽の父を野々市に呼び一緒に暮らし始めた。父は何年も立たない内にデーサービスに通い始め、帯状疱疹になったのをキッカケに寝たきりになった。家に介護用ベットを入れて介護の日々が続いた。寝たきりになって二年ほどで他界した。約10年一緒に暮した。勤めていた会社を辞めたのも父の介護が理由の一つでもある。

やっと父の介護から開放され、静かな生活に戻ったと思った矢先に、富山でひとり人暮らしをしていた義母が病気になり、富山日赤に入院した。入退院を二度繰り返した。二度目の退院でひとり暮らしは無理と思い、野々市で一緒に暮らすことにした。そろそろ10年になる。四六時中、妻と家で世話をするのは無理だ。父の時もそうだったが、一番困るのは入浴だ。入浴のためにデーサービスを利用し始めてもらった。そしてショートステイ・サービスと、介護サービスを利用しながら、父や義母の介護を続けてきた。

仕事での出張や、旅行なども、介護サービスのスケジュールと調整しながらやってきた。

義母の認知も歳を追うごとに進んできている。いまでは、下の始末もなかなかうまくいかなくなって来ている。ただ本人はまだまだシャキッとしていて、自分で上手くやっている積りでいるので、介護する方は辛い思いをする。

そのして今、ひとつの節目を迎えた。

妻は精神的にも体力的にも限界を感じていた。ケアマネージャーさんの勧めもあり、義母にはグループホームに入所してもらうことにした。妻も気持ちの整理が着いたようだ。

ただ、グループホームは空きが少なく、入所を待っている人も多いようで、なかなか直ぐには入れない。また、本人の様子を見たいと面接のようなものがあった。多分、その施設に馴染めるかどうかを見たのだろう。加えて、本人だけではなく家族との面談もあった。

申し込んでから約六か月、やっと順番が巡ってきた。8月の始めに入所できる運びとなった。施設も見学してきた。暮らしている人たちからも待っていると笑顔で言葉を掛けてもらった。本人は新しいショートステイの施設にきたと思って暮らし始めてくれるだろう。きっと家にいるよりも楽しく暮らしてくれると思っている。

暗く長いトンネルを抜け、少し光が差してきたような気持ちになっている。

金森

軽井沢ゴルフ

  • 雑談

長野佐久出身の友人が故郷近くの軽井沢に別荘を買った。近年夏の季節に、この別荘に泊めてもらってゴルフをやるのが恒例となっている。最近は妻も一緒に軽井沢には行が、ゴルフはやらないので別行動ではある。

別荘からゴルフ場のセブンツーへは10分もあれば行くことができる。そんなわけで、始めの一、二年はセブンツーゴルフクラブや静山ゴルフ場でゴルフをやっていた。しかし軽井沢の物価は高い。ゴルフ場も例外ではない。一方、軽井沢から車で30分も走ればお手頃なゴルフ場が散在している。最近ではこれらお手頃なゴルフ場に行くことが多い。

二、三年前にこのメンバーの中にリタイア後の趣味に料理作りを選んだ友人が入った。以来、この友人が作る料理で前夜祭をやることになっている。

ゴルフバックと一緒に、包丁、まな板、中華鍋、食器などなど料理作りに必要なもの一式を東京から運んでくる。包丁も肉きり、出刃、野菜用やベティーなど用途に合わせた包丁だ。この包丁がまたよく切れる。料理で使う魚や肉、野菜なども男買いで仕入れてくる。もちろん費用は割り勘。時間がかかる出汁などは事前に家で仕込んで持ち込む。

何時も午後6時頃からパーティーになる。その準備に午後1時頃から魚をおろしたり、野菜をきざんだりと、仕込み作業が始まる。それを手伝うのが私の役目になっている。シェフから手本を見せてもらって、その通りやるのだが、なかなか上手くいかない。立ちっぱなしの作業で腰が痛くなってしまうが、楽しみの一つにもなっている。

年々メニューが増えて、今年は10品目だった。

そしてもう一つ、驚きのイメバーがいる。三、四年前から参加している。参加時に、92、3歳と聞いていたから、今年は95歳を超えていることになる。現役の社長で会社のホームページにも写真が載っているバリバリの現役だ。その会社の専務が同行する。まるで釣りバカ日誌のハマちゃん、スーさんといった感じだ。

ただ、このスーさんは好奇心満々で、直ぐに新しいものにチャレンジする。メンバーの中でアイホーンやアイパッドを使い始めたのもスーさんが最初だ。みんなが楽しむようにと、アイパッドをテレビに繋げてカラオケ装置にしてくれた。年々このカラオケ装置はグレードアップしていく。

別れる時は

「生きてたら来年もやりましょう」

わたし達も

「生きてらっしたら、また・・・」と応える。

album 軽井沢パーティー2014 https://flic.kr/s/aHsjZkGUWq

金森

この前、太田くんに会ったときに、「越前と越中の間になぜ「越」が付かない加賀があるのか」との宿題をもらった。

令制国(りょうせいこく)の一つに越国(こしのくに)がある。越国は現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域だ。

では令制国は何時出来たのか。話は養老4年(720年)に完成した日本書紀に遡る。

ハッキリとは分かっていなが、『日本書紀』に信をおけば、大化の改新直後、少なくとも藤原京への遷都以前にはある程度の令制国が成立していたようである。

また、令制国以前は土着の豪族である国造(くにのみやつこ)が治める国と、県主(あがたぬし)が治める県(あがた)が並立した段階があった。令制国は、中央から派遣された国司が治める国である。

当時は高志(こし)国と書かれ、越国は8世紀以降の書き方である。後に分割されて越後国・越中国・能登国・加賀国・越前国になり、越州(えっしゅう)・三越(さんえつ)などの地方名で呼ばれた。蛇足だが、富山に高志会館、高志の国文学館というのがあるが、高志国との関連から名付けられているのかも知れない。

ウィキペディアによれば

加賀国は、令制国の中で最後に建てられた国である。その建国への提案は越前守の紀末成による。末成は、加賀郡が国府から遠く往還に不便で、郡司や郷長が不法を働いても民が訴えることができずに逃散し、国司の巡検も難しいといったことを理由にあげた。太政官はこれを受けて弘仁14年 (823年) 2月に、越前の二郡を割いて加賀国を建て、中国にすることを奏した。3月1日に太政官は符を下して加賀国を作り、中国と定めた。同年6月4日に、江沼郡の北部を能美郡とし、加賀郡の南部を石川郡とすることを、加賀守を兼任した紀末成が言上し、これによって四郡になった。天長2年(825年)1月10日に、課丁と田の数が多いという理由で、加賀国は上国に変更になった。

注: 紀 末成(き の すえなり、天応元年(781年) - 天長2年12月4日(826年1月15日))は、平安時代前期の貴族。大納言・紀古佐美の九男。子に安麻呂・安根がいる。官位は従四位上・越前守、贈正四位上。

とのことである。

「加賀はもともとは越前だったが広すぎで統治しずらいので、平安時代に越前を分割して加賀にした。」というのが、「越前と越中の間になぜ「越」が付かない加賀があるのか」の答えということになる。ちなみに「越」の呼び方が、いつの頃から「こし」から「えつ」に変わったかは調べていない。江戸時代からのような気がしている。

金森

井波瑞泉寺

庄川を南へ井波に寄って帰ることにした。

井波の瑞泉寺は真言宗大谷派の寺で戦国時代には越中一向一揆の拠点となった古い寺だ。

井波は木彫刻工業が盛んで瑞泉寺の建物の彫刻は井波の職人の手によるものだ。参道には彫刻を取り扱う店が軒を並べている。

瑞泉寺参道には「池波正太郎ふれあい館」がある。池波正太郎は「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛け人 藤枝梅安」などの時代小説でよく知られている。池波正太郎は祖父が井波出身ということもあって、「父祖の地」として、親しみと愛着を持って度々訪れていたようだ。

今回は晩酌にと思い参道にある酒蔵、若駒酒造で地酒を買って帰った。

金森

鮎やでの昼飯の後、庄川を渡り庄川水記念公園、舟戸公園を散策した。

これら公園は庄川合口堰堤(えんてい)の人工湖である舟戸湖の前にある。庄川合口堰堤は庄川本流最下流にあり、小牧ダムと供に国の登録文化財に指定されている。庄川水記念公園と舟戸公園には、庄川観光の拠点施設として、庄川特産館、庄川ウッドプラザ、庄川ふれあいプラザが設置されており、伝統的工芸品や特産品を、展示、販売している。

堰堤(えんてい)とは「貯水・治水・砂防などの目的で,河川・渓谷を横断してつくられる堤防。ダム。」(大辞林 第三版の解説)。

観光の拠点ということではあるが、歩いている人は殆どいなかった。静かな中を散策した。

金森

鮎や

呉羽での用事を済ませ、高速道は使わず下道をゆっくりと野々市に帰ることにした。

呉羽から県道41号を南に北陸道富山西IC入り口を左手にみながら八尾方向に走る。県道31号を経由して婦中町を通る国道359号に出て砺波方向へと走る。千光寺を過ぎて庄川を渡る手前で左折、県道11号を南へとハンドルを切る。県道11号をしばらく走り、庄川を渡って弁財天公園となる三叉路に鮎やがある。

先月6月中程に鮎が解禁になっている。鮎はそこそこの値段なのでそうそうは食べれない。昼飯は一大決心をして鮎やで鮎料理にした。

まるごと頭から食べる鮎の塩焼きは実に美味い。家ではどうやってもこんな風には焼けない。

金森

戸隠蕎麦

四阿山からの帰りは、国道406号を北へ須坂に向かう。須坂から西に折れて長野へ。善光寺の横を通って白馬村方向に車を走らせる。白馬村への途中、県道36号を北へ戸隠に向かった。

戸隠に着いたのは丁度昼時だった。戸隠蕎麦で有名な戸隠神社中社そばにある「うずら家」で昼飯にしようと思った。しかし、店の前で待つ人の行列にげんなりした。そこで、鏡池方向に車を走らせ「そばの実」で昼飯にした。ただ、「そばの実」でも少し待たされた。

びんびんと澄んだ朝の空気の中で、蕎麦を打ち始めます。蕎麦も、その同じ空気を吸っています。蕎麦は感じて応えます。

空模様に、
季節の姿に、
打ち手の心に。

出来上がる蕎麦から自然の言葉が伝わります。ひかえめに、今日という日を、このときばかりの味わいでささやいてきます。

歯ごたえもほどほどに、確かに美味かった。

金森

栗おこわ

昼飯は「栗おこわ」にした。

福光ICから東海北陸道に乗って飛騨清見ICで下りて、高山清見道路(無料)で高山に。高山から国道158号で平湯へ。平湯から安房峠道路(トンネル)を走る。上高地への道は左手、右手に折れて野麦街道に出て松本へと向かう。

蛇足だけど、平湯に車を置いて上高地で東京や横浜の友人たちと待ち合わせて西穂高に登ってロープウェイで平湯に下りて反省会ということもあった。(この時の話は別途また)

松本には昼飯時になった。松本の中町通りの「竹風堂」で昼飯にした。中町通りは古い町並みが保存、整備されている。風情を感じる。ただ、平日ということもあって人通りはまばらだった。

竹風堂の栗おこわは実に美味い。好物の一つでもある。

金森

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